2010-8-18 Wednesday

ネットでネガティブなことをいわれたとき、パニックにならない思考法

 ネットでネガティブな言葉を投げつけられるというのはつらいものである。ここ3年、感想メールが年平均1.3通の当サイトはあまり縁がないが、それでも遡れば掲示板の書き込みやメールで心がボキボキに折れたことが何度かある。
 折れた骨は治ると前より強くなるとよく聞くが、折れた心は元に戻っても強度は大して変わらないどころか更に繊細になる場合もあるようで、こういったケースでは心の周囲に思考という名のクッションを敷き詰めるのがいいように思う。投げつけられたものが直接当たっても平気にするのが無理なら、衝撃を和らげる工夫をしようということだ。大相撲の横綱だった千代の富士は若い頃から肩の脱臼癖があり、肩に筋肉を付けることで防ごうとしたという話を聞いたことがあるが、それと似たような考え方である。

 ネガティブな言葉の衝撃を和らげる考え方というのはいくつもあると思う。複雑なものから簡単なものまで、人に聞いた数だけ違う答えがあるかもしれない。
 私の考えはただ一つ。「一対一で向き合わない」ということだ。つまり、ネガティブな言葉を投げつけてきた相手と戦争をするなということである。

 嫌なことをいわれたというのは、時として恥を掻かされたという気持ちにつながる。頭が混乱し、冷静な判断ができなくなる。周囲の目もあるからやられっぱなしでは終われない。どんなに時間と労力を掛けても自分の心に付けられた傷と同じレベルのものを相手に付けてやらなければ気が済まない。
 おそらく上記のような気持ちを抱いて反撃に出た人たちを有名無名問わず見てきた。だが、結果はどうだったか。実社会で行う場合でも相当な時間がかかることをネットでやろうとするのだ。ほとんどの場合、不毛な時間をいたずらに費やすことになる。

 少々唐突だが人を樹木に見立てて流れを具象化してみよう。
 嫌なことをいわれたから嫌な目に遭わすという争い方を人とするとしたら、頭がそのことばかりになり、その期間、人間的な成長はあまり見込めない。上に向かう時間を横に使う形になるので社会的な成長も難しい。大きな傷を受けて成長が止まってしまった。この状態は切り株といえるのではないだろうか。

 逆に、争うという選択を放棄した場合。幹に大きな傷(=恥)は残ったとしても意識が上に向かえば確実に成長は見込める。もしかしたら他の樹木を圧倒するぐらい、枝葉を広げるかもしれない。

 樹木を見に人がやってくる。切り株を見たら、成長が止まったその部分にしか目が行かない。皮肉なことに見られたくない傷しか見るべきところがなくなってしまう。
 だが、成長した樹木は違う。誰かが「ここに傷があるね」と指さしたとしても、その人を含めて最終的に皆が空に伸びる太い幹と鮮やかに広がった枝葉を見ることになるだろう。

樹木

Photo by:caseyyee

 もうとっくにお気づきだと思うが、私がいっているのは実は「スルーの推奨」である。基本中の基本といえるこの対処法だが、案外、「では、なぜスルーがいいのか?」という理屈の部分は語られないものだ。
 もし、あなたがネットの言論で大きな傷を受け、どうしても反撃したい、なんとしてでも復讐を果たしたいと思ったとき、不毛な未来が見えたとしても「スルーしろ」の一言だけでは気持ちを撤回できないかもしれない。そんなとき、ここに書いた樹木の喩えを思い出してほしい。
 自分が受けた傷を目立たなくする最善の方法は、傷つけられた相手に自分よりも大きな傷をつけてそちらに目を向けさせることではない。自分という幹を成長させ、枝葉をいっぱいに広げ、相対的に傷を小さくすることだ。

posted by kudok @   | Permalink

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