第三十九回 スナック


「ども、こんばんは」
 Aさんが店の扉を開けて言った。
 私はどこかの店に行って酒を飲みながら女の子と話すということに対し、まったく興味がない。一度だけ、友達と遊んでいて「新しい店が出来たの。来てよ。お金は一人3000円だけでいいから」と25、6の女二人組に言われて、「よし、3000円だけなら」と着いて行き、きっかり3000円分だけ飲んだことがあるが、また行こうとは思わなかった。
 だから、この時もときめきはなかった。ただ、そういう店に入ったのが一度しかないので今度はどんな店なんだろうという興味はあった。
「あ、Aさん、こんばんは。お久しぶり」
 応対したのは和服を着た四十代ぐらいの女性だった。カウンターに立っていて、何やら整理をしていたようだ。顔を上げると優しげな笑顔で私たち二人を見た。先ほどの店の女性といい、和服をよく見る日だ。
 平均を知らないのでなんとも言えないが、店はあまり広くなかったと思う。ガラス製の四角いテーブルが3つあって、その周りに皮の椅子が並べてあって、カウンタがあるという程度の広さだ。
「どうぞこちらへ」
 女性――ママに案内されて、Aさんと私は一番奥のテーブルへ行った。視線を左右に散らしてみたが、どうやら客は私たち二人、店の人は女性一人だけのようだった。時間はまだ8時前だというのになんでこんなに寂しいんだとか、他の客が来たらどうするつもりなんだろうなどと考えながら私は浅く椅子に腰掛けた。
「今日は誰もいないの?」
「Aさんたちの貸し切りってことになってるんですよ」
 ママはそう言って笑い、カウンターからグラスと氷、そしてウイスキーだったかブランデーだったか、とにかく洋酒を持ってきて、テーブルで水割りを作り始めた。
「じゃ、工藤君」
「あ、はい」
 Aさんがグラスを持ったのを見て、私も手にして、ママを入れて三人でグラスを合わせる。
「でもAさん、最近ご無沙汰でしたよね」
 三人がそれぞれグラスに口を付けた後、ママがグラスを静かに置いて微笑んだ。
「ちょっと仕事が重なって忙しくて。えーとね、一番大きな仕事は彼と、あともう一人若い人と一緒にやっていたんですよ」
「あら、そうなんですか?」
 ママの言葉に、Aさんは白い歯を見せて笑い、左手を広げて私を指しながら言った。
「彼さ」
「はい」
「どう見てもフリーターにしか見えないでしょ」
 一瞬間があって、ママが「いえ、そんなこと」なんていうことを言いそうになった時、Aさんが言った。
「でも実はね作家なんだよ」
「ええ、すごい!」
 ママが手まで叩いて大げさに驚く。
「いや、まだそういう所まで行ってませんから、ほんと」
 私はそんなことを言いつつ、かなり得意になっていた。フリーターにしか見えないけど(実際そうだったのだが)作家という言い回しが、遊び人にしか見えないけど北町奉行、縮緬問屋の隠居と言いながら天下の副将軍、と似たように聞こえてかっこよく思えた。
「それでね、今度うちで小説を書いてもらうんだ。青い鳥文庫では一番若い作家になるんじゃないのかな。えっと、今いくつだっけ?」
 これで聞かれるの何回目だっけかなと思いながら、
「27です」
 と答えた。
「じゃあ、期待の星ですね」
「そうそう」
 カシューナッツを摘み、グラスの水割りを煽ってAさんが二度三度頷く。
「どんな小説を書かれるんですか?」
 ママが、スポーツ選手にインタビューする時の小倉弘子(ニュース23)同様、目を大きく開き興味津々という顔をして私に言った。多分、実際はどうでもよかったと思うのだが、そこら辺はさすがにプロである。
「あ、ミステリーです」
「へえ、あっ、じゃあ名探偵が出てきて、トリックとかなんかこう……って、あの、ごめんなさい、わたし、あんまり推理小説って読まないから言葉が出てこないんだけど」
「いや、でも、はい、名探偵が出てきてトリックがどうこうっていう話です」
 ママと私の苦笑いが交差する中、Aさんが言う。
「まあ、工藤君には工藤君なりのミステリーを期待しているよ。確かにトリックとか大事だよ、ミステリだから。でも、人間がきちんと書かれているっていうところが一番重要。読者が共感してくれるキャラクターを作ってほしいと思ってます」
「はい」

 そんな感じでミステリー論や、はやみねかおるさんなど、Aさんが担当している作家さんの話、業界の裏話などで盛り上がって2時間ほど経過しただろうか。いくら酒に強くて酔いが回らないタイプと言っても、さすがに感情が高ぶって来始めた。初めての著書を受け取り、ビール大瓶2本か3本に、水割りを20杯近く飲んでいるのだ。落ち着けという方が難しいだろう。
「まじで、俺やりますから、ほんと。Aさんが泣きながらこれは凄いって言うようなやつ書いてきます。なんていうのかな、俺、今回の仕事でいろいろ自信が付いたし、力も付いたと思うんです。その力が本物なのかどうか俺自身確かめたい……っていうか、本物なんじゃないかという気がしてきました」
 Aさんもかなり回っていた。
「僕はね、青い鳥文庫の次、工藤君にハードカバーを書いてもらって新人賞を取ってもらうつもりでいる。そうすれば、ハクが付いて売り出しが楽になるしね。やっぱり、新人賞を取っているかどうかっていうのは大きいわけよ。一緒に児童書を変えていきましょう。えっと、今何歳だったけ……あ、27か。その若さを使ってさ。だから工藤君、まず今回の小説、頼んだよ。君には期待しているから」
 密閉された空間、薄暗い照明、そして酒というのはこれほどまでに人間の口を軽くするのだろうか。Aさんと私の間で言葉のインフレが起こり始めていた。いや、今思うとAさんは実は冷静で、私を持ち上げて調子を出させるためにあれこれと言っていたのかもしれない。

 いい気分でバーを後にして、私とAさんは夜の新宿をふらつきながら歩いた。夜の風が何度か頬に当たったが、まったく熱は下がらなかった。むしろ熱くなってくる。
 Aさんにこれでもかと持ち上げられたおかげで、(俺はやれる)という気持ちでいっぱいになっていた。
「それじゃ頼んだよ。期待してるよ、プロット」
「はい、わかりました」
 次のプロットは絶対いける、そう思いながら大きく頷いた。

 そして私は、新宿駅から小田急に乗り込み、家路についた。

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