第八十回 アンケートの結果


 新年会が終わって、いつもの日々が戻ってきた。
 起きて顔を洗って歯を磨いて朝ご飯を食べて、パソコンを起動して「講談社.txt」をエディタで開く。カーテンを閉め切って蛍光灯を点け、「今は夜だよ」と暗示をかけながら、金田一の原稿料で購入したMDコンポから流れる曲を聴いてキーボードを叩く。
 ただ、これまでと若干違うのは“終わり”が見えてきたことだ。小説で起承転結の承辺りを書いていると、地平線まで真っ直ぐ伸びている道を走っているみたいになって心底嫌になるが、転に入ってくると頭の中の景色が変わってきて、ここを突き抜ければ終わりだと気分が前向きになる。
 青い鳥文庫の原稿は、400字詰め原稿用紙に換算して200枚近くまで来ていた。250枚は書けと言われているので単純にあと50枚書けば終わりである。
 缶コーヒーを左手で持ち上げて口をつけ、右手でマウスを持ち、エディタのスクロールバーを一番上まで持って行った後、下へ移動させる矢印をクリックしてバーを下げた。画面にはこれまで書き続けてきた文章が次々と表示されていく。書き始めてしばらくは同じことをしても1秒経たずにバーが一番下まで行ってしまったが、今は数十秒経過してもスクロールバーは半分より下ぐらいだ。
(俺、こんなに書いたんだなぁ……)
 コーヒーを飲みながら誇らしい気分になる。金田一の時は話ごとにファイルを作り、自分がどれだけ書いたのかよくわからなかったから余計に嬉しかった。

 トゥルルルルル トゥルルルルル――

 さすがにこの辺まで出来ていると電話がかかってきても胃が痛まない。コーヒーをパソコンデスクに置いて、居間の方まで歩き、受話器を取った。
「もしもし工藤ですけど」
「あー、Kだけど」
 Kさんのテンションは相変わらず低かった。
「あ、どうもお久しぶりです!」
 私のテンションは珍しく高かった。
「どうかね、青い鳥文庫の方は」
 何度もされたこの質問に対し、今までは「ええまあ、そこそこ」とか「いつもと変わらない感じです」とか自信なさげに曖昧な答えばかりを言っていた私だったが、この日は堂々と言い切った。

「もうすぐ終わります」

 そうだ、霧の中の迷路を歩いていたような、これまでの人生の中でもっとも悩み苦しんだ仕事がもうすぐ終わろうとしているのだ。
「へえ、そうか、じゃあいよいよ、小説家デビューだな」
 Kさんの、まあ、それなりによくやったんじゃないのとでも言いたげな、にやにやと笑っている姿が想像出来る。
「そう、単純にうまくいけばいいんですけど」
「Aさんに任せておけば大丈夫だろ」
 Kさんは笑いながらそう言うと、ついでにという口調で続けた。
「ところでさ、森山文佳の読者アンケートの結果が出たよ」
「あ……」
 Kさんの厚意でナンクロという雑誌に載せてもらった、事実上のデビュー作と言っていい森山文佳の事件簿。青果店の女性店主を主人公にしたミステリだ。金田一や青い鳥文庫とは違い、見開き2ページ、400字詰め原稿用紙でたった8枚の小説だが、掲載誌を手にした時の感動はもしかしたら一番強烈だったかもしれない。
 パズル雑誌にミステリというのは決して定番ではないので、一度載せてみて、読者アンケートを採り、好評だったら連載にしようということになっていた。雑誌が発売されて一カ月、ついに集計結果が出たのだ。
「えーとね」
「……」
「まあ、とりあえず続けていこうということになりました」
「そうですか!」
「読者的には、『載っているなら読む』という意見が一番多かったね。まあ、別に掲載されていても嫌ではないということだから、このまま続けてもいいだろうと」
 Kさんの口から連載決定を聞いて、右手を握り締めて拳を作り、「よし」と空気を叩くように振り下ろしたが、やがて不安になってきた。
(載っているなら読む、か……)
 私はあの作品に対してかなり自信を持っていた。キャラをうまく立たせることが出来たし、きっと人気が出るはずだと。だから編集部に、「すごく面白かったです!」なんていうはがきが殺到しているんじゃないかと期待した。ところが現実は、「あれば読む」「目に入れば見る」、その程度の反応しかなかった。
 読者の、面白いものをそうと判断する感覚は天才的である。AとBという、まったくジャンルの違う二つの優れた物語があったとしよう。読者は両方とも面白いと感じることが出来る。だが、Aを作ったクリエイターはBの、Bを作ったクリエイターはAのどこが面白いのかわからないということはよくあることだ。
 そして読者は、自分にとって面白いものをつまらないものだと思ってしまうことがない。つまり、口にした感想は絶対に正しいのだ。面白いものはどんなジャンルのものでも面白いと言ってくれる、そしてその言葉に間違いはない、以上のことから考えれば、「面白い」という感想がなかったという時点で、私の「面白い」という感覚に問題があったと判断出来る。一対一であれば感覚の違いかもしれないと言えるが、何百人、何千人となるとこちらにはまったく分がない。
 森山文佳の事件簿は、面白いという自信を持って書いたからまだ「あれば読む」ぐらいの反応で済み、未だにもやもやとした感触しかない青い鳥文庫の話だったら「まるで面白くない」と言われることになるのかもしれない――。

「あ、そうだ」
 こたつの上に座って、髪を掻き上げた状態のまま考え込んでいると、Kさんが言った。
「あれ送っておいたよ。支払明細書」
「え、いつも送ってくるやつですか?」
「いや、違う違う。確定申告に使うやつだよ。今までうちが払った金額と引いた所得税がまとめて書いてあるやつ。君の場合、所得税が全額戻ってくるはずだから、きっちりと申告しておけよ」
「あー、確定申告かぁ」
 そうだ、それがあったんだ。いつもと違うのは、今回は一応、作家として申告するということだ。
(確かフリーランスの人用に青色申告ってのがあるんだよな、それで申告しなくちゃいけないのかな、あと経費ってどうするんだろう)
 など、疑問が次々と浮かんでくる。Kさんに「物書きの確定申告ってどうするんですか?」と聞いてみようと思ったが、忙しそうなので「わかりました」と返事をして電話を切った。

 午後、彩実ちゃんに森山文佳の事件簿の連載が決まったというメールを書いた。返事はすぐに来た。

 圭くん、こんにちは(*^^*)
 連載決まったんだね! おめでとう!! 早速、友達に「連載が決まったんだぁ」ってメールしちゃった(笑)。

 あ、うちに来る日なんだけど、いつにしようか? 圭くんの予定が合えば再来週の日曜日にしようかな~って思っているんだけど……。なんか、母親がみんなで食事に行こうって張り切っているから、うちに来てしばらく話した後、車でお出かけっていうことになると思う。都合のいい日、知らせてね。それじゃ、お仕事頑張ってね(*^^*)

 AYAMI

 実は彩実ちゃんに、
物書きの確定申告ってどうやるか知ってる?
 とメールで聞こうと思ったのだが、これから彼女のご両親に会おうという二十代後半の男がそれ聞いたらまずいだろう、第一、聞いても困るだけだと自重していた。彼女からの祝福のメールは嬉しかったが、疑問が解消される目途はまったく立たない。
(作家の友達がいれば全部解決なんだよな。後藤さんにメールしてみようか。いや、でも、そんなことで時間を取らせてしまったら申し訳ないよなあ)
 悩んだ末、とりあえず書店に行って自由業の確定申告をテーマにした本を探し出し、編集プロダクションと講談社から支払明細書が届いた時点で、税務署に行って相談してみようということで落ち着いた。

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