第六十六回 砂浜での約束


「はい、お土産」
 柔らかそうなベージュのセーターを着た彩実ちゃんが、テーブルの上に紙袋を置いて私の方に向かって両手でそっと押した。
 冬の日曜日、湘南海岸のファミレスはそれなりに混んでいたが夏の騒々しさはない。
 彼女曰く、結婚式は素晴らしいもので、友人の花嫁さんも綺麗だったらしい。有給をちょうど使い切ったから、もう休めないと笑っていた。
 たった二週間会わないだけでも随分懐かしく思えた。そして、まじまじと彼女の顔を見た。
「どうしたの?」
「いや、別に」
「ふうん……。ならいいけどっ」
 いつもと変わらず語尾を強調して、彩実ちゃんはちょっと照れたように微笑んだ。
 数カ月前まではまったく赤の他人だった人間同士が、今は2人きりで海へ遊びに来て、こうして向き合って話している。
 物を書く仕事を始めてから、縁の不思議さのようなものを実感していた。学校なら学力、会社だったら才能、そういった共通点のある人間が集まると思うが、物を書く仕事を通して知り合う人たちは、明らかに自分とは違う。大抵はエリートだ。学生時代に同級生だったら、話題も趣味も塾のクラスも違って話しをすることはなかったであろう人間同士が一緒に仕事をする。そんな当たり前のことをいちいち考えるのは、私の方にコンプレックスがあるせいなのかもしれないが、不思議なものはやはり不思議だった。
「見ていい?」
 オレンジジュースが入った目の前のグラスを除けて、紙袋を引っ張りながら言った。
「うん。大したものじゃないけど。期待していたらごめんね」
「俺のことを忘れないで、お土産買ってきてくれただけで嬉しいよ」
「忘れるわけないじゃん。忘れていたら、毎日手紙書かないもん」
「そうだな」
 私が頷くと、頬を膨らませていた彩実ちゃんは、一転、白い歯を見せた。
 外国帰りの人と会うのは3回目だ。皆、「工藤なら気に入ると思って」と言いながら、台湾で売られているBaBeのCDとか、ブードゥー教で使われていそうな悪魔の像とか、飾るにしてもどこに飾っていいのかわからないものを買ってきてくれるのだが、彩実ちゃんのお土産ならまず間違いはないだろう。
 入っていたのは、ディズニーのキャラクターがたくさん描かれている大きくて作りのしっかりしたマグカップと、やはり大きなキーホルダーだった。
「ほんとにごめんね。なにを買うかほんとに迷ったんだけど、圭くんの趣味がいまいちわからなくて無難なものにしちゃった」
 恋人ですら趣味がわからないのだから、友人たちがBabeのCDとか、ブードゥー教で使われていそうな悪魔の像を買ってくるのは責められないのかもしれない。それに、なんだかんだ言ってBaBeの「I Don't Know」は自分の声を女性の声に出来るカラオケ店では私の持ち歌なのだから。

 食事を終えて、少し砂浜を歩くことにした。風はあったがそれほど強くなかったので、しばらくいても風邪をひくことはないだろう。
 横断歩道を小走りに渡って砂浜に入ると、彩実ちゃんは私の右腕に自分の両腕を絡ませて、頭を私の肩に当てた。コートを通して、彼女の温もりが伝わってくる。私の体温も彼女は感じてくれているのだろうか。安心したように目を瞑る。
 そのまま無言で波打ち際まで歩き、海を見た。
 湘南の海はお世辞にも綺麗とは言えないが、晴天のせいで海面が光っていてこの日は美しく見えた。
「彩実ちゃん」
「……うん?」
 まるで眠っていたかのように私の肩に頭を当てたままだった彩実ちゃんは、私の声に呼び起こされてゆっくりと目を開けた。
「俺、自分の小説が出たら海でやりたいことがあるんだよな」
「どんなこと?」
「馬鹿みたいなことだけど」
「うん」
「『俺はやったぞーーーー、ざまあみろーーーー』って海に向かって叫ぶの。別に誰に言ってるわけじゃないんだけどね」
 子供っぽいと笑われるだろうが、ざまあみろという言葉は小説家を志してしばらくしてからずっと心にあった言葉だった。この言葉を言いたく言いたくて、だけど言えない日々がいったい何年間続いただろう。
「そうなのかぁ」
 彩実ちゃんはそう言って笑った。
「よし」
「どうしたの?」
 私が問い掛けると、彼女は私の顔を見て言った。
「わたしも一緒に叫んであげる。二人でここに来て言おうね。『やったぞーーーーざまあみろーーーー』って」
「叫ぶなら夜にしような。恥ずかしいから」
「もちろんっ」
 彩実ちゃんははにかんだ笑みを浮かべながら言って、再び頭を私の肩に寄せ、ゆっくりと目を瞑った。

 翌日からKさんに頼まれたショートミステリのプロット作りに入った。ずっと青い鳥文庫用のストーリー、キャラクターと付き合っていたので、新しいものを書けるのは単純に嬉しかった。なにより、間違いなく書き終わるというのが嬉しい。長編を書くペースをまったく知らなかった私にとって、青い鳥文庫の話を執筆するのは(本当に続けていけるのかな……)と長期夜勤バイトの初日みたいなつらさがあったが、400字詰め原稿用紙8枚なら絶対完結させられると自信を持って言える。
 パズル誌は女性の方が読んでいそうだから探偵役は女性にしよう、ということをまず決めて、女性は夫に先立たれて長男と二人暮らし、弟が刑事、という設定を後付けした。
 問題はトリックだ。パズル雑誌の読者はミステリのファンと決まっているわけではない。やたら専門的なトリックだとわかりづらいだろうし、かと言って、簡単すぎると子供だましだと怒られそうだ。私は物理的なトリックの方がいいのかなと思ってKさんにいくつか案を出したが、「図の説明が必要になってくるほど複雑になると、読者は単純に楽しめないんしゃないかな。心理的トリックの方がいいと俺は思う」と言われ、確かにそうかもと思って練り直した。

物理的なトリック

 道具を用いるトリック。何もない所で人を殺した後、丸太小屋を作って死体を入れ、施錠し、自殺に見せかける、など。装置が大がかりになればなるほど説明も長くなる。

心理的なトリック

 人間の心理を利用するトリック。大事な手紙が部屋のどこかに隠されているのだが、いくら探してもみつからない。実は、机の上に無造作に置いてあった書きかけの手紙がそうであり、あまりにも目立つ所に置いてあったのでこれは違うだろうと最初から選択肢から外していたのが見つからなかった原因、など。人間の心理ってそうでしょ? と説明するのは簡単だが、俺は目立つ所から探す、などとつっこまれやすい。

 新しいトリックはなんとかOKということになり、一週間ほどで私はショートミステリを完成させた。

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