身の回りの出来事系エッセイ-33 修行と生卵

1998年3月14日執筆


 私は高校生の時まで、生卵が割れなかった。
 割れても「ぐしゃっ」という割れ方で、手が卵まみれになり、そばにふきんがないと割れないような状態だった。

 ところが。

 ある日突然、生卵をちゃんと割ることが出来るようになったのである。
 私の人生を振り返っても、1日で何かが、なんの前触れもなく劇的に変わったというのは、他に、あそこに毛が生えた時ぐらいしかない。あれも、中1のある日、いきなりそうなっていた。
 まあ、その辺の話は「青い見聞」に譲ることにして、話を本線に戻そう。
 なぜ、生卵を突然割れるようになったかと言えば、ある極限状態をきっかけとしてのことだった。

 私が行っていた高校では、1年の時に「1泊合宿」というものが存在した。
 どこかの寺の住職が来て、クラスのみんなで座禅組みながら、その住職が唱えるお経を聴いたりするのだ。1時間でもきついことを1日やるのである。「ありゃあ普通じゃねえよ」という話が、体験した人間すべてから聞こえ、やがて私たちのクラスの番になった。
 普段は野球部の合宿などで使われる合宿場で、私たちと大原和尚(仮名)の声が響く。

「ひとおぉぉぉつ、なんとかかんとかはどうとかこうとか(←お経らしい)」
「ひとーつ、なんとかかんとかはどうとかこうとか……」
「声がちいさあああああいっ!!! もう一度!」
「ひとーつ、なんとかかんとかはどうとかこうとか」
「おら、そこのっ! なにを眠っておるかああああっ」
「え、別に寝てませんけど」
「今、目を瞑っておっただろっ! こっちへ来い!!」
「いや、でも別に眠ってたわけじゃ……」
「いいから、こっちへ来いっ!!」
「……」
「そこへ座れ!」
「……」
「歯を食いしばれっ!!」
「……」

 ビシイィィィィィィ(聖徳太子が持っているような薄いやつじゃなくて、ミズノ製のバットみたいなやつで肩を叩く)

「戻ってよしっ!」

(おいおい、まじで一日こんなかよ……)
 誰もが恐怖を感じていた。生き地獄とはまさにこういうことを言うんだろうという感じだった。
 恐らく、この時感じた恐怖を、今後の人生で体験することはそうないだろう。それぐらい凄かった。

 しかし、こういった極限状態は、時に笑いを生んだりすることがある。

 大原和尚がお経を唱えている時だった。
「あははは」
 どこからか、小さな笑い声が起きた。
 途端に、一同に走る緊張。
「そこっ! 何を笑っておるかあああああっ!!」
「……」
 みんな、俺じゃないとばかりにしーんとなり、無言の状態はしばらく続いた。
 大原和尚はバットを持ち、恐怖でがちがちになっているみんなを、なめるように見渡すと、大声で叫んだ。

「この列、番号っ!!」
(大原和尚は前列の人間から1、2、3と順に番号を言わせて、該当する人間を指し示したかった)

「に、24番です」
(先頭の彼は緊張の余り、自分の出席番号を言ってしまった)

「何をいっておるかあああああっ!!」

 私を含め、関係のない人間は笑いをこらえるのに必死だった。笑ったら最後、今度は自分が被害者となってしまう。

 そんな合宿もやっと、最終日の朝食の時間になった。これさえ無事に済ませることが出来れば、すべてが終わるのである。
 しかし、朝食の内容を見て私は愕然とした。
(生卵がある……)
 和尚のことだ、生卵を「ぐしゃっ」なんて割ったら、確実に制裁しに来るだろう。ちなみに和尚は、四角くテーブルを囲んだ中央に座り込み、全員を監視している。
(どうする、どうする……俺)
 緊張で、手に汗がにじんだ。隣の人間に割ってもらおうかとも思ったが、食事中に会話を交わすことは厳禁なので、頼むことが出来ない。
 やがて、和尚の声と共に食事が始まった。
 ここで、仏教流の食事方法を書いておこう。

 まず、この時のメニューは“ごはん”“豚汁”“たくあん”であった。
 すべてに「様」を付けることが義務づけられ、食事をする前に「ご飯様がどうで、たくあん様はああで」などと唱えなければいけない。そして、器の置き場所も決まっており、確か一番偉いたくあん様(なぜたくあんが一番偉いのかは、この後に出てくるたくわんの役割で判断して下さい)が中央だったような記憶がある。
 そして食べる順番も決まっていた。
 まずはご飯。そしてとん汁。その後、食べ終わったご飯の器にお茶を注ぎ、箸で持ったたくあんを入れ、ご飯の器をたくあんでこすって洗うのだ。そしてそのたくあんを食べ、お茶を飲み干す。
「こうすることによって、何一つ無駄にすることなく、綺麗に食べられる」などと、和尚はほざいていたが、はっきり言って、史上最悪のマナーだと思われる。

 さて、問題の卵だ。
(ああ、もうみんな割ってるよ……。どうしよう……)
 たまごが食べられませんとでも言えばよかったのだが、変なこといって、和尚に絡まれるのも困る。
(もうこうなったら、運を天に任せて割るしかない)
 私は気合い一発で生卵をテーブルにぶち当て、殻を割った。
(……)
 この時ほど、天に祈りを捧げたことはない。
(……よかった)
 ものの見事に卵は割れ、黄身と白身がぬめっと出てきた。

 これ以降、私は生卵を完璧に割れるようになり、一度も失敗したことがない。
 それまでは100回割ったら100回失敗していた人間が、一度の成功を経て、完璧に割れるようになったのである。
 不思議と言えば不思議だが、あの極限状態が私を変えたのだろう。
 そう考えると、私の人生においてほとんど意味がないと思われた、あの一泊合宿も、それなりの意味があったんだなぁと思う今日この頃である。

 ただ、あの和尚に関しては、いまだに納得出来ない。

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