2010-5-26 Wednesday

2002年日韓ワールドカップ準々決勝『イングランド対ブラジル戦』後、新幹線車内であった話

 先日、なにか書きながらBGMのつもりで流していたBS1の『ジャパンブルーに託す夢 徹底解剖!!FIFAワールドカップ』にて、知る人ぞ知る、2002年日韓大会でデンマーク代表のヨン・ダール・トマソンがかかわったとされる美談の真偽が本人の口から明らかにされた。
 美談の内容は元のサイトからあっちこっちに転載されているので検索ですぐに見つかるが、簡単に説明すると、口と耳が不自由だという少年が和歌山でキャンプを行っていたトマソンにサインをもらう際、トマソンに手話で話し掛けられ、驚いてなぜ手話ができるのかと尋ねると、「自分にはきみと同じく障害を持つ姉がいるから」といわれ、更に「大会で必ず点を取るからきみもがんばれ」と励まされたというものである。

 私はこの話をリアルタイムで読み、ご多分に漏れず、感動した。そしてあれから8年、番組でトマソン自身がこういった。

「自分は一人っ子だし、手話もできないよ」

 実は2002年当時から「ほんとにこんな話あったのか?」と疑っている人たちが少なからずいたのだが、私はこの番組を見るまで心のどこかで信じていたのでショックだった。

 なので、というのもなんか変だが、番組を見て久しぶりに思い出したので2002年ワールドカップ日韓大会において実際に私が遭遇したある出来事について書きたいと思う。

 2002年6月21日、静岡のエコパスタジアムで行われた準々決勝『イングランド対ブラジル』。私はスタジアム内にいた。昼間に行われた試合ですごく暑くて、たまらずジュースを買いに行って戻ってくる間にロナウジーニョがフリーキックを決めていた。

エコパスタジアム

エコパスタジアム - Wikipedia

 試合は2-1と1点差でブラジルが勝ったがブラジルがイングランドを手のひらに置いたような内容で、素人の私から見るとブラジルの完勝、イングランドの完敗だった。

 その帰りの新幹線車内での出来事である。私が乗っていた自由席、周りにいたのは日本人と(他のヨーロッパ人もいたかもしれないが、多分)イギリス人だけ。ロナウジーニョがまだバルセロナに移籍する前で日本での知名度と注目度は圧倒的にベッカムが上、というわけで日本人はイングランドをより応援していたと思うので、車内はどんよりと静まりかえっていた。また、私自身半熱中症みたいな状態で頭が痛かったので、他にもそういった人がいたかもしれない。
 そんな車内で、一番前の方に座っていたイギリス人の男性が突然立ち上がり、張りのある声を上げた。

Hey,Girl!

 ヘイ、ガールというのはコント番組で日本人がいっているのは聞いたことがあるような気がするが、本物の発音で聞いたのは初めてだった。とりあえずガールの発音がまるで違った。
 ひそひそ話もないような状態だったから、車内にいた人間が一斉に彼の方を見た。私も少し首を伸ばして彼の方を見ると、どうやら通路に立っていたイギリス人の家族連れ、その中の小学生ぐらいの女の子に席を譲ろうとしているらしいということがわかった。
(偉いなあ、彼も疲れているはずなのに)
 と思って見続けていると、女の子ではなく体重が90キロぐらいはありそうな大柄な女性が男性が空けた席に座った。おそらく女の子の母親だろう。(あれ、譲ろうとした相手はガールじゃなかったか……?)と私の頭の中ではクエスチョンマークが乱舞したが、席を譲られた女の子が更にしんどそうな母親に譲ったということでイギリス人男性の好意は無駄にならなかったと思う。

 これ以降、私は車内ではできるだけ立ち、座っていて子連れの女性や妊婦などが乗ってきたときは可能な限り席を譲るようになった。
 端的にいうと、あの出来事を目撃するまで、満員の車内で立ち上がり、声をかけるということが気恥ずかしくてできない、更にいうなら、スタンドプレーと思われたらどうしようとか、席を譲ることが失礼になったらどうしようとか思って躊躇していたわけなのだが、静まりかえっていた車内、しかもあの状況で女の子に席を譲ったイギリス人に深い感銘を受けた。そして知ったのだ。もしかしたら、席を譲ろうとしている相手のほかに席を求めている人がいるかもしれない、それはやはり立つことでしか知ることはできないのだと。

 私は席を譲ったイギリス人の顔を見ていない。背中だけだ。当然、言葉も交わしていない。だが、そんな希薄な関係の彼の行動で私の行動が変わった。

 人生において、あるいは仕事において、頑張って動いた、あるいは動いているのに直接的反応を大して得られず空しくなることは多々ある。しかし、人の行動による影響の範囲というのは思いのほか大きく、予想もしていない人に気持ちが伝わっている可能性がある。それを学べたのが2002年日韓ワールドカップ、そしてあの日、あのときの最大の収穫だった。

posted by kudok @   | Permalink

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