身の回りの出来事系エッセイ-7 レンタルビデオ店にて

1998年12月3日執筆


 屈辱感。その記憶は幸福感よりもだいたい数が多く、そして、いつまでも心に残る。私の場合、もっとも深く心に刻み込まれた屈辱は高校2年の時に味わった、あれ。あれだけは一生消えないだろう。そして、あれがあったからこそ、高校卒業後に運転免許を取ったようなものだ。

 身分証明証の重要性を知った、最大の屈辱とは――。

 16歳の、とある夏の日だった。
「間に合うかな」
 時間はかなり遅かった。私の記憶だと午前2時を回っていたと思う。
 月が明るく輝く中、後輪の鉄の部分(名称不明)に、高校の校章を無理矢理付けられた婦人用自転車(通学用)で、私は線路沿いの道路を爆走していた。
 なにせ、あまり時間がない。
 店は午前3時に閉まるのだ。
 頭の中で秋元ともみや小林ひとみの顔が浮かんでは消え、先日見た、11PMの小林ひとみ特集が繰り返し再生されている。
 わかる人にはわかっていただけるだろう。私には、どうにかして3時まで店に着き、エロビデオを借りたいという強い欲求があったのだ。

 店に着いたのは、2時30分ぐらいだった。肩で息をしながら、全身汗だくで店に入っていく。
 男子校を1年経験した16歳にもう恥はない。すぐさま、エロビデオコーナーにダッシュをかけ、借りるビデオを物色する。当時、私のフェイバリットAV女優は小林ひとみ(当時、文句なしのAVクイーン)、次に秋元ともみ(宇宙企画が誇る美少女で、月曜ドラマランド辺りにも出演していた)、その次に早見瞳(この子も可愛かった)で、この辺を中心に探していたのだが、ふと、葉山レイコのビデオパッケージが目に飛び込んできた。
(葉山レイコかぁ。よく貸し出し中になってるやつだな。今日は珍しくあるみたいだけど)
 後に星野ひかるや浅倉舞などの女優を生んだ、処女宮シリーズ第一回の主演女優。それが葉山レイコだった。エキゾチックな顔立ちと抜群のスタイルとでも言うのか。いつも貸し出し中が頷けるほど魅力的な容姿の持ち主である。確か彼女は、ユン・ピョウ主演の孔雀王に出演していたような気がするが、その辺の話を始めると無駄に長くなるので置いておこう。
(これにしようかなぁ……)
 あの美少女アイドルがついに! とかなんとかのキャッチコピーと、他の女優と比べると垢抜けた彼女の表情が私の胸を熱くする。
 11PMで見た、小林ひとみの新作も捨てがたいが、まだ一度も見ていないという新鮮さでは確実に葉山レイコが上回っている。
(よし、これにしよう。決めた)
 決断してからは速い。私はすぐにナイキのマジックテープ財布から会員証を取り出そうと、蓋をビリビリ開けた。
(――あ!)
 ここで私は、重大な問題に気づいた。
 昼間、財布の中を整理した時、会員証を部屋のどこかに置いたまま元に戻すのを忘れていたのだ。
(やっべぇ……。会員証がなくちゃ借りれねぇよ)
 どうするか。手には葉山レイコのビデオが握られている。自転車で30分かかる道のりをわざわざやってきて、今の時間から会員証を取りに家まで引き返したら、その間、店は確実に閉まる。
 それなら諦めて帰るか。
 いや、ここまで高ぶった気持ちを、何もない家に帰ってどう処理すればいいのだ。
(よし、生徒手帳でなんとか出来るって聞いたことあるから、それでいこう)
 エロビデオを借りるのに、高校の生徒手帳。アダルトの規制は昔の方が遥かに緩かった。
 私はジーンズのポケットから生徒手帳を取り出し、確認のために開く。
(やばい!)
 またもや重大な問題が発生した。
(住所とか書いてない上に、顔写真を貼ってない!)
 これはかなりまずい。
 顔写真が貼ってない身分証明書を出したところで、店員が納得して貸し出してくれるとは到底思えない。
 私は再び考えた。ここまで来て、諦めて家に帰るしかないのか。いや、しかし、いつも貸し出し中の葉山レイコが今日は俺の元にいるのだ。
(よし……)
 私は葉山レイコのビデオを裏返しにしていったん棚に戻し、外に出た後、コンビニでシャープペンを買って、とりあえずその場で生徒手帳に住所と電話番号を書き入れた。
(これを見せよう)
 顔写真はないが、住所と電話番号は間違いなく私の家のものだ。これでいけるだろう。
 速攻で戻り、葉山レイコのビデオを再び手にすると、私はそれをレジに出す。
「これ、お願いします」
「はい」
 大学生らしき店員が、バーコードリーダーを使い、データをパソコンに入力する。
「会員証をお願いします」
「あの、会員証ないんで、学生証でいいですか?」
「……いいですよ」
 店員は不審な顔つきで私を見た後、そう言った。
(よし、これで葉山レイコは確定だ)
 私はほっとした気持ちで、さきほど住所を書き入れた生徒手帳を提出する。
「……」
 店員はしばらく無言だった。なめ回すように生徒手帳を見ている。彼はやはり、顔写真が貼ってないのが気に入らないらしい。
 そして冷たい口調でこう言った。

「これじゃ貸し出せませんね」

 今思えば当たり前なのに、この時はそう思えなかった。そして、エロビデオレンタル失敗という失態をまともに受け入れるには、私は若すぎた。
「あ、え、あ、あの、え……」
 狼狽のあまり、激しくどもる私に店員が追い打ちをかける。

あ?

 この瞬間、彼は完全に私に勝利した。

「……あ、あの、じゃあいいです」
 私はその後、なんとか落ち着きを取り戻し、「ビデオはこっちで戻しますんで」という店員の言葉を後に店を出た。
「ありがとうございましたー」
 肩を落とす私の背中に、店員の義務的な挨拶が空しく届く。さようなら、葉山レイコ。

 もうこの店には絶対来ない……。
 そう決意したあの日の夏。

 風だけは温かく、そして優しかった。

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