2013-8-10 Saturday

輝いた代償

 雌伏のときを経て、世の中に躍り出る。世間にはこんなストーリーがたくさんある。
 ネット世界で言うなら、アクセスするのが自分だけという状態でブログを書き続け、いつしか人気者になり、作家になったという人はストーリーに当てはまる。往年の人気テキストサイト運営者も、充分、そういったサクセスストーリーの主人公と言えるだろう。

 ところが、「世に出ました」で終わらせればハッピーエンドのストーリーでも、続けていくと、往々にして、「その後、輝きを失いました」というアンハッピーエンドへと突き進む。輝きを失ったとまではいかなくても、「多くのチャンスをもらいながら、その後、輝きを増すことは出来ませんでした」となることも少なくない。
 実際、多くのチャンスをもらいながら輝きを増すことが出来ず、その後、輝きを失った人間がここにいる。

 こういう人間が再度輝くためには、誰かに掘り起こしてもらうというのがもっとも現実的な方法になる。では、掘り起こすのは誰かということになると、今まさにリアルタイムで“現場”にいる人間ということになる。つまり、昔、輝いていた人を発掘した現・管理職ではなく、プロデュースの企画書を提出する若い人ということだ。一見すると、企画を判断する管理職が重要に思えるが、「この人を売り出してみたい」と言う人がいなければそもそも名前が挙がらないので、やはり、提出する人が掘り起こすということなるのである。

 ところが、若い人からすると、

 昔はそれなりにやったようだが、今はまったく名前を聞かない

 という人は、



 上記のような問題点を抱えているように思える。私が言うのもなんだが、実際そうであることが多いだろう。というわけで、積極的にプロデュースしたい存在にはなり得ない。
 つまり、輝きを失った人は、若い人に掘り起こしてもらうのが再度の輝きを得るための一番の方策だが、それはほとんど期待出来ないので、結局、自分でどうにかするしかないということになる。

 自分でどうにかするための解は、

  • 新しいものを作る
  • 立ち位置を変える
  • 旬の人間に接近する

 だと思う。ただ、どれもすんなりとは出来ないだろう。なぜなら、所詮、輝き続ける力のなかった人間のあがきだからである。

 どういう形であれ一度輝いてしまったがゆえの現実。これは“輝いた代償”と言っていい。自分より下の世代の協力を得ることがどれほど重要で、どれほど大変なことなのか、輝いているときにはわからない。そして、多くの人が自分の力だけでは代償を返しきれず、心が折れ、埋もれてしまうのだ。

posted by kudok @   | Permalink

>> 次の記事 当事者以外の人には怒られないだろうという常識の危うさ
<< 前の記事

関連記事

  • ありません

19 queries. 0.029 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

▲このページの先頭へ戻る