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文藝春秋社に電話をかけようとする、その私の傍らには一冊の本があった。それは、
『ダカーポ 382号 特集は“誰でも売れる本が書ける”』
この雑誌には、新人賞に応募するというプロセスは完全に無視されていて、原稿持ち込みでいかに本を出すかということが、編集者のインタビューなどを交えて書かれていた。そして、この雑誌に「持ち込み原稿を受け付ける出版社」として、文藝春秋社の名前があったのである。
(そうだ、わざわざ新人賞なんて回りくどい方法を取らなくても、持ち込みして認められれば一発で決まるじゃないか! 文藝春秋社は自由度も高そうだし、結構いけるんじゃないか)
目の前で読んでもらえさえすれば、なんとかなる。
私はそういう気持ちで、緑茶などを飲み(落ち着け……)と自分に言い聞かせながらも、かなり緊張して電話をかけた。なんと言っても、この電話が伝説の第一歩の可能性もあるのだから。
トゥルルルル トゥルルル ガチャ
「はい、もしもし文藝春秋社でございます」
女性の受付の人が出た。
「あ、えーと、あのー、ダカーポという雑誌を見てお電話差し上げたんですけども、原稿の持ち込みをしたいんですが……」
少し間が空き、やがて腫れ物に触るとき発するような声が聞こえてきた。
「……それは、賞へのご応募ということでございますか?」
感じとしては、合コンで一言も話したことのない男から、いきなり電話がかかってきた時に女が発する「……なんですか?」の口調と似ていた。
「いや、そうではないんですけど」
私がそう言って、短い沈黙が訪れた後、
「……少々お待ち下さい」
最後まで胡散くさげな対応で、受付嬢は電話を転送した。
「はい、もしもし」
15秒ほど経ち、今度は中年の男性のかったるそうな声がした。ちょっと元気のない加茂前サッカー日本代表監督といった感じたろうか。
私はさっき受付嬢に言ったことを、そのままこの男性に言ったのだが、彼は私の言葉を無言で聞くと、少し間を空けて言った。
「……それで、どんなジャンルなんですか?」
「えーと、エッセイですね、いわゆる」
彼はこの言葉を聞くと、間髪入れずに言った。
「あー、それは無理ですね。男が書いたエッセイなんて、有名人のものでもない限り、売れるわけありませんから」
そして彼は続ける。
「失礼ですが、あなたのお立場はどういったものなんですか?」
「いや、お立場って……」
思わず言葉に詰まった。しかし、無理に言葉を出した。
「普通のお立場ですけど」
「うーん……それじゃなおさら無理ですね。ちなみに……内容はどういったものですか?」
こちらの精神を圧迫してくるような、怒濤の追い込み。「はいはい、もうわかりました、すいませんでした、切ります、さようなら」と何度も電話を切りたくなったが、半分意地で会話を続けた。
「まあ、身近にあった面白い話とか、恋愛の話とか……」
「あー、もう無理です、それは。絶対無理」
誰も本を出してくれとは一言も云ってなく、「原稿を見て欲しい」としか言ってないのだが、彼の考えの中にいる私は「自分は才能があると勘違いしていて、本を出せと吠えているごり押し男」としか映っていないらしい。
「そういうのはプライバシーの問題とかに関わってきますからね。だって、出てくるのはあなたの身の回りの人でしょ?」
「まあ、そうですけど……」
「じゃあ、無理ですね。ま、そういうのは、友達とかに見せるんだったらね、まあいいと思うんですけどね(笑)」
彼は鼻で笑いながら言った。さくらももこやけらえいこも、編集者にこんなことを言われたんだろうか。
「まあね、こちらとしても送られて来れば読みますよ、ええ。でもね、それだけですよ。それで構わないんなら、送ってきて下さい」
この瞬間、編集者に対して散々文句を書いた本を出版し、壮絶に散っていった森雅裕氏の気持ちがちょっとだけわかった気がした。
私は、負け犬の遠吠えにならぬよう、極めて落ち着き払った態度でこう言った。
「とりあえずわかりました。まあ、あなたも僕の書いたものを読めば多少は考え方変わるかもしれないですけど、そういうスタンスでしたら、こちらとしても持ち込むのは諦めます。わざわざありがとうございました」
これを言わせたのは、いつもの自信ではなく、意地であった。
全国の作家志望の人の拍手が聞こえてくる(幻聴か?)。とにかく私は、敢然とそう言い放ち、電話を切った。
まず、今回わかったのは、
というところだろうか。
よって、私は新人賞に応募するという風に気持ちを切り替え、早速本屋に行って、その手の情報が載っている本を買いに行くことにした。