身の回りの出来事系エッセイ-6 あるカップルの会話
1997年9月13日執筆
恋人同士の会話なんて、大抵はくだらないものだと思う。たとえば一緒にソファに座っていちゃいちゃする時、フィクションだったら、
「俺、おまえのことが好きだ」
「うん」
「他の誰よりも」
「……嬉しい」
「ずっと一緒にいような」
「うん」
「約束だよ」
と、第三者が聞いても意味が通じる会話になると思うが、現実であったら、お互いに酒が入っていたりすると、
「んふふ」
「ふふ」
「んふふふふふ」
「ふう」
「ふふ」
「ん?」
「ん?」
「んふふふふふ」
「うふふふふ」
こんな感じで、最初から最後までわけがわからないだろう。
わけがわからない会話が耳に入ってくることに耐えられない人もいると思うが、私はかなり寛容だと思う。
電車や図書館などで子供がいくら泣き叫ぼうが(俺も、子供の頃はこうやって人に迷惑かけていたんだ)と思って嫌な顔など見せないし、カップルがどういちゃつこうが(二人の世界に入れば誰でもこうなる)と思って、無視している。
しかし、それでも時に毛細血管が150本ぐらいぶち切れる自体に陥るケースもある。
あれは、私がバンドで演奏する候補曲を探しに、楽器屋へ行ったときのことだ。日本の女性ボーカリストの曲を見つけようと、楽譜売場で楽譜を漁っていると、後ろの方で女の子の声がした。
「なんかね、腕がすごく痛いの」
ちらっと振り返って見ると、茶髪にルーズソックスといういかにも女子高生な女性が、長髪に耳ピアスといういかにも女子高生の彼氏みたいな人に甘えていた。
「どこかにぶつけたんじゃないのか?」
彼はそう言った。
(ま、そんなところだろう)
私も楽譜を見ながら、心の中で頷いた。
しかし、女子高生は「ぶつけてないよ」と言って、
「なんでこんなに痛いの? ねぇ? なんで?」
とべたべたの甘え口調で不思議がる。ほんとに知りたきゃ保険証持って医者へ行ってこいと頭の中で言いつつ、私は楽譜探しを続けた。
「しょうがねえなぁ、ちょっと見せてみろ」
だが、男のこの一言で私の手は止まった。いったい何をするんだろう。視線を二人に向けると、彼は彼女の腕を持ち、
「痛いの痛いの、どっかへとんでっちまえー」
と言いながら、彼女の腕をさすった。
この時点で、恐らく毛細血管が50本ほど切れた。
そして次に発せられた女子高生の言葉がだめを押した。
「あ、なんかほんとに治ったよ! なんでー? すっごい不思議!! ありがとー」
何かを言いたい気持ちを必死に抑えて、私は場を立ち去った。
そして思った。
(若いっていいね)
それは、過去にまったく同じことをして、別れの道を辿った私の、率直な呟きであった。