昔の作品系エッセイ-2 普及活動
1997年11月27日執筆
私のエッセイには、よく『19歳の時に』というフレーズが出てくる。それだけ、当時バイタリティがあり、いろんなことをやっていたという証明なのだが、今回の話もそのバイタリティ溢れていた19歳の時の話である。
今でこそ、ホームページを開き、多くの人々に読んでいただけている私の文章であるが、19歳の時、定期的な読者はわずかに友人2人だけだった。私自身、そんな状況にかなり煮詰まっており、なんとか今の状況を打開しないといつまでもこのままで終わりだな、と考えていた。
今の状況を打開するにはどうしたらいいか。
それは読者を増やすことである。読者を増やせば、いろんな意見がもらえて、私の創作の幅も広がるだろう。
では、てっとり早く、読者を増やすにはどうしたらいいのか。
それは、一般家庭に宣伝のチラシをばらまくことである。
当時、友達に配っていた作品集の目次
ちょっと違うんじゃないかと思ったあなた。
正解だ(笑)。
しかし、私はやってしまった。まさに若気の至り。というか暴走。
寒さもきつくなってきた2月頃。
19歳の私は、コーヒーを飲みながら、サンヨーワープロを使ってこんな宣伝文をタイプしていく……。
私は小説家希望の青年です。今回、無作為にこの家を選び、これを入れさせてもらいました。
読者の幅を広げようと、随筆を書き、それを何人かの人に読んで戴くことにしました。今までは友人等に見せていたのですが、いつまでも内輪ばかりではあまりにも進歩がない、と、いわば武者修行のようなものです。気持ち悪かったら捨ててもいいです。でも、もし、ちょっとでも興味があったならば、この若輩者の私の話を読んで下さい。小説家志望なので、この手のジャンルは初めてですが、一生懸命書きます。一応、週一回のペースで書いていきたいと思いますので宜しく。尚、この紙は保存には向きません。読んだら捨てて結構です。
ちなみに僕は、来年の日本ファンタジー大賞を目指しています。
本名を教えられないのは非常に残念ですが、とりあえず10代の、COMPLEXというバンドが好きな、ベースギターを弾いている青年です。****に住んでいます。
自己紹介はこれくらいにしましょう。
どうかこれからも宜しくお願いします。
自宅にて 森下智澄(ペンネーム)
いきなりこんなものを、自宅のポストに投げ込まれた家の人の恐怖は、計り知れないものがある。
一応、音楽好きな好青年というのをアピールしたつもりなのだが、やっていることが怪しいので、余計に怪しくなっているのは皮肉だろう。
しかも、この『随筆』とやらが、またつまらないのだ。ありふれたテーマによって書かれた、メディアの意見の模倣という感じで、私が書かなくても誰かが書いているだろうと思われるようなものである。
しかし、夜中の1時に、この宣伝チラシを適当に選んだ家のポストに入れてきた私は、
ここから伝説が始まる……
と思いながら、白い息を吐きつつ帰宅した。まさに思い込み人間。
そして一週間後。
第二回目を入れようと、自転車で向かった私の目に、ポストになにやら紙が貼られているのが見えてきた。
(……おお! きっと、『面白いから頑張って!』というような、激励か、感想に違いない!!)
私はペダルを漕ぐ脚も軽く、その家の前についた。
そして、ポストに駆け寄り、紙になんと書かれているのかを見た。
なぜか、先週私がここに配った文章入りの茶封筒が一緒に貼られていた。
(あれ?)
不審に思いながらも、紙に書かれていた文字を読む。
紙にはたった一言、こう書かれていた。
おことわり