第四十一回 歓喜の朝


 宴の翌朝というのは本来、気怠かったり物寂しかったりするものだが、1998年7月25日の朝は全く違った。「あたしの彼はハムスター」小説ASUKA新人賞期待賞受賞と書かれた月刊ASUKAと、『金田一少年の事件簿 謎ときファイル2』が同時発売されるのだ。
 誰しも眠れない夜というのがあると思う。ドラゴンクエストの発売日であったり、結婚式の前日であったり。だが、ドラクエも結婚式もほとんどの人が体験出来るものである。自分の本が発売されるという興奮で眠れないということを、どれだけの作家志望が夢見て、実現出来るだろう。私は眠れないことが幸せだった。
 うとうとしては起きるを繰り返し、気が付いたら朝の10時になっていた。前日の越乃寒梅が残っているようで少し頭が痛かったが朝食を取らず、Tシャツにジーンズといういつもの格好に着替えて、自転車を走らせた。まず最初の目的地は近所の書店である。
 生まれて初めてエロ本を買った場所。そして、松田聖子が『プルメリアの伝説 天国のキッス』でキスシーンを披露した時、その日のスポーツ紙をここで全部買った。スクリーンかロードショーで、ヤングアイドルデビュー作特集とかなんとかが組まれた時は、ブルック・シールズの「青い珊瑚礁」とフィービー・ケイツの「パラダイス」の写真見たさに小銭を握りしめて買った。私にとっては性に関する思い出の書店あった。
 主はジェリー藤尾とロングおじさんを足して2で割ったような顔をしており、常連が店に入ると「いらっしゃーい」と明るく挨拶するのに、私が入るとシカトする。確かに立ち読みも多いが、相当な数の本を買っているはずだ。あのエロ本だって1800円もした。今回もきっと何も言われないと思いつつ、他に選択肢がないので仕方がない。
 自転車を店に横づけし、早速月刊誌コーナーを見た。
(月刊ASUKA……月刊ASUKA……月刊ASUKA……月刊ASUKA……月刊ASUKA……月刊ASUKA……月刊ASUKA)
 右手の人差し指で並んでいる本の表紙をなぞりながら念仏のように唱えていると、ついにそれらしき本を発見した。
「これか!!」
 私は思わず声を上げて、手を震わせながら開いた。

「あった……」

 第8回小説ASUKA新人賞 期待賞

 あたしの彼はハムスター 工藤圭

 大きなフォントで確かにそう書いてある。工藤圭という名の別人ではない。間違いなく私だ。
 週刊少年ジャンプのジャンプ放送局(奇特人間大賞)に

本に掲載された投稿

中学三年生の時に100枚ぐらい投稿してこれだけ掲載された。事実上の活字デビュー作。同じクラスの松岡君に、「ジャンプ買って会長のネタ見たけど、なんで掲載されたかわかんないぐらいつまんないね」と言われた。

 ↑これが載った時も嬉しかったが、明らかにそれ以上の感情が私の全身を包み込んだ。
 夜中、ホームページを更新しながらしこしこと書き続け、最後は徹夜の連続で締め切り日ぎりぎりに出した94枚の小説。今までだったら、友達に「面白い」あるいは「面白くない」と言われて終わりだった。それか、読ませる前に「いつまでも夢みたいなこと言ってないで、いい加減就職したら?」と説教された。しかし、今回は顔も知らない角川書店の編集者に認められ、全国発売の雑誌で「期待賞受賞」と箔を付けてもらったのだ。
 いつまで中途半端な生き方続けてるの? 公務員っぽい人が好き、いつになったら小説家になれるわけ? なるとか言ってんのに全然なれないじゃん、などなどの女性から言われた数々の暴言が頭の中でぐるぐると周り、そして弾け飛んだ。

(結局、おまえらには見る目がなかった)

 私は溜まりに溜まっていたこの言葉を、頭の中でとうとう吐き出すことが出来た。
 期待賞程度でそんなこと思うなよ、だいたい向こうはもうそんなこと言ったなんてとっくの昔に忘れてると思うよと言われるとどうしようもないのだが、貶されることはあっても褒められることがなかった作家志望人生だったため、このような言葉があっさり出てきてしまうのは仕方がないと考えていただけると嬉しい。
 3分ほど「工藤圭」という文字を見た後、レジに持ち込んだ。ジェリー藤尾ではなく奥さんだっため、愛想よく処理してくれた。

 本をかごに入れ、今度は以前のバイト先であるCDショップへと向かった。ここには大きな書店が隣接されているので金田一もあるだろうという読みだった。めぐちゃんは学校だからいないと思うが、ちはるちゃんならいるだろう。
 10分ぐらいひたすら立ち漕ぎして、まず書店へと入った。金田一のコミックスが並べられている場所を見るが、緑色の分厚い背表紙は見あたらない。レジを見ると、段ボール箱が積み上げられていたので本日発売の書籍は出していないんだろうと思い、レジのおばさんに言った。
「すいません、今日発売の『金田一少年の事件簿 謎解きファイル2』っていう本ありますか?」
「え、金田一少年の……なに? 謎解き……? えっと……ちょっとお待ち下さい」
 手袋をはめていたおばさんはゆっくりとしゃがみ込んで、段ボール箱に巻かれていたテープをカッターで切り、ふたを力強く開けて中を見た。
「あ……」
 おばさんの独り言にどきっとする。
「これかしら?」
 私は身を乗り出して、おばさんが手にしている本を見た。
 緑を基調とした表紙に黄色の帯。間違いない。
「あ、そ、それです、それ。はい」

 私が書いた本が、売り物として書店から出てきた

 月刊ASUKAに続く興奮と感動。ダヴィンチに載らなくても本は出るもんなんだなと感心しながら、私の心臓は激しく動いた。原稿用紙をホチキスで留めて、裏に鉛筆で30円と書いたり、感熱紙に印刷して近所に配ってお断りという紙を貼られて返されたり、もうそういうレベルではない。てかてか光っている立派なカバーが付けられ、きちんと字が印刷され、私の話に合わせてオリジナルイラストだって載っている。それが数万冊、全国の書店に並べられているのだ。
 すぐに金を払って、隣にあるCDショップに飛び込んだ。
「いらっしゃいま……あ、工藤さん」
「ち、ち、ちはるちゃん、出た出た出た」
 興奮してうまく喋れない私に対し、相変わらず小さくて、丸顔で、安室奈美恵をコンパクトにしたようなちはるちゃんは、どうしたの? という顔をする。
「ほら、書いているって言ってた本、あれ、今日発売なんだ」
「へえ、すごいじゃーん。なになに、どんなやつ?」
「こ、これだよ。えっと、ちょっと待って」
 袋から本を取り出し、ちはるちゃんの名前を使ったキャラクターが出てくるページを開いた。
「ほら、ここにちはるちゃんとめぐちゃんの名前が」
「あ、ほんとだ」
「後ろには、ほら、執筆者、工藤圭って」
「わ、名前入ってる。へえ、すごーい。で、工藤さんが書いたページはあとどこなの?」
「いや、全部俺が書いたんだよ」
「え? 全部?」
 ちはるちゃんはそう驚いて、おもむろに本をめくり始め、字がやたらと詰まったページを次々と探しては聞く。
「ここも工藤さん?」
「ああ」
「ここも?」
「そう」
「ここも工藤さんが書いたの!?」
「だから、そうだって」
「すごーい!!」
 顔を紅潮させて、ちはるちゃんは言った。ここまで純真に驚いてもらえると、バイトが終わってご飯を食べに行く約束をしていたのに、「おつかれさまー」と言って先に帰ったことを忘れてもいいという気になる。
 その後もバイト仲間の女の子に見せていった。別に女の子だけに見せたというわけではなく、この時、たまたま女の子しかいなかったからそうなった。
「夢が叶ってよかったね。おめでとう」
 みんなからそう言われて、しみじみとした気持ちになった。ずっと聞きたいと思っていた言葉だが、本当に聞けた。ありきたりでつまらない言葉かもしれないが、自分を信じて続けてきてよかったと思った。

目次へ

▲このページの先頭へ戻る