第17回 湘南物語 ある高校生の青い文通(1/6)

サイト掲載日 1997年頃 エッセイ

 文通。なんとプラト(1/6)ニックな響きだろう。パソコン通信における「電子メール」というデジタルな通信手段に馴れてしまった私には、封筒を買って、文章をシャープペンで書いて、シールで封をして、切手を貼ってポストに出すというアナログなことを行う「文通」という通信手段が、えらく新鮮に感じる。 
 かと言って、「今、文通をしたいのか?」と聞かれれば、相手が藤本美貴でも「いやだ」と答えるだろう。それは、あまりにも悲しく空しい結果を残した文通を、そうなるとも知らず楽しく繰り広げた私の率直な気持ちなのだ。 
 これから語られる話は、ある純朴な青年が体験した悲しい文通の物語である。


 高校一年生の時だった。“入試で0点を取らなければ入れる”と言われた私立男子校に通っていた私は、なんのときめきもないまま、高校生になって初めての夏を迎えようとしていた。入った当初は周り全部が男という現実に絶望していたが、時間が経つにつれてそれが当たり前になり、もう女の子がいようがいまいがどうでもよくなっていた。 
 そんなある日のことである。
「工藤ちゃん、佐伯ちゃん(仮名)、文通する気ない?」 
 その申し出はいきなりだった(注・うちの学校はどういうわけかみんな、ちゃん付けで呼ぶ傾向があった。理由は不明)。 
 私の左隣(佐伯君)のそのまた左隣に座っていた長身の中川君(仮名)が、休み時間、私と佐伯君の方を向いて、急にそんなことを言い出した。ちなみに中川君は巨人の清原によく似ていた。
「文通? 誰と?」 
 隣の席ということもあって一番最初に仲良くなり、装甲騎兵ボトムズのビデオを貸してくれた佐伯君(現在、奥さんと子供と共に幸せな家庭を築いている)がそう尋ねた。ちなみに彼はバレー部に所属しており、背が高く容姿はかなりよかった。どういう容姿かというと、「亜美AGAIN」に出てくる河野に似ていたというとわかる人にはとてもよくわかるだろうが、わからなくても特に支障はないので気にしないでほしい。
「いや、俺が今、文通している奴がさ、紹介してくれって言うんだよ」 
 中川君は集英社から出ていた「ダンク」とかその手の雑誌をよく買っていて、そこの文通欄に載っていた人と文通をしていると聞いたことがあった。どうやらその話の延長らしい。

「ダンク」とかその手の雑誌とは

 中高生の男をターゲットにしていると思われる400円ぐらいの雑誌で、表紙はアイドル、カラーページもアイドル(水着)、中のモノクロページには読者からの初体験話投稿などが載っていた。ダンクの他にはザ・シュガーやボム、GOROなど。

「え~、どうしようか?」 
 佐伯君が私に聞いてきた。
「別にいいけど、なんか嫌な予感がするな」
「俺もそう思う」 
 だが、結局、申し出を受けることにした。嫌な予感がすると言いながら、「女の子と手紙の交換が出来る」ということにときめいたのは事実だ。言葉とは裏腹に、素敵なことが始まる予感がしていた。
「で、彼女たち、どこに住んでるの?」
「愛媛」 
 その地名を聞いた瞬間、文通の最初の話題はポンジュースに決めた。
「じゃ、いいんだね」 
 中川君は私たちにそう確認を取った後、
「それじゃ手紙にそう書いておくよ。確か、向こうから先に来るって言ってた」
  と続けた。
「おし、わかった」 
 文通相手は既に決まっているようで、私の相手は綾小路麗華(仮名)という名前の人だった。

 そして一週間後、手紙は来た。 
 女の子独特の丸っこい字で書かれており、「結構可愛いのでは」と想像させた。こういう思いがエスカレートしていくと、空想と妄想で、とてつもない理想像を相手の女の子に投影してしまうことになるのだろう。通信をしていて、すごい思い込みをしてとんでもないことをやる人の話をよく聞くが、単純には笑えないものがある。男なんてそんなもんだ。 
 手紙には、『趣味 料理・手芸・音楽を聴く』と書いてあった。料理、手芸はともかく、当時の私にとって音楽はもっとも苦手なジャンルだった。「フットルース」のサントラ(唯一持っていた洋楽アルバム)テープを部屋に置いといたら、高校の友人に「いまどき、フットルースなんて聴いてる奴いねえよ」と笑われた。 
 完全な余談だが、当時、CDはまだ普及してなくて、貸しレコード屋全盛の時代だった。よって私も貸しレコ屋で「フットルース」を借りたわけだが、録音の仕方が凄かった。コンポを持っていなく、てんとう虫プレーヤーのちょっといいやつと、マイクに電池を入れないと録音できないモノラルラジカセしか持っていなかった私は、息を止めながらレコードに針を落とし、スピーカーの前に置いたラジカセの、一時停止ボタンを静かに解除し、抜き足差し足で部屋を出ていくというやり方でテープを作っていた。途中くしゃみでもしようものなら、再録音である。レコードの片面が終わる頃になると、また抜き足差し足で部屋に近づいていって、ふすまをちょっと開けて様子を見るという、かなり情けない行動をしていた。

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