第百十三回 ナルシストのこだわり


 小説の編集者に対する世間一般のイメージというのはどんなものがあるだろうか。
 ドリフ大爆笑でいかりや長介がよく演じていた、白髪の大御所作家(加藤茶辺り)がペンを片手に髪の毛を掻きむしっている後ろで、時間を気にしながら原稿を待つ、あるいは「僕はもう駄目だ。書けない」と落ち込む作家(仲本工事辺り)を懸命に励ます姿というのもありそうだ。
 そしてもう一つ、原稿を読んで的確なアドバイスを送り、作品の質をより高めるというのも多くの人が抱いている編集者のイメージの一つだろう。

 私が業界に入って編集者と仕事をして思ったことは、作家はナルシストでロマンティストだが編集者は徹底してリアリストだということだ。
 たとえば、作品をブラッシュアップする際、作家と編集者にはアプローチに大きな違いがある。少し長くなるが、いくつかのたとえを入れて説明してみよう。

 アーティストが山の絵を描いたとして、自身に絵の修正ポイントを見つけるようにいった場合、「山の形がよくない」とか「山の色がいまいち」などという風に絵の美しさを問題視して修正する人が多いと私は思う。小説であれば、「この文章はなんとなくバランスが悪い」とか「登場人物の台詞回しがなんとなくぎこちない」という感じになる。

山の絵

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 私は他の作家がどう仕事を進めているのかよく知らないが、著者校正で「『聞く』だとなんとなくあれだから『訊く』に」とか「ここの『しかし』は『でも』にして、ここの『でも』は『しかし』で」という風に散々修正を加えて真っ赤にして、担当編集者に「そんなの、どっちでも同じだろ!」と心の中でつっこまれている人は結構多いんじゃないかと思っている。
 容姿に自信を持つナルシストは、「俺の顔はよくない」とは思わない。土台は最高にいいと思っているので眉や髪型などのパーツにこだわる。同様に、小説家は自分が考えたテーマや話自体が根本的に駄目とはまず考えない。だから、自分で読んでみてなにか違うなと感じたときは文章に問題があると考えてしまう。

 では、編集者が修正ポイントを指摘する場合はどうか。絵でいうなら、彼らはほぼ間違いなく構図、小説であれば構成について指摘する。

雲を描き入れた山の絵

 たとえば山の形をどういじろうか思案している作家を横目に、上のようにあっさりと雲を描き込んでしまう。絵の主題は山であり、山の良さは雄大なところ、であるならば、山の下に雲を描き込むことでその点をより強くアピールしようというわけだ。
 編集者がもっとリアリストぶりを発揮すれば、「そもそも紙に描くのって平凡でそれだけじゃ注目されないんじゃない? そうだ、壁画にしちゃおうよ」ぐらいのことを言ってくる可能性もある。更に「そもそも山っていうテーマ自体がちょっとね。もうさ、山、やめちゃおうよ」とかぶせてくることも考えられる。
 編集者からすれば、アーティストがこだわる山の形や色といった箇所、小説であれば「言葉」にいくら手を入れたところで、大元の構成が変わらないのなら面白さという点では1が1.01になるに過ぎない。その辺はアーティストの好きなようにさせて、今は1だが自分のアドバイスで50にも100にもなるポイントを見つけ出して、大幅な質の向上をはかろうということなのだ。

 編集者も作家も作品を俯瞰する。しかし、あくまでも作品のみを見下ろす形になる作家の俯瞰と違い、編集者の俯瞰は他の商業作品、更にそれを取り囲む読者をも俯瞰するという形になる。
 自分のことをかわいいと思っている女の子は、自分の顔の中で気に入らない箇所を良くする努力のみ行う。その子を見てかわいいと思う芸能事務所の人間は、他のアイドルたちと比べて彼女のどこを伸ばせば人気が得られるかを考える。女の子が作家でスカウトが編集者、両者の違いはそういうことだ。

 このように、作家と編集者の視点は根本から違っているので、だからこそ相乗効果が働き、作家が一人で書くよりも作品の完成度がずっと上がる。また、違うからこそお互いの感性を受け入れられる。絵の例でいえば、作家が「雲はない方が美しい。ここは絶対譲れない」と言い出したら大変だが、あまりそうはならない。
 ところがそれがなってしまった。

「ラストを変更ですか……」
 私はそう言って、しばし沈黙した。
『わたしの彼はハムスター』のラストは、「もうこれでこの話は終わり!」と誰が読んでもわかるようなものだ。だからこそ、二人が決断した“別れ”が重いわけで、もしあのラストを変えるとなると、読者は「まだ続きがあって結局二人はくっつくんだな」と考えてしまい、私が感じとってほしいものと読者が抱く印象がまったく違うものになってしまうことになる。
 Oさんの言う通り、確実に続編が出るのであれば、まだ続きがあるよという引きで終わらせてもいいかもしれない。たとえばホラー映画でよくあるが、主人公たちが殺人鬼を倒してよかったよかったというラストシーンの後に、もうワンシーンあって、殺人鬼が身につけていたなにかを誰かが拾い上げて終わる、みたいな感じだ。
 でも、現時点で出せるかどうかわからないわけで、続編をお楽しみにという流れにして出せなかったら「あの引きって結局なんだったの?」となって中途半端な印象になりはしないだろうか。私も、くりいむレモンシリーズの『魔道都市アスタロト』の引きにはいまだに引っかかっているものがある。
 そしてなにより、真夜中に馬鹿みたいに一人で号泣してまでこだわった、二人はヒロインの家庭の事情で離ればなれになるが、気持ちを確かめ合うことで、その別離を前向きに乗り越えていくという部分がなくなってしまうのは、どう考えてもこの電話で簡単に決められることではなく、できればOさんに変えない方向で納得してもらいたい。
「自分はやっぱりあのラストで行きたいんですが……」
 探るような言い回しだったが、私は変えたくないという意思を強く込めて言った。それはOさんに伝わったらしく、声のみで難しい顔をしているのが容易に想像できた。
「こだわりがあるの?」
「そうですね、正直……」
 そこで一瞬、言葉を飲み込みかけたが、意を決して続けた。
「はい、あの、かなりあります」
 それからまた二人で黙ってしまい、しばらくして先に口を開いたのはOさんだった。
「でも、続編を考えるとやっぱりあれじゃまずいのよね」
 お互い、一言話すたびに訪れる重苦しい沈黙の時間。決して険悪な雰囲気ではないものの、譲れないと思っている部分が真正面からぶつかっているので話がまったく動かない。
「読者の中で話が終わってしまうでしょ。次の想像ができないといういうのは、続編を考えるとマイナスにしかならないと思う」

 ――そしてまた沈黙。

 拒否している私がOさんの言葉に合わせるということは、Oさんの意見で行くということになるので簡単には相づちを打てないし、Oさんは自分の意見を言い切っているので、これ以上、言葉を継ぐ必要がない。このまま電話を切らずにいたら、もう数十分は沈黙が続くような雰囲気だ。
「とりあえず明日ぐらいまで考えてみましょう」
 Oさんが水入りを提案したので、私はほっとしながら相づちを打った。
「考えがまとまったらわたしにメールください」
「わかりました」
「それじゃよろしく」

 Oさんの言葉を受けて、耳にずっと当てていたせいかじわっとした熱気を放っている受話器を離し、通話ボタンをオフにしたあと、私は受話器のアンテナを掴んでこたつのテーブルに腰を下ろし、深くため息をついてうなだれた。
 どう考えても、Oさんは「変えた方がいいよね、変えようね」という口ぶりだった。そうした方がいいんだろうと思う。実際、ヒロインの母親の性格の変更など、ここまでに受けたOさんからのアドバイスは全部“正解”だった。
 しかし、よりによって最後のアドバイスが一番こだわっているあのラストの変更というのは……。

 翌日、私はOさんにメールを書いた。

 一日考えてみましたが、やっぱり自分はあのラストで行きたいと思っています。
 メールや電話ではあのラストへのこだわりを説明しきれない部分があるかもしれません。もしよろしければ、会ってお話しすることはできないでしょうか?

 送信ボタンをクリックした瞬間、毛細管現象のような広がりとスピードで心を覆い始めた「やってしまった感」。単著なしの人間が、作家気取りで編集者を呼びつけた。客観的に見ると、自分が今やったことはそう思える。しかし、パソコン通信だったら取り消しが聞くが、インターネットのメールは送ってしまったらもう終わりだ。

 返事はその日のうちにあった。

 わかりました。それじゃ、来週、横浜の崎陽軒本店で会いましょう。よろしく。

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