身の回りの出来事系エッセイ-1 天ぷら油に引火
1997年9月23日執筆
てんぷら油に火が引火して、アパート全焼。
最近はガスコンロが賢くなって、ある温度まで上昇したら自ら火を消すという機能があるが、それでも新聞やテレビなどで、こういった事件をよく見る。
私は、とても他人事とは思えない。なぜなら、私もてんぷら油に火を引火させたことがあるからだ。今日はその時の恐怖体験を語っていきたいと思う。
中学生の時だった。育ち盛りだった私は、学校から家に帰ると食料を漁ることを日課にしていた。食パンがあれば、ピーナツバターつけて一斤丸ごと食べてた。
そして問題の日。いつものように冷蔵庫を漁ったが、なにもない。納豆や卵があればそれを単体で食べるのだが、それすらなかった。
仕方なく、「アイスでもないかなぁ」と冷凍庫を見ると、冷凍食品を発見した。
ヒレカツ
冷凍食品など作ったことがなかったので、どうすればいいのかよくわからなかったが、袋の説明書を見ながらとりあえず作り始めた。
「油が180度ぐらいになったらヒレカツを入れる……ね。はいはい」
180度。それは中学生の私にとって謎の温度だった。なにがどうなれば180度なのかまったくわからない。油の温度をはかる温度計でもあるんじゃないかと台所を見てみたが、そんなものはなかった。まあ多分、油も、沸騰した時点で100度ぐらいで、それからちょっと待ったぐらいが180度だろうと適当に考え、鍋に油をなみなみと注ぎ、強火で温めた。とにかくヒレカツだ。ヒレカツさえ食えれば、120度であろうが280度であろうが関係ない。
(水の場合、沸騰するのに1、2分ぐらいかかるから、油もそのぐらい待てばいいだろ)
私はテーブルの上に座り、夕刊をゆっくりと読み始めた。
テーブルからコンロまでは1メートルほどの距離があり、しかも私はコンロに背を向けていた。これが仇になった。
火を点けて相当経った時、なにか妙な空気が鼻を突いた。
「ん? なんか変な匂いがする」
そう思って振り返ると、油の入った鍋からモウモウと黒い煙が立ち上っていた。煙はあっという間に部屋に充満し、私は右手で懸命に払いながらガスコンロへ向かって走った。
「うおおっ、やべぇ!! 忘れてた!!!」
そう、はっきり言って、私は新聞と再放送の大岡越前を交互に見ながら油を熱していたこと自体忘れていたのだ。相当馬鹿だ。私はコンロに前に立ち、すぐに火を消した。その瞬間……。
「うわあああああ!!」
「ぶおっ」という音と共に、鍋の油に火が引火したのだ。火の高さは30センチぐらいはあっただろうか。まるでアラブの原油生産地状態だ。
「うわああああぁぁぁぁぁ」
完全にパニックに陥った。これはやばい。かなりやばい。
私の頭の中に、
てんぷら油に火が引火 団地全焼
の文字が躍る。その通りになったら、人生早くも終わりだ。
私は燃え盛る火を見ながら必死に考えた。消防署に通報するか? しかし、そんなことしたら、親にどれだけ叱られるだろうか。団地全焼も怖いが、親に叱られるのも怖い。中学生の思考なんてそんなもんだ。
どうにかして自力で、この窮地を脱出する方法はないだろうか。
そうこうしているうちに、妹が帰ってきた。
「ちょっと、なに? 燃えてるじゃん!」
言われなくてもわかってる(笑)。
「早く消してよ!」
「消したくても消せねぇって!」
私の慌てふためいた声に、妹も状況が掴めてきたようだ。
「どうすんの? やばいよ!!」
「やばいな」
このまま放っておけば、油がなくなったとき鎮火するかもしれない。しかし、その前に火の脇にある棚に燃え移って大変なことになるかもしれない。
妹はなんだかんだ言って、テレビを見始めた。凄い余裕だ。
てんぷら油に引火して燃え盛っている炎。呆然と火を見つめる私。構わずテレビを見ている妹。シュールな図だ。
5分は経っただろうか。妹も焦ってきたようだ。
「お兄ちゃん、怖いよー」
妹の妙にぼくとつな言い方が、私の恐怖を更に増幅させる。
こうなったらもう、119番しかないのか。
しかし、その時、ある日のワイドショーの字幕が不意に浮かんできた。
三田明 てんぷら油に引火した火に水をかけて、顔面大やけど
そして同時に、その時の三田明の記者会見がプレイバックされる。
記者会見の後、ワイドショーの司会者は言った。
「てんぷら油に火が引火したら、水をかけてはいけません。油が跳ねて危険です」
真っ暗だった目の前が急に明るくなった。そうだ、そして司会の人は次にこんなことを言っていた。
「もし引火してしまったら、バスタオルに水を含ませて、それを上からかけましょう。それで火が消えます」
そうだ、そうだった!!
私は速攻でバスタオルを風呂場に持って行き、たっぷりと水を含ませて、台所に戻って火にかぶせた。
――じゅっ
火は無事に消えた。
「うおおおおおお!!!」
ドラクエで竜王を倒した時同様、ガッツポーズをして私は吠えた。よく衝撃の映像集とかで危機を脱出して大喜びしている人たちを見かけるが、ああいう人の心境が、この時ほどよくわかったことはない。
「もう、ほんと気をつけてよね」
先ほどとはうって変わった、妹の冷めた言葉が私の耳に入る。
しかし、そんなことはどうでもいい。私はある種の感動に浸っていた。
ありがとう、ワイドショーの司会者の人。私はあなたを一生忘れない。