2009-7-03 Friday

復活を果たした個人サイトにわくわくしない理由

 閉鎖、あるいは何年も放置されていたサイトが突然復活する場面を何度か見てきた。私がそれを知るのは基本的にそのサイトを、閉鎖・放置された後も定期的に覗いているからであり、つまりそのサイト及び運営者を好きだからといえる。
 ところが“定期的に訪れていた=再開を期待していた”にもかかわらず、実際再開しても「やった! またこの人の文章が読める!」と胸ときめいたことは一度もない。反応を言葉で表すなら「あ、そうなんだ」ぐらいが適当だ。おそらくうちのサイトをたまに覗いている人やフィードを受信している人もそうで、たとえば私が「テキスト王は復活する! 今日から毎日更新だ!」と仰々しくぶち上げたとしても「あ、そうなんだ」で終わると思う。アドレナリンが沸騰するなんていうことは万に一つもないはずだ。

 どうしてなんだろうとふと考えてみたが、多分、再開に至った理由――閲覧者が運営者の書く再開宣言の裏に見ているもの――というのが大抵の場合、“不特定多数の人に自分自身を見てほしいという自己顕示欲を抑えきれなくなった”からであり、ファンが望んでいる“もう二度と物を書くつもりはなかったが、また新しく書きたいものができた、創作意欲を抑えきれなくなった”ではないからだろう。

 もし、私の推測通りであれば長年閉鎖・放置されていた個人サイトの更新再開が必ずといっていいほど尻つぼみに終わる理由も見当がつく。なにをやってくれるんだろうという期待感を抱いた訪問者はやがて運営者がなにも用意していないことに気づき、落胆して去る。ファンといえる彼らが訪問しなくなれば運営者自身を見てくれる可能性を持つ人はいなくなる。目的を果たせなくなったので運営者自身も去る。結果、サイト上には誰もいなくなる。

 一部の好事家を除き、面白“かった”人には誰も用がない。面白い人のもとに人は集う。いちいち言うまでもないが、面白い人とは、今、面白いものを作り出せる人のことだ。

 この残酷な現実を受け入れ、新たな創作意欲を持ち、敢然とサイトを再開する「面白かった人」がいれば、私はきっと彼(彼女)の挑戦にわくわくするだろう。

posted by kudok @   | Permalink

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