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富野先生の横顔を見ながらヤマトファンの私の頭の中に、ある思い出が蘇ってくる。
小学校4年生の時の遠足での出来事だったと思う。油壺マリンパークへ向かう途中にみんなで何かを歌おうということになり、誰かが「銀河鉄道999の主題歌!」と言って、有名なゴダイゴの曲を大合唱し始めた。私はサビの途中で肩を大きく揺らしながら泣き出した。
「どうしたの?」
隣の席に座っていた友人(恐らく、故・内藤君だったと思うが)が聞いてきたので、私は上着の袖で鼻水と涙を拭いながら答えた。私の嗚咽があまりにも激しかったので、皆、歌うのを止めて私を見ている。
「ズッススススハスハスハスハスハスハ(泣くのをこらえながら口から息を細かく吐き出して鼻をすすっている)おおお、俺、スハスハスハスハスハスハ、すすす、スリーナインの……スハスハスハスハスハスハ……ききき……曲……スハスハスハスハスハスハ……ししし……しら……スハスハスハスハスハスハ……知らないから……スハスハスハスハスハスハ」
ようするに一人置いてけぼりになったことが悔しくて泣いたわけだが、そんな私に内藤君は困惑しながら尋ねた。
「じゃあ、どの曲だったらわかるの?」
「スハスハスハスハスハスハ……う……宇宙せ……せせせ……スハスハスハスハスハスハ……戦艦……スハスハスハスハスハスハ……ヤヤヤヤヤ……マト……スハスハスハスハスハスハ」
だが、声を細かく震わせながらの必死のアピールは宮田君(仮名)によってあっけなく却下された。
「俺、ヤマトの主題歌知らねえ」
そして次々と声が上がる。
「俺も最初だけしか知らねえや。さらば~地球よ~ってとこ」
「っていうか、ヤマトならガンダムの方がいいよな」
「あ、ガンダムにしようぜ」
「ガンダムなら知ってる!」
「よし、じゃあガンダムに決定!!」
俺はガンダムの主題歌も知らないんだよ。
やがて始まるガンダムの主題歌の大合唱。先ほどより一層激しく被さる私の嗚咽。異様な雰囲気を湛えながら、バスは一路、油壺マリンパークへと向かうのであった――。
「あ……あ……」
この思い出はともかく、目の前にいる富野先生に対して一言でも何か伝えようと、ドラゴンボールで、クリリンが敵の圧倒的な戦闘力を見た時のような声を発していると、私と富野先生の二人しかいなかったトイレに背広姿の男性が入ってきた。
(え……)
私は混乱した。
もしここで俺が富野先生に話し掛けたら、今入った来たこの人は俺のことを単なるミーハー野郎だと思うだろう。いや、実際にそうなのだが、人にそう思われることを承知で話し掛けられるほど私は度胸が据わっていない。
(待て待て、ここはもう駄目だ。じゃあトイレを出た後か。いや、それも怪しい。じゃあどうすれば……)
頭の中でしどろもどろになっているうちに、富野先生は用を足して手を洗って速やかに出て行った。
(……)
口を開けながら見送る私。もう二度とお会い出来るチャンスはないだろう。
ちなみに翌年の新年会では竹宮恵子先生、その次の年の新年会では綾辻先生と遭遇したがやはりただ見るだけだった。著名な方とお話し出来たのは、3年後、ボーイズラブ小説の大家、秋月こお先生が初めてだったが、その時の会話も、
「男性の方って珍しいですよね。周りが女性ばかりで心細いでしょう」
「ええ、でもなんとか頑張ってます。ははは」
だけ。あんなに気さくに話し掛けてもらえたのだから、もう少しお話しさせてもらえばよかったと思う今日この頃である。考えてみると島田奈美と遭遇した時もまったく話し掛けられなかったので、私は現実社会では相当な小心者なのかもしれない。
新年会は豪華賞品が当たる抽選会やらなんやらを経てお開きとなり、その後、ティーンズルビー班とルビー班合同の二次会がホテル内の喫茶店で行われ、横も前も作家も編集者も全員が女性という中、男性一人で圧倒されながら、繰り広げられる会話に対してただ頷き、終電に乗り遅れるということで途中で帰ることにした。
「今日は本当にお疲れ様でした」
階段の手前まで見送りに来てくれたOさんが言う。
「はぁ……」
確かに疲れた。Oさんがかなり気を遣ってくれて、たびたび孤立している私の所まで来てくれたのだが、それでも大部分の時間を一人で過ごし、ただひたすらフランス料理を食べていた。私は別に人と話すのが嫌いだとか、会うのが嫌だというわけではないので、新年会という名のパーティでここまで気疲れするとは思わなかった。
「来年はもう少し居心地がよくなると思うから」
「はぁ……」
一応、いろいろな人と顔見知りになったわけだから、来年は話し相手がいろいろと出来るかもしれない。そういう意味では居心地はよくなるだろうが、もっと引いて考えてみるとどうだろう。
来る前には友人などを相手に「作家と会ったら絶対あれを聞く」とか「編集部でのハムスターの評判を聞く」などと言っていたが、いざ作家や編集者と対面してみると、「はあ」とか「ええ」ぐらいで、ろくに言葉なんて出てこなかった。本当にここにいていいのかなという戸惑いがあって、自分の存在が場違いに思えて仕方がなかった。
あの場にいた作家が全員まとっていた、仕事をしたことでここに呼ばれたという“自信”、それが私にはなかったのだ。仕事を評価されて呼ばれるのなら来年は居心地がいいだろうが、もし本を出せなかったら、たとえ呼ばれても場違いな自分が恥ずかしくて顔を出せないだろう。当たり前の話だが、プロの世界では、仕事をした人間だけが物を言えるのだと思う。
「あ、ハムスター、出来たら必ず送ってね。編集部のみんなが楽しみに待っているんだから。スニーカー文庫の編集者も誉めてたよ」
「なんとか頑張ります」
「うん。頑張ってね。それじゃ気をつけて」
「はい」
Oさんに向かって頭を何度も下げた後、重い足取りで階段を下り、ホテルを出た。
山手線で品川まで出て、東海道線を待っている間、彩実ちゃんに電話をかけた。とにかく気を遣わずに済む、気心の知れた人と話したい、ただその一心だった。
「もしもし」
「圭くん? どうだった?」
「疲れた……」
彩実ちゃんの声を聞いた途端にほっとしてしまい、話したいことは山ほどあるのにその言葉しか出てこない。
「おつかれさまぁ」
彩実ちゃんの声も可哀想と言いたげに自然と小さくなる。
「なんか女の子ばっかりで、男は俺だけだったよ。何を話していいのかわかんないし、向こうも俺に話し掛けづらそうだったし、とにかく微妙な雰囲気がただひたすら流れていたよ」
「そっかぁ……」
「でも、授賞式とか二次会でいろんな話が聞けたし、いろいろと参考になった。来てよかったと思う。疲れたけど」
その後も何かを言っては語尾に「疲れたけど」を付け、そのたびに彩実ちゃんに「大変だったね」とか「ゆっくり休んでね」と慰めてもらった。彼女は私の話を遮って自分の話をするなんていうことはない。私が話すのを止めるまで話を聞いてくれる。電車が来た頃にはすっきりしていて、気分が軽くなった。彼女がいるから自分が自分であり続けられるのだと思った。一人で立ち向かっていたら絶対に押し潰されているに違いない。私にとって彩実ちゃんのいない生活というのはもう考えられなかった。