第18回 軍艦島上陸の記録 棄てられた島へ(3/5)
病院
[動画]病院
※注意 音声ありません。視点がかなりぶれますので、乗り物酔いしやすい方、徹夜明けなどで疲れている方、今現在体調がすぐれない方は出来るだけ見ないで下さい。
学校を正面に見て右側に病院がある。L字型の4階建てで、それなりに大きいが、5000人という人口に対してうまく機能していたかどうかは微妙な感じだ。
中には、病院らしく、いろいろな部屋がある。思い出した順に書いていこう。
まず、カルテ保管室(と私は名付けた)。なんでそう判断したかと言えば、袋に入れられたカルテがそんまんま残っていたからである。学校にあった成績表、勤務表といい、なんでこんな大事なものを……と考えさせられた。上陸の記録2でもちょっと書いたが、やはり、一部の島民はもう一度島に戻れるかもしれないと思っていたのではないだろうか。
岩波書店から出ている「軍艦島 海上産業都市に住む」という本にこんな一節がある。
この後見たアパートの住居の中には、周囲を含めてきれいに清掃され、いつ帰宅してもすぐに住めるほど家財道具がきちんと整理されている部屋も少なくなかった。引っ越しが間に合わなかったというより、もしかして炭坑が再開できるのでは、といった期待が残っていたのかもしれない。
軍艦島海上産業都市に住む―ビジュアルブック 水辺の生活誌(阿久井喜孝 著)
私も同感である。
ベッドが残っている病室もあった。ベッドといっても、畳の上にシーツを敷いていたようで、そのシーツはもうなく、腐った畳だけがパイプベッドのようなものに載っていた。
そして、レントゲン室。錆びた機材がそのまんま放置されている。手術室は奥まった所にあった。誰かが照明器具に最悪のセンスで色を塗っていて、見るに耐えない。他に食堂室(?)らしき所があり、とりあえず、病院として必要不可欠なものはすべて揃っていたと言える。
渡り廊下のような場所に薬瓶が積み重ねられて捨てられていた。
住居
写真で見る以上に、建物はモダンである。左右上下に張り巡らされた通路と階段を使えば、地上に下りなくても別の棟へ行けるなど機能性も抜群だ。ただ、明らかに日の当たらない場所があり、住民全員が住みやすいと感じていたかどうかは断言出来ない。
[動画]建物外観、社宅入り口
※注意 視点がかなりぶれますので、乗り物酔いしやすい方、徹夜明けなどで疲れている方、今現在体調がすぐれない方は出来るだけ見ないで下さい。
軍艦島が誇った高層アパート群。あちこちを覗き、26年間という月日は、人の臭いを完全に消し去るほど長いということを改めて思い知った。
建物の外観だが、かなり現代的である。特に学校の隣にある高層アパートは新築の状態なら、都心のどこかに建っていてもおかしくないと感じた。コンクリートの腐食は外部も内部もかなり進んでいる。学校の階段はためらわず上がれたが、アパートの階段はとても無理だった。通路には窓ガラスの破片が散乱しており、歩くたびにガシャッ、ガシャッと反響する。それだけでなく、踏むとしなるような感じがした。一部、ひび割れだけではなく、穴も開いている。
部屋について。アパートによって部屋の大きさはまちまちだった。一番広い所が6畳+4畳半+キッチン+和式トイレ、次が4畳半+3畳+キッチン+和式トイレ、一番狭い部屋は4畳半+和式トイレという風に見えたが、あくまでも見た目なので正確とは言い切れない。
左の写真はトイレにある手洗い用の水道。右の写真を見てもわかる通り、ガラスが破損していない部屋もある。
[動画]社宅の廊下
※注意 視点がかなりぶれますので、乗り物酔いしやすい方、徹夜明けなどで疲れている方、今現在体調がすぐれない方は出来るだけ見ないで下さい。
風呂はどうやら銭湯(後述)を使っていたようで、どのアパートにもなかった。
調度品の類が残っている部屋とまったく残っていない部屋があり、残っている部屋にはこんなものがあった。
- タンス(普通の整理ダンス。中は空だった)
- テレビ(14インチ程度の大きさ。恐らく白黒だろう)
- おもちゃ
- ミシン(いわゆる足踏みミシン)
- 金庫(?)
- 冷蔵庫(1ドア)
- 台所用洗剤
- カップラーメン(聞いたことのないメーカー製)
- ポスター(水前寺清子らしき女性と、他3人が写っていた)
- 紐(網のようなもの)
- 雑誌(表紙は見ていないが、週刊誌だろう。開かれていたページには、浅草界隈のSEXサービスがどうとかこうとかという記事があった)
- お菓子が入れられていた段ボール箱
- グリコワンタッチカレー(70円)が入れられていた箱
- 一升瓶(ラベルは残っておらず)
- ウクレレのようなもの(上陸の記録1の写真参照)
- お菓子についてきたシール
左は恐らく日本酒の瓶。通路はガラスの破片と木片でめちゃくちゃだ。
島民が出ていったばかりの頃は、恐らく、かなりのものが残されていたのだろうが、台風が直撃し、風雨で流されたのであろう。当時を感じさせるものはほとんどなかった。
廃墟。その言葉以外、アパートを形容する言葉はない。