第五十回 原稿料 その2


(困ったなぁ……やっぱ、Aさんに聞いてみるべきなのかなぁ……)
 季節はもう秋になっていた。そろそろ米を研ごうとシャツの袖を肘ぐらいまでまくりながら考える。
 時給700円、残業代は時給に250円プラス、交通費は1日500円まで、月末締めの翌月20日払い、という感じのきっちりとしたアルバイト賃金の支払い形態に慣れきっていた私にとって、
「本が出て一カ月ぐらいしたら振り込まれるんじゃない? ははは(Kさん談)」
 という、曖昧な支払い形態は不安だけを増大させた。金田一を書くまでの人生で、一度にもらったお金でもっとも大きな額が18万円だった。家具の配達のバイトをやっていた時の給料だ。気温35度の真夏に、団地の5階まで馬鹿でかい婚礼ダンスを社員の人と一緒に運んだ思い出がある。18万円もらって気が大きくなって地元書店で森高千里の写真集を2冊同時に買ったという思い出もある。
 28万円というのは18万円より10万円も多い。これだけの大金がいつ入るか、本当に入るのかわからないというのは全身が不安で微かに震えるぐらい厳しいことだ。もっと厳しいのは、この28万円をあてにして、一緒にバイトをしたちはるちゃんとめぐちゃんに焼き肉を奢り、金田一執筆中、見る暇ゼロなのに菊地えりのビデオを持ってきた友人の羽賀君(仮名)と、母親が亡くなった時にいろいろとお世話になった彼の妹である亜弥ちゃん(仮名)に帝国ホテルで夕食を奢る約束をしていたことだ。
 約束は守りたい。プロダクションからもらったギャラをあてるか。しかし、あれは生活費だ。生活費を削るのは厳しい。

 ――トゥルルルルル トゥルルルル

 コシヒカリの袋を取り出して、ああでもないこうでもないと思案していると、電話が鳴った。時間的にマンションの勧誘だろうか。なんだよもう、と思いながら、受話器を取った。
「もしもし、工藤ですけど」
「もしもし」
「はい?」
「元気そうじゃんか」
 この、ついこの間までよく聞いていた声なのに、なぜか懐かしい声は……。
「×××(編集プロダクションの名前)のKです」
「あ、どうも、お久しぶりです」
「久しぶり。どうかね、元気でやってるかね」
「はぁ、なんとかやってます」
 私は引き戸を開けて居間に入ると、テーブルの上に腰掛けて、ずっと切っていない髪を掻き上げた。工藤家には椅子というものがないので、床かテーブルしか座る所がない。
「Aさんの方はどうなってるの?」
「一応、プロットが通ってこれから書こうという所です」
「そうか。角川は?」
「この間電話が来て、新しい文庫で書くことになりそうです」
「おいおい、売れっ子じゃんかよ」
 Kさんはそう言って笑った。
「だけどさぁ」
「ええ」
「本が出るまでお金大変じゃねえか?」
 どきっとした。まさにそうなのだ。
「まあ、うちから払ったお金と講談社からのお金があるとは言え、本を書き終わるまで三カ月ぐらいかかるだろ。本が出るまでに一カ月、印税が更に一カ月……」
 これはチャンスだ。今、この話題に乗らない手はない。Kさんに聞いてみよう。きっと何か教えてくれるはずだ。
「いや、それがですね、実は講談社からのギャラはまだもらってないんですよ」
「え、あれまだもらってないんだ?」
「はぁ。もしかして忘れられているんじゃないかなぁなんて思ったりしてるんですけど、ちょっと不安です。はは」
 実際はちょっとどころかかなり不安なのだが、あまり不安がるのもどうかと思ったので寂しげな笑いを入れながらちょっと軽い調子で言った。
「じゃあ俺がAさんに電話して聞いといてやるよ」
「え」
 Kさんがあまりにもあっさりと言うので、私思わずそう声を出した。
「いつ入るかわかった方がいいもんな」
「ほんとに聞いてもらえるんですか!?」
「ああ。じゃあ今電話して、折り返しまた……」
 Kさんの言葉につられて、うわぁ、まじでありがとうございます、それじゃよろしくお願いしますと私も電話を切りそうになった時、耳から少し離れた受話器からKさんの声が聞こえてきた。
「あ、待て、ごめん忘れてた。そうそう、実は仕事の話をしようと思って電話したんだよな」
「仕事?」
「うん。本が出るまでの小遣い稼ぎとしてさ、うちが作っているパズル雑誌でコラム書いてみないか?」
 意外な申し出だった。小説ばかりに目が行って、雑誌に何かを書くというのは考えてもいなかった。
「一応さ、書評なんてものをやってもらおうかなと思ってんだよね。数字が入っているタイトルの本の書評。最初はミステリがいいんじゃないかな。松本清張のゼロの焦点とかさ。ま、その辺はまた後で電話して決めよう。君もいいアイデアがあったら考えといて。じゃ、ちょっとAさんに電話してみるわ。じゃ、またな」
 本当にありがとうございます――そう言う前に電話は切れてしまった。

 ありがたかった。Aさんに電話してくれることだけではない。私の生活を考えて、Kさんがコラムの仕事を作ってくれたこともだ。本当に、心底ありがたかった。人の恩をここまで感じたのは、中学で弁当を忘れて、クラスの男全員がおかずをそれぞれわけてくれた時以来だ。私は、受話器を耳から離し、頭を下げた。講談社からのギャラが入ったら、私は無収入になる。バイトを始めるという選択肢もあるだろうが、講談社と角川書店の仕事を一緒にこなすのは難しくなるだろう。ここまで来たら、プロとして突っ走るしかないのだ。

 ――本当に助かります。

 そう呟いた。

 数日後、Aさんから打ち合わせの詳細を決める電話がかかってきた。
「――それじゃ、講談社に3時に来て下さい」
「わかりました」
「あ、そうだ。ギャラのことなんだけどさ」
 ギャラという言葉が出た瞬間、自分を包んでいた暗いオーラがぱあっと明るくなったような気がした。
「経理の方に問い合わせたら今月末ぐらいに振り込まれるって言ってたよ」
「あ、そうなんですか」
 軽い返事で、いやー、お金なんていつでもいいですからという余裕を見せつつも、聞いてくれてありがとう、Kさん! と私は頭の中で手を合わせた。これで3カ月ぐらいはなんとかやっていける。

 さて、せっかくなので、ちょっとだけ深く原稿料(印税)の話をしてみたいと思う。
 まず、雑誌の方から。

 簡単に分けて、原稿には2つの種類がある。署名原稿(書いた人間の名前が明記してある)と無署名原稿だ。

署名原稿 無署名原稿
  • コラム
  • エッセイ
  • 評論など
  • 何かの紹介文
  • 欄外の一口メモネタ
  • ゴーストやインタビューなど

一口メモ

 無署名原稿は「私はこう思う」という書き方をしてはいけない。藤本美貴が新曲をリリースするということを無署名で紹介する場合のいい例と悪い例を挙げてみる。

悪い例

 モーニング娘。に加入したミキティこと藤本美貴が久々に新曲を発売するぞ。なんとバラードらしい。ミキティにはポップスが似合うと思うし、おとなしめの曲は個人的に好きじゃないけど、大人になった彼女のバラードというのもいいかもね。

→ポップスが似合うと思う、おとなしめの曲は個人的に好きじゃないというのは完全に書き手の意見なのでよくない。「お前誰だよ」という読者のツッコミが絶対ある。

良い例

 モーニング娘。に加入したミキティこと藤本美貴が久々に新曲を発売するぞ。なんとバラードらしい。ミキティはポップスが似合うという印象があるけど、大人になった彼女のバラードもいいかもね。

→「一般的にそう思われているよね」という書き方なのでよい。勿論、書き手の思い込みでは駄目。

 サイトで日記や評論などを書いていて、ライターとして採用されて最初の仕事が無署名原稿だと、まずこの辺で戸惑うのではないかと思う。私も初めて無署名原稿を書いた時、「自分を出し過ぎ」と注意された。とにかく、慣れるしかない。

※ちなみに藤本美貴の新曲うんぬんはフィクションです。

 私の経験だと、400字詰め原稿用紙1枚分のギャラが高いのは署名原稿の方だ。無署名原稿の方は、オレンジ通信からニュートンまでといった感じで資料を幅広く山のように集め、あちこちに取材に行って、100字から400字ぐらいの読み物を量産するという風に、大抵の場合、署名原稿より手間暇かかるが、400字詰め原稿用紙1枚分のギャラは署名原稿のそれよりいくらか安い。場合によってはだいぶ安くなる。

 ギャラの支払われ方だが、トータルで○万円なのか、手取りで○万円なのかで違ってくる。たとえば、トータルで5万円だとすると、

 支払金額5万円-源泉徴収額5千円(1割)=手取り4万5千円

 ということになるが、手取り5万円だと、

 支払金額55555円(俗に5並び)-源泉徴収額5555円=手取り5万円

 となる。5万円という数字が契約で出たとしても、実際に受け取れる金額に差が出てくるのだ。

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