第3回 國學院大学で週刊少年ジャンプを読んだ日(2/5)
しばらくして、調査書が出来たと学校から電話があったので、私はバイトの休みを利用して学校までバイクで取りに行った。
「失礼します」
と職員室に入ると、『わけのわからない理由で大学進学の道を蹴った男』として、うちの学校でも有名だった(テレビにも出ているので)私は、いろいろな先生に声を掛けられた。
「工藤、学校やめたいらしいな、だから大学行けって言ったろ。今何やってんだ?」
「工藤、小説は書いてるのか? 見通しはどうだ?」
「工藤は、もう駄目だね(←意味不明)」
そのうち、お茶やお菓子までもが出され、私は英単語の口頭試問とかの会場で、あれほど嫌だった職員室ですっかりくつろいでいた。ちなみにこの高校の職員室の冷蔵庫には、なぜかビールが入っているのだが、職員とは言え、学校で酒飲んでいいのだろうか。まあ、私立だからその辺はアバウトなんだと思うが……。
どうでもいいが、それなりに出来た国語、好きだった社会と違って、私の英語の実力はとにかく悲惨なもので、中学の定期試験の時から10点台を連発していた。高校の時、教科書の英文を和訳しようとしたのだが、その文章の中に、“MYSTERY”という単語があった。普通に読んで『ミステリー』である。
が、当時の私にはこの単語が「マイ ステリー」と読め、「ねー、この文章なんだけどさ、『私のステリー』ってどういう意味なんだろうね?」と真顔で友人たちに聞いた。
「おまえは英語さえ出来れば、なんの問題もないのにな」
とは、担任によく言われていた言葉である。ちなみに、代ゼミの模試の全国偏差値(英語)は41とかそんなもんだった。
話を戻そう。
「工藤、大学受けるのか」
担任だった松田先生(仮名)が、以前とまったく同じ、弱々しく貧相な声でそう言った。迫力にまったく欠けるさだまさしといった外見だ。ダスキンのCMを代わりにやったら、さぞかし売り上げが落ちることだろう。
「はあ」
私はお茶をすすりながら返事をした。
「どこ受けるんだ」
「國學院大学です」
私は堂々と答えた。
「国士舘じゃなくて?」
「違います」
私は堂々と否定した。(ちなみに国士舘は今、かなりレベル上がってます)
「國學院はちょっと難しいんじゃ……」
松田先生の顔がにわかに曇る。予想された反応だ。現役でも不可能であっただろう國學院を、卒業してからなんの勉強もしてこなかった私が受かるはずがない。
しかし、今回は奥の手があるのだ。
「いや、先生。実は、国語だけで受けられる入試があるんですよ」
私の力強い言葉に、松田先生の顔が緩んだ。
「ほう……なら、ひょっとするかもな!」
その時である。どこからともなく現れた長身の男が、私の横に並んだ。
手にはなにやら紙を持っている。……どこかで見たことのある顔だ。
!
そうだ!
彼は、体育の授業でバレーボールをやる時、ジャンプをしないでスパイクを打って、いつもネットに当ててひんしゅくを買っていた内山君(仮名)ではないか。どうやら、内山君も調査書をもらいに来たらしい。彼が持っていた紙には、これでもかと志望校が書き込まれていた。いったい、全部でいくつ受けるつもりなのであろうか。しかも、第一志望から第五志望まで全部青学だ。3年に1回ぐらいしか、うちの高校からは合格者が出ない大学だ(笑)。
「随分受けるね」
私はその紙を眺めながら言った。受験料だけで30万ぐらいかかりそうだ。
高校時代から無口だった彼は、私の言葉にただ笑うばかりだった。
……そして月日は流れ、3月。とうとう受験の日がやってきた。