第十六回 講談社へ


 片道2時間かけてプロダクションに通い続けること約2週間。サッカーワールドカップ、日本VSアルゼンチンすら見ることなく、ひたすら仕事に打ち込んだ。土日は確かに休みだったが、それまで書いた原稿の推敲や新しいプロット作成のため、家で仕事を続けた。
 それでも、2週間で完成したのは55問には30も足りない25問。
「……工藤君、前にも言ったけど、来週の月曜日に講談社の編集者に45問見せないといけないんだよ。土日の2日間で20問書けるかな?」
 金曜日の夜。帰宅するため、パソコンの電源を落とした私に、Kさんがすまなそうに声をかけてきた。
「なんとかなるでしょう。今日、家に帰ってから早速やります」
 そうだ。ここまで来たらもうやるしかない。講談社のAさんからは「工藤君は楽天的過ぎるよ」とよく言われるが、出来ないと思って物事に取り組むと、どうしても(最初から無理だと思っていた。出来なくて当然だ)という気持ちが生まれてしまう。よって私は、どんな難しいことでも(俺ならやれる)と思って取り組むことにしている。
「そんなに心配しないで下さい」
「うん、それじゃなんとか頼むよ」
「わかりました。それじゃお疲れさまです」
 私はリュックを背負い、プロダクションの皆さんに挨拶をして外に出た。

 家に帰った私は、早速、20問執筆に取りかかった。後々苦労しないよう、4ページ物や5ページ物は先に書いておいたので、これから書こうとしている20問は2ページ物と3ページ物ばかり。よって、なんとかいける自信はあった。
 とは言え、短い文章でも使う労力は長い文章とほぼ同じ。当然、それなりのストレスも蓄積されていき、2度ほど、家の窓ガラスを金属バットですべて叩き割りたいという衝動に駆られたが、なんとか気持ちを落ち着かせて耐えた。
 そして土日徹夜の末、なんとか月曜日の朝までに20問を書き上げた。
「終わった……」
 推敲を終わらせ、両手で顔を覆った私は、布団に仰向けになって転がった。
 終わったと言っても、講談社の編集者からOKが出ているわけではなく、残り10問はプロットすら出来ていない、また企画のページやインタビュー、原作プレイバックなどはまったく手つかずの状態だ。しかし、松坂大輔風に言うなれば、この日、持っていた自信が確信に変わった。
 素人が商業本を書く場合、途中で逃げ出してしまうことがあると言う。時間の制約、そして編集者からのプレッシャーと容赦ない駄目出し、そして理想と現実の違いを知っての苦悩。憧れだけではどうにもならない壁があるのだ。
(僕には出来ません。もうやめます、さようなら)
 そう言えれば、苦痛から逃れられる。
 私にもそう言える選択肢はあった。だが、そう口にすることなく、思うこともなく2日で20問を書き上げた時点で(俺はこれからも、物書きという仕事をやっていける)と確信した。

 少し仮眠を取った後、昼過ぎに家を出て約2時間。
「こんにちは」
 いつものようにそう言いながらプロダクションの扉を開けて、席に座った私に対し、Kさんが心配そうに聞いてきた。
「工藤君、出来た?」
「出来ましたよ」
「そうか」
 わざと疲労困憊の顔をする私を見て、Kさんがほっとしたように笑う。

 その日の夕方。
 Kさんが作業を止めて、突然椅子を立ち、新たなプロット制作中の私を見て言った。
「工藤君、今から講談社へ行こう」
「え!?」
 Kさんの言葉は突然だった。
「多分、問題に対して、あれこれと注文を言うと思うんだ。それなら、工藤君がその場にいた方がいいからね」
「はぁ……」
「よし、あまり時間がないから急ごう。約束は5時なんだよ」
 時計を見ると4時40分を過ぎている。
 私は慌ててパソコンの電源を切り、椅子から立ち上がった。
「それじゃ、工藤君を連れて講談社に行って来ます」
 鞄に、私が書いてきた原稿を入れたKさんがそう言って扉を開ける。私はKさんの後ろに付きながら、不意に昔のことを思い出した。

「お約束はございますか?」

 10年前、角川の受付嬢にそう言われた。
 ありませんと答えた私は、結局、編集者に会うことはおろか、ロビーより中に入ることすら出来なかった。

(いつか、約束があると言える立場に立ってやる)と思いながら、一人、学ラン姿で帰ったあの日。

 あの日の私は、今日という日が来ることを知らなかった。が、誰になんと言われようとも来ることを信じていた。

 そんな、楽天的な昔の自分がバカっぽくも誇らしく思えた。

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