正月。麗華から年賀状が届いた。
『あ はっぴい にゅう いやぁー』と冒頭に書かれたその葉書には、蛍光ペンを駆使して『今年も楽しく文通しましょう』、『テレビに出たら教えて下さい』と書かれてあった。
ところが、それから数日たったある日に届いた彼女から手紙には、予想もつかなかったような衝撃的なことが記されていた。
『この文通を終わりにしたい』
「なぜだ!!」
今年も楽しく文通しましょうって書いていたじゃないか!!
私はうろたえながら手紙を読み進めた。 そして、すべて読み終わった後、落胆しながら手紙を封筒にしまった。
手紙の文面はこんな感じであった。
この文通はグループ文通ということで始めたのに、みんなやめちゃって、今では私と工藤君と、もう一組しかやっていない。しかも、そのもう一組もやめちゃうみたい。やめた友達に申し訳ないので、私たちも終わりにしたいんです。素敵な彼女を見つけて下さい。さようなら
「……」
かなりショックであった。決して付き合っていたわけではなく、好きというわけでもなかったが、彼女に対しての思い入れはそれなりにあった。みんながやめても俺たちだけ続ければ――そう返事をしたかったが、無理に続けて彼女を困らせたくなかったので、その手紙に対する返事も書くことなく、彼女と連絡取ることを完全に絶った。
それから二週間後。私が出演した「コムサ・デ・とんねるず」がオンエアされた。この放送は私と彼女にとって、何の意味も持たぬものであるはずだった。
ところが 悲劇の幕はここから上がったのである。
その悲劇を語る前に、テレビ放送時の模様を書いておきたいと思う。
なにしろ全国放送だ。今は亡き母が放送直前、あちこちの親戚に電話をして、「息子が出るのよ~。観てね~」と言いふらした。後にそのことを後悔するとも知らずに。
私、母、妹が固唾を飲んでテレビの前に座った。父はまだ帰っていなかった。ご飯を食べていたのだが、ほとんど口をつけることもなく、私はテレビに見入っていた。ビデオはしっかりとセットされている。
そして19時。番組が始まった。すかさず録画ボタンを押す。(どんな風に映ってんだろ、俺) 顔を紅潮させながら、私はそんなことを思った。
「あ、出た!!」
私が叫んだ。テーブルの上に置いてある電話を囲む、むさい男の集団の中に、確かに私が映っていた。しかもコートを着ている。暖房が効いている中、暑くないのか、俺。そして軽い悲劇。
(髪の毛が一カ所跳ね上がってる……)
海の潮風を受けてだろうか。なんとかしておくべきだった。
私がそんな風に後悔していると、テレビから電話が鳴る音が聞こえ、画面の私が受話器を取った。自分で見てもすごい速さだ。
「もしもし、美穂か!!」
妹はこの時点で、既に腹を抱えながら、苦しそうに床をのたうち回っていた。よほどおかしいらしい。
その後、私は石橋貴明からマイクを向けられていろいろ聞かれたわけだが、冷静に観ていると、私の目は斜め上にある彼の目には向いていなく、なぜか正面を見ているのがわかった。緊張しているからそうなっているのであろうが、話す人に向かって目を合わせないというのもかなり不気味なものがある。
そして春日八郎のそっくりさんへの跳び蹴りシーンが映った。あまりの情けなさに思わず顔を背けた。自分の姿を客観視することが、これほど恥ずかしいとは思わなかった。
妹は相変わらずひーひー言いながら、床を転げ回っている。母親は「やだぁ」などと言いながら、しっかり観ている。
そして中山美穂のそっくりさんとの抱擁シーン。
「お兄ちゃん!!」
「美穂!!」
カメラが私の顔を捉える。
途端にテレビから、笑い屋さんたちの大爆笑。
人間とは、これほどしまりのない顔が出来るのであろうか。この世の至福を満喫しているといったにやけ顔で、私は映っていた。
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