ここ最近の、若者がアイスケースや冷蔵庫に入って云々のトラブルは、往年のテキストサイト運営者からすると身につまされることなのではないかと思う。
テキストサイトには団しん也ばりのスマートな笑いしか載せていないところもあるが、どちらかというとなにかを貶めて笑いを取るという文章が多い印象がある。たとえば、
- 打ち切られた漫画のレビュー
- いわゆる“クソゲー”の紹介
- 自分と(一方的にでも)接点のあったエキセントリックな人の話
あたりは多かった気がする。うちも例外ではない。
こういう文章を書くのは、心のどこかで、「まさか、漫画家及びゲームメーカー及びエキセントリックな人が俺のサイトにある当該文章をピンポイントで見つけて、直接抗議をしてくることはないはずだ」と思っているからだろう。
だが、私の経験から言うと、確かに当人がメールを送ってくることはないのだが、当人とは(多分)直接的な関係のない人が、
- 作者に対しての敬意がない
- 人を馬鹿にする文章は読んでいて不愉快
といった抗議のメールを送ってきたり、掲示板への書き込みを行うことは少なくないのだ。
「日本人の道徳心の高さからすれば、そういうことは当然あるだろう」と頷く人は多いと思う。私も今なら不思議には思わない。だが、上記の流れを『ドラえもん』に当てはめてみると、
↓
こんな感じになる。登場人物に詳しい人がこのストーリーを読んだら、考え込んでしまうと思う。星野スミレはパー子(パーマン3号)なので、普通の人よりも正義感が強いという認識を持っていてもだ。
と、当事者ではなく、当事者と親しいわけでもない人がそこまで怒るということが不思議で、クエスチョンマークを乱舞させるだろう。
十数年前にサイトを開設してからしばらくして、上記のような展開になったとき、私も意味がわからなかった。文章で取り上げた人と(多分)まったく縁もゆかりもない人が批難をしてくるというのが理解出来なかったのである。なぜ、直接的に迷惑を受けたわけではないのに、俺に対してここまで怒るんだろうと思った。
実社会においてトラブルを引き起こすようなことをしたとき、当事者ではない人に批難されたという経験を持つ人はきっと少ない。大抵、スルーされるだけだ。
アイスケースに入った人たちも、多分、その場にいた客に怒られはしなかっただろうし、後日、店ともアイスとも無関係の人に怒鳴り込まれもしなかったはずだ。
ところが、ご存じのようにインターネットでは当事者ではない人が公然と批難をしてくるということが起こる。なぜ起こるのかということについては、いろいろな人の解釈に委ねるとして、とにかく起こるわけだ。しかも誰にでも起こりうる。そして、そのことは実際に自分に対して起こらないとなかなか理解出来ない。
というのは、ネットを実社会とは似て非なる領域ではなく、実社会そのまんまと考えている人にとっては相当不可思議なことだと思う。
アイスケースや冷蔵庫に入った人が、フェイスブック、ツイッターというツール、そしてインターネットをどのように認識していたのかはわからないが、やはり、赤の他人が批難をしてくるというのは単純に想像出来なかっただろう。それは、彼らを含めて炎上を引き起こしてしまった人のコメントに「こんな大事になるとは思わなかった」といった感じのものが多いことからも明らかだ。多分、アップした文章に対しての多数の抗議メール、掲示板への書き込みを受けた往年のテキストサイトの管理人の本音も似たようなものに違いない。少なくとも私はそうだった。
私を含めた彼らは、
笑ってくれる人 10人 直接怒ってくる人 0人 スルーする人 不明
ぐらいの、実質10人中10人の笑いを取れる、得られる社会的評価の期待値が1000%ぐらいの絶対に勝てる勝負をやったつもりだった。期待値が確実に100%を上回ると信じ切っているからやったのだ。ところが、実際は怒る人の数が笑ってくれる人の数を遙かに上回り、社会的評価はマイナスになった。
この事実から導けることは、ネットにおいて、なにかを貶めたときに反応する人の数は、
直接怒ってくる人 0人
ではなく、
直接怒ってくる人 0人~
ということだ。笑ってくれる人の数は推測出来る程度なのに対し、怒る人の数はある意味で無限なのである。もし、今、ネットでなにかを貶めても周囲に自分を叱る人が見受けられないのなら、それは単に膨大な数の怒る人に見つかっていない=運がいいだけなのだ。ネットでなにかを貶めて笑いを取ろうとする人は、かなり分の悪い勝負をしているのだということを自覚しておくべきだろう。