小説家など、クリエイターとして成功したいと思っている人に対して、よくアドバイスされる言葉に「諦めない(続ける)こと」というのがある。私も昔、「小説家になりたいんですけど、どうしたらいいんですか」と聞いてくる人にどや顔で言っていたような記憶がある。しかし、年を取るにつれて、もっと現実的で大事なことがあるのではと思うようになった。
往年の人気漫画『SLAM DUNK』で、湘北高校の安西先生が、バスケの試合で点差をつけられている選手たちに向かって「諦めたらそこで試合終了だよ」と言っていたように、成功という結果を出したいなら諦めないこと、というのは事実には違いない。だが、「諦めなきゃ成功するのか?」「諦めなきゃクリエイターになれるのか?」と問われると、首を傾げてしまう。諦めないことというのは大きな言葉で、若い人へのアドバイスとしては便利だが、一緒に伝えないといけない、もう少し詳細で、もう少し具体的なアドバイスがあるのではないかと思う。また、プロのクリエイターはなれるまでに時間がかかるし、なれたとしても食べていけるまで更に時間がかかる場合もあるから、年を取ってから役立つ具体的なアドバイスを欲している人は少なくないだろう。
しかし、面と向かってのもの、メールでのもの以外に、ブログに上がっているアドバイスも、漠然としたポジティブとでも言うのか、それこそ、「諦めなければ必ず夢は叶う」的なものが多い気がする。
もし、本当にそればかりだったらよろしくないというわけで、経験を元に、クリエイターになりたい、あるいはクリエイターとして成功したい人にとって、中年以降の活動では絶対これを失うなという二つのことを書いてみたい。
正気を失わないようにする
中年版の「諦めない」とでも言おうか、今、私がもっとも大事にしているポリシーだ。
正気を保つということがどれほど大切なことかは、以下のように言葉を並べてみればわかる。
- 諦めていないが、正気を失った状態でクリエイターとしての成功を追求している中年
- 諦めておらず、正気を保ったままクリエイターとしての成功を追求している中年
どちらも諦めてはいないが、どちらがクリエイターとして成功しやすいかは一目瞭然だろう。
ここで言う「正気を失った状態」とはなにか? という疑問に答えておくと、たとえば、「自分がクリエイターとして成功出来ないのは、政府などの大きな組織が裏で圧力をかけて妨害をしているから」と、ここまで逸脱していなくても、
- 作品を発表すると叩かれるので怖い、フラッシュバックが生じる、だからなにも手につかない
- いつかクリエイターになりたいが、将来の生活の不安で押し潰されそうになり、殻に閉じこもっている
- 今の自分は世間から認められていないという現実を直視することが出来ず、酒やギャンブルなどに逃避してしまう
ということであっても、そうだと言えると思う。つまり、ここでの定義は、クリエイターとして成功するために絶対必要な、作品の制作作業をまったく行えない心理状態が長時間続いている状況ということになる。
若い人でも、こういった心理状態に陥ることはあると思うが、彼らには友人、同じ志を持つ仲間、恋人という逃げ場があることが多く、仮に正気を失ったとしてもサポートしてもらえる可能性がある。
ところがクリエイター志向の中年は、やりたいことを突き詰めていく途中で、友人、同じ志を持つ仲間、恋人を失っている、あるいは彼らから距離を置かれていることが多く、手を差し伸べてくれる人がいないので、一度、正気を失ってしまうと深刻である。正気を失っている頃は、そういった自分を見られたくないという意識が働き、孤独はむしろ歓迎となることが多いが、時間が経過して、正気を取り戻せるかもしれないとなったときに引っ張り上げてくれる人がいないと、今度は改めて認識した孤独感によって生じる不安に押し潰されてしまうことになる。
特別図解『クリエイターの真の孤独は中年以降に訪れる』
若いクリエイターの孤独
上の図のように、自分から距離を取って孤独を演出しているケースが多く、自分の気持ちのさじ加減で恵まれた人間関係が復活する可能性がある。
中年クリエイターの孤独
若い頃と違い、距離を取られてしまっているので、自分の気持ちだけではどうにもならない。
業界で実績があるとしても、仕事を依頼する側からすると正気を失っている人には頼みづらいので、年を取ってもずっとやっていくというのであれば、真っ当なものを作れる精神状態を頑張って維持していくようにしたい。
流行へのアプローチを失わないようにする
年を取ると若い感覚がなくなっていくというのは真理だと思う。私の場合、ムーディーズのバコバコバスツアーのように一度にたくさんの女優が映る作品を見ると、今、画面に映っている女優がそれぞれ誰なのかまったくわからなくなる。プレステージの『続・素人娘、お貸しします。』シリーズに至っては、同じ女優が名前だけ変えて出演し続けているようにしか見えない。若い女性の顔の区別がつかなくなっているのだ。
同じように、線が細くて画面が入り組んでいる漫画は全部同じに見える。アニメで、目が大きい少女漫画風のタッチで、後頭部に大きな汗がにゅっと出てくるといった演出があるものは、全部、同じ人が原作を描いていると思っていた。
このような区別がつかないものを見せられるのはつらいので、流行り物からはできるだけ距離を置くようにしていた。
しかし、一般人としてはそれでいいが、物書きという立場だと、知っている世界が古いままなので現代の感覚というのがまったくわからなくなり、困ったことになる。「今の流行りはまったくわかりません。得意なことだけをやらせてください」ということだとピンポイントの仕事しか来ない。だが、「若い世代の感覚にも、まあ、なんとかついていけます」であれば、いろいろな仕事が流れてくる可能性が高くなる。大物なら得意なことだけでも食べていけるだろうが、そうでないなら、なんでも出来るという状態を常にキープしておくのが大事だ。そのため、数年前から、流行っているもの、話題になっているものは出来るだけなんでも見るようにしている。
流行への再アプローチを開始した頃、悩んだのが「たとえ、時代を代表すると言えるほどに流行っているのだとしても、自分と趣味嗜好が違う人たちの間で流行しているものであるなら拒否したい」という葛藤である。
たとえば、あのAという作家を好きな人って、なんか自分とは違う感じで好きになれないんだよなあと思っていたところ、
と、よりによってA氏の大ベストセラーを読んで嬉しそうに報告してきた友人に対して抱く、
という心理。これを打ち消さなければならない。
「若い人にもそういう心理ってあるよね? 若いクリエイターはその辺気にしなくていいの?」と思う人も多いだろう。
私が思うに、若い人は、
とか、
でも別に問題なく、時代をきっちりと取り込んで表現できるはずだ。
なぜというと、流行しているものとは別ではあるが、同じ系列のものにアプローチしていることが多いからだ。
簡単に言うと、
といった風に、ある時代に並び立っているもののいずれかには興味を示し、それを体験することで、その時代の流行、空気、流れといったものを取り込むことができるのである。
ところが中年の場合、流行しているものは拒否となると、その下にある同系列のものは目に入らないので、
となってしまう。
だから、時代の空気を手っ取り早く抑えたいのであれば、一番アプローチしやすい、大流行しているものへ無理矢理にでも行くべきなのである。流行しているものになんでも乗るのは恥ずかしいとか抵抗があると思う性格なら、性格を変えるか、そういう意識をぶった切るしかない。
もし、若いクリエイター志望の人が読んでくれているなら、以上二つを失わないようにするということを、「諦めない」以前に徹底してほしいと思う。年を重ねていくと、「諦めないこと」だけではどうにもならないことが待っている。今は、正気を保ち続けられなくなることがあるかもしれないとか、面白いものをなにも考えずに面白いと受け取れなくなるかもしれないなんて考えられないと思うが、それぞれ、誰でも失う可能性を持っているということを心に刻んでほしい。
その状態で諦めずに努力を続ければ、年を取ってからでも成功できる確率が、心に刻まなかった場合と比べて、たとえわずかであっても高くなると思う。