身の回りの出来事系エッセイ-18 「初」に点はあるのか

1997年11月3日執筆


 喧嘩というのは、実に些細なきっかけから始まるものだ。
 仲直りした後、「なんで喧嘩したんだっけ?」というほどに、火種は小さいものである。しかし、一度火が点けば、日頃、相手に思っていた不満などが噴き出し、大変なことになる。

「ねぇ、工藤くん」
「なあに」
 向かい合って座りながら話している一組の男女。それは、ここでの常連、『もう話したくもないし、話すこともない』の彼女……いつもこの紹介では長いので、あずさちゃん(仮名)としておこう、彼女と私である。
「心理テストしていい?」
 見た目、かなり性格きつそうな彼女なのであるが(実際そうなんだけど)、こういう時の彼女は実に女性らしくて、あまりの可愛さに身体がとろけそうになってくる。
「うん」
 デレデレになってそう返事をする私。呉さんではないが、思いだしても欽ちゃん跳びをしたくなってくる。
「シンデレラいるでしょ? あのシンデレラは王子様と結婚したよね。それでぇ、その後、王子様はどうなったでしょうか?」
「どうなったって? どういうこと??」
「んー、だからぁ……シンデレラと結婚して、まま母たちをいじめたか、それとも、まま母たちと仲良くしたか、それともシンデレラと変わらずに幸せに過ごしたか」
 彼女はそう言うと、顎を両手に乗っけて、少し赤みがかった輝かしいばかりの笑顔をこちらに向ける。
「そうだなぁ……」
 彼女の目を見ながら、私は考えた。
「多分、何も変わらずにシンデレラと仲良く過ごしたんじゃないのかな」
「……そっかぁ……何も変わらないのかぁ」
 彼女は笑みを浮かべながらそう言った。
「なんの心理テストだったの?」
「……知りたい?」
「うん」
「じゃあ、教えてあげよっか」
「うん」
 彼女はちょっともったいつけるように一呼吸置いてから、こう言った。
「男の人が結婚したら、奥さんに対してどう変わるかっていうテストだったの」
「あー、じゃあ俺変わらないんだ」
「うん、変わらないんだね」
「まあ、俺があずさのこと好きっていう気持ち、絶対変わらないし」
「ほんと?」
「勿論だよ」
「そっか」

 あまりに青い会話に、今、画面に向かってこれを読んでいる数人の人たちが、速攻でバックボタンを押している様子が想像出来る。私も、ちば拓の『キックオフ』を読んだ時は似たような心理状態になった。
 しかし、このラブラブ期間はそう長くは続かなかった。今思うと、ある些細なきっかけから、一気に崩れた落ちた気がする。
 そのきっかけとは、ある漢字の書き方についてである。こう書いてもくだらない理由なのだが、とりあえず書いてみよう。
 ある日、私が書いた業務日誌を見て、彼女が言った。
「ねー、工藤君、この字間違ってるよ」
「え? どれ?」
 一応、文章にかけてはそれなりに自信がある私としては、聞き捨てならない言葉だ。
「これ、初っていう字のちょんが足りないの」
「え!?」

間違っている初と正しい初

↑私の書いた「はつ」      ↑彼女の書いた「はつ」

「嘘、『初』ってこう書くんだっけ!?」
 衝撃だった。私はこの字を書き始めてから十数年、ずっとそんな余計なものなどつけずに書いていた。にわかには信じられなかった。
「そうだよ」
 彼女は自信ありげに言った。
「あたし、頭は悪いかもしれないけど、漢字にはちょっと自信あるよ」
「……」
 別に彼女を信じていなかったわけではない。しかし、十数年信じていたことを、今更間違えだと言われても、どうにも納得の出来ない私の心中もわかってほしい。
「ちょっと調べる」
 私はそう言って、近くにあった本を片っ端から見た。
「ほんとだ……」
 なんだか騙されているような気さえした。
「ね。だからさっきからそうだって言ってるじゃん」
 私もここで納得しておけばよかったのだが、最後にもう一度だけ確認しておきたかったのだ。
「ちょっとコンピュータで見てみよう」
 ワープロソフトを立ち上げ、『初』と打ってみる。確かに点がある。
「あー、やっぱあるんだな。へー、知らなかったなぁ」
 そう言いながら、納得してすっきりした私が振り返ると、そこには怒りでひきつった表情をした彼女がこちらを見ていた。
「ねぇ……そんなにわたしの言ったことが信用出来ないの?」
 この時の彼女の顔は一生忘れられないだろう。
「い、いや、そういうんじゃなくて、ほら、ずーーっと信じていたことだからさ、なんかなかなか納得出来なかったから……」
「本で確認したところまでは許せる。でも、コンピュータで確認したのは許せない。馬鹿にされている気がした」
「そんなつもりないんだって! あずさのこと信じなかったわけじゃないんだよ」
「じゃあ、どうしてコンピュータで見たの?」
「いや……だから、確認を……」
「私のこと信じているなら、いちいち確認なんてしなくていいじゃん」
「信じてはいるんだけど、自分に納得したかったんだって」
「わたしの言葉じゃ納得出来ないってこと!?」
「そうじゃないよ」

 このような堂々巡り的会話を延々続けた後、彼女は怒って帰っていった。
 この件に関しては、電話で2時間、会って1時間謝って解決を見たのだが、どうもこの事件からトラブルが多発し、関係はどんどんぎくしゃくしていった。
 そして数カ月後のあれにつながっていくわけであるが、まあ、その辺の話もいつか書いていこうと思う。

 参考までに書いておくが、私の書く『初』にはいまだに点がない(笑)。

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