第三十一回 自由の中で


 金田一が終わってしばらくの間は、原稿料で遊んでいた気がする。遊んでいたと言っても、友人の羽賀君(仮名)のように、ヘルスだったんだけど本番やってきたとか、そういうことをしていたわけではなく、近所のゲームセンターでメダルゲームをひたすらやったり、バッティングセンターで200球近く打ち込んだり、映画を観に行ったりと、いたって真面目に二カ月ぶりの自由を満喫していた。
 ある日、いつも一人で遊んでいるというのもあれなので、女性と遊びに行くことにした。と言うか、実は金田一の仕事が終わったら遊びに行こうと約束していた人がいたのである。
 彼女は職場の元同僚で私より少しだけ年上だったが、掛け値なしの美人だった。彼女が横にいると岡崎美女が横にいるような感じがしていた。だが、自分のことをほとんど話さない人で、会話は流行り物や世間話ばかり。はっきり言って捉えづらい人であり、苦手ではなかったが友人という感じでもなかった。
 なんでそういう女性と遊びに行く約束をしたのか、恐らく、当時の知り合いの中で唯一彼氏がいなかったからだろう。
 どこに行こうかと相談して、彼女は大井競馬場に行ってみたいということだったので、早速、都合を合わせて平日に出掛けた。
「仕事大変だった?」
 東海道線に揺られていると、彼女がそう話し掛けてきた。職場ではよく顔を合わせていたが、二人きりで出掛けるというのは初めてで変な感じだ。彼女も同じように思っていたらしく、表情は少し硬かった。
「まあ、大変と言えば大変だったなぁ。小田急で新宿まで行ってさ、そこからまた電車に乗ってだから通勤時間がかかったし、あと、本一冊書くのなんて初めてのことだったから。それにこうやって遊びに行くこともなかったからストレス溜まりまくりだったよ」
「そっかぁ。じゃあ、今日はストレス発散しないとね」
「勝てば発散出来るけど、負けたら余計溜まりそうだな」
「大丈夫、絶対勝てるよ!」
 彼女はそう言って、笑顔で両手を胸の前でぎゅっと閉じた。これがほんとに年上かという可愛さだ。
 しかし、どこか引っかかっていた。どうも笑顔がぎこちないような気がしていてしょうがなかった。
 ひょっとして俺と遊ぶのが嫌だったのか。しかし、遊ぼうと言ってきたのは彼女だし……いや、待て待て、遊ぼうというのは社交辞令で、ひょっとして真に受けた俺を迷惑がっているのでは……と頭の中でぐるぐる考えたが、もう電車に乗っているわけだし、行くしかない。

 品川で京浜急行に乗り換え、しばらく揺られて大井競馬場に到着した。
 私にとっては、母親が死んだ後、羽賀君と泉谷君(仮名)に「奢ってやるから元気出せ」と言って連れられてきて以来2度目だった。
 夏のデートには最適、みたいな記事をよく東京ウォーカー辺りが載せているが、カップルはそう多くはない。たまにいたとしても女の子の方は大抵どうでもいいという感じで歩いている。
 赤いペンを耳に載せている人や競馬新聞の売店の間を通り抜け、指定席に座って2レース目辺りから馬券を買い始めた。ナイター競馬なので2レース目といってももう夕方近くである。
「きゃあ、わたしが買った馬、先頭だよ!!」
「いや、あれはかかってる(馬が暴走している)んだよ」
「あれ、わたしが買った馬、いつの間にかいなくなっちゃった!?」
「4コーナーで故障して、そのままどっかいっちゃったみたいだな」
 そんな会話をしながら、当たったり外れたりという感じで、私も彼女も、最終的には損をしたような覚えがある。

 電車がいくつか走っているわりには、ちょっと地味な地元。地味とは言えども、駅周辺には買い物できるところが建ち並び、それなりに便利な街だ。
「お腹減ったね」
「うん」
 最終レースまできっちりやって、横浜で夕食を食べようとしたがほとんど閉まっていて、結局、藤沢まで帰ってきた。
「あっちにファミレスがあるから、そこで飯食おう」
「うん」
 駅から5分ほど歩いてファミレスに到着すると、彼女と共に腰を下ろした。
「疲れてない?」
「うん、大丈夫」
 私の問い掛けに彼女は笑顔で頷いた。
 注文を終えると、彼女はちょっと視線を斜めに落とし、軽いため息をついた。
「どうしたの?」
「うん?」
「今ため息ついたじゃん」
「うーん……えへへ、ごめんね」
 彼女はいつものように可愛く笑ってそう言った後、不意にこんなことを口にした。
「工藤君は凄いな」
「え? なんで?」
「だって、わたしに言ってたじゃん。一年したらバイトをやめる。そして、小説家になるために作品を書いてデビューするって。ほんとにその通りにしちゃったんだもん」
「いやー、まだ小説家じゃないよ。書いたのは小説じゃなくて、推理クイズだしさ。まだまだこれからだよ」
「でも、本書いたじゃん。有言実行だよね」
 顔を上げた彼女だったが、再び視線を落とす。
「わたしね、今すごく迷ってるんだ」
「どんなこと?」
「えーとね、わたしにも夢があって……あ、工藤君みたいに小説家になりたいとかそういうすごいのじゃないけどね、だけど、叶えるのはちよっと難しそうなんだ」
 そう言い終えるとゆっくり顔を上げて、不安げな目をして聞いてきた。
「わたしも工藤君みたいに頑張れば夢が叶うのかな?」
 彼女がこんなことを言うのは初めてだった。もともと、ミステリアスというか自分の内面は他人に喋らない人だから、夢がある、でも、それは叶えるのが難しい、などといきなり言ってきてかなり驚いた。
「うーん、まあ、夢にもよるけど叶えようと努力すれば叶うと思うよ。絶対それをやりたいと思えば、難しいことでも乗り越えていけるはずだし」
「でも、わたしにとっては本当に難しいことなんだよ? それでも叶う?」
「自分を信じて頑張れば大丈夫だよ。夢を叶えられないのは、大抵、途中で諦めちゃうからじゃないかな。諦める勇気を持て、とかよく言うし、俺も散々聞いてきたけど、諦めるのに勇気なんていらないよ。続ける方が勇気がいるんだよ。だから、絶対に自分に自信を持たなきゃ駄目だと思う」
 マルチ商法の勧誘みたいになってきたが、その後も私はずっと彼女を励まし続けていた。はっきり言って、私は彼女に特別な好意は抱いていなかった。だが、目の前で女性がこんなに弱気になっているのを見たら、一生懸命励ますのが男だろう。

 食事が終わり、私と彼女は人気の少なくなった夜道を歩き始めた。
「駅に行けばタクシーがあるからさ、それに乗って帰ろう」
「ねえ」
 早足でタクシー乗り場へ向かって進んでいると、彼女が突然立ち止まった。
「ん?」
「あの、ね」
「どうしたの?」
 振り返って彼女の所まで戻ると、彼女はにかみながら言った。
「ありがと」
「え? ああ、今、ファミレスで奢ったこと? いや、だって奢るって約束してたじゃん」
 車が横を通ったので少し大きな声で言うと、彼女はちょっと怒った風に口を開いた。
「そうじゃないよ。励ましてくれてありがとうって言ってるの」
「あ……うん」
 なんか妙な雰囲気だった。私はちょっと困って、耳のあたりを軽く掻きながら言った。
「別にほら、調子に乗っていろいろ好き勝手に言ってただけだし。今、マジで調子に乗ってるから」
 彼女は私の言葉に少し笑うと、横に並んで視線を向けてきた。
「わたしね、人にこんなに自分の悩みを話したの初めて。自分でもびっくりだよ。自分の悩みなんて絶対に人に言わないのに。なんで、工藤君に言えたのかな」
「さあ、俺ってほら、わりと聞き上手だから」
「そうなの?」
 彼女はまた笑った。
「あのね」
「ん?」
 彼女は歩き出した私に足を合わせ、少し顎を引き、手を後ろに組んで本当に小さな声で言った。
「これで……」
「……」
「わたしと会うの……これで最後じゃないよね?」

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