第八十一回 税務署へ行く


 自由業者の納税というと、少しでも経費を認めてもらおうと白いタオルを頭に巻いて、もらった領収書を山のように積み上げ、電卓を叩いてなにやら計算しているという光景が思い浮かぶ。
 ところが私の場合、金田一の仕事はあまりにも突然だったし、書くことで精一杯で納税のことはまだ頭になかったから領収書など一枚ももらっていなかった。強いて挙げるなら、近所のケーズデンキでフロッピーディスクを買った時に受け取ったレシートに“領収書”と書いてあったような気がするが、それを提出すると150円、所得がマイナスになるのだろうか? ティーパックで入れた緑茶を、彩実ちゃんからもらったディズニーのキャラクターの絵が描かれているマグカップで飲みながら考え込む。
 しかし、考えてもわからないことが多すぎるので、青い鳥文庫の原稿が一段落ついたところでGoogleを使って検索してみることにした。作家さんが、経費は○○が認められて□□は駄目だった、なんて書いてくれていたら助かる。

“小説家 確定申告”
“ライター 納税”

 花林糖とお茶を交互に口に運び、上記のようなキーワードで検索をかけて出て来たサイトに行ってみたが、「今日、確定申告へ行った」とか「納税って大変だ」という話ばかりで、具体的な情報はまったく書かれていない。税務署や国税庁のサイトも見てみたがめぼしい情報はなかった。

 ネットでの情報探索は限界だと、翌日、書店に赴いてビジネス書コーナーで確定申告について書かれた本を見て回ることにした。とにかく知りたいのは“青色申告”と“物書きの経費”についてだ。一番理想的な展開は、

『作家納税入門』

 こんなタイトルの本を一分ぐらいで見つけて、購入してさっさと帰ることである。

 曇天の下、頬を切り取られるような寒風を受けながら、白い息を吐いて懸命にペダルを漕ぎ、書店の前でブレーキをかけた。急ブレーキというわけではなかったが、油をまったく挿していないせいか、それとも気温が低いせいか、発泡スチロールでガラス窓を思いっきりこすったような音を立てて愛車は止まった。
(すぐ見つかるといいけど)
 両手に息を吹きつけて勢いよくこすりながら店内に入って、真っ直ぐ、ビジネス書コーナーへと向かう。急に暖気に包まれたので鼻がむず痒くなり、立ち止まって二度くしゃみをした。
 いつものように右手の人差し指で背表紙を指していきながら本を探してみるが、『作家納税入門』は見あたらない。あるのは『サラリーマンの納税術』とか『サラリーマンの税金対策』とか、副収入のある会社員向けの本ばかりだ。
(これって、ようするに金持ちのサラリーマン向けってことだよな)
 本を手に取り、パラパラとめくりながらそう思った。考えてみると、お金をたくさん稼いでいるからこそ確定申告の時に苦労するわけで、そういう人向けの本ばかりが並んでいても別に不思議ではない。
(あーあ、貧乏人に読ませる本はないっていうことかよ)
 鼻からため息をつき、ふと視線を落とすと、

『ビンボーなあなたの確定申告楽勝マニュアル(情報センター出版局)』

 というタイトルの本が目に入った。

(……)

 タイトル的には私にぴったりである。早速手にとってめくってみると、年収○○○万円のカメラマンが申告すると○○万円戻ってくるとか、ライターが申告する場合の経費はこれぐらいは平気だとかの情報が書かれていて、まさに「自由業の人間が確定申告をするためのマニュアル」だった。うわあ、こんな本あるんだと思いながらすぐにレジに持って行って購入し、家に帰って読んでみた。青色申告の件はよくわからなかったが、どれだけ還付されるのかははっきりした。原稿料が振り込まれるたびに送られてきた支払通知書をかき集めて計算してみると、やはり私の場合、納めた所得税は全額戻ってくる。
 バイトの時には年末調整があって12月はいつもより多めにお金をもらえたが、自由業はその調整が少し遅れてくるらしい。

 数日後、編集プロダクションと講談社から支払明細書が送られてきたので、それらをボールペンや電卓と共にデイバッグに突っ込み、ダウンジャケットを着て、いつもの自転車で税務署へと向かった。
 まず、青色申告について聞いてみようと思い、自動ドアをくぐった後、辺りを見回す。
「申告されるんですか?」
「あ……え?」
 俺のこと? みたいな態度を取って、声を掛けてきた男性職員を見た。
「確定申告ですよね?」
「あ、はい、そうです」
 横幅が2メートルぐらいある机を二つくっつけた所に申告用紙が積み重ねられていて、その向こうに50代ぐらいの男性職員がパイプ椅子に座っている。
「お仕事は何をされてますか?」
「仕事ですか」
 頭の中でいろいろと考えた後、口を開いた。
「あの、ちょじゅちゅぎょうです」
 ライターと言えばもっと簡単だったのに、格好つけようとしたためにみっともない結果になってしまった。
「著述業ですね、じゃあこっちですね」
 職員は笑いながらBと印刷された用紙を手に取り、それを渡してくれた。どうもと頭を下げて受け取って、再び周囲を見る。すると左側にある部屋の扉に「相談所」みたいなことが書かれた紙が貼られていた。
「あの、すみません、申告の相談というのはあそこでするんですか?」
「ええ。そこでも出来ますし、向こうでも出来るんですが、ご相談の内容はどういったものでしょうか?」
「まあ、えーと、青色申告っていうんですか、その辺のことを聞いてみたいなぁと思いまして」
「だったらそちらですね」
「わかりました、どうもすみません」
 再び頭を下げて用紙を左手に持ち替え、部屋の前まで行って扉を二回ノックした。
「あーい、どうぞ」
 寝起きで客を出迎えたような、ものすごくかったるそうな男性の声が聞こえてきた。声の感じからするとかなりの年配者だろうか。失礼しますと言って扉を開ける。
「相談?」
 ガラスのテーブルを囲んで置かれている黒いソファにどっしりと腰掛けている六十代ぐらいの男性三人のうち、真ん中にいる白髪で眼鏡を掛けている男性が私に向かってそう言った。スーツを着ているが、この人たちはいったい何者なのだろうか。税務署の職員には見えないので税理士か?
「はぁ」
「なんの?」
「いや、青色申告について聞きたいなぁと思っているんですが……」
「青色申告?」
 男性はそう言って鼻を鳴らした。
「あのねぇ、青色申告っていうのはさ、その辺の人がやる申告じゃないのよ。だいたいあんた、なにやってんの、仕事」
 その辺の人というのがどの辺の人なのかよくわからないが、とりあえず、デイバッグを下ろしながら言った。
「えーと、一応、物を書いているんですが」

「……」

 明らかに妙な間が出来た。なんだろう、この間はと思いながら突っ立っていると、白髪眼鏡の男性が突然笑顔になって立ち上がり、手を向けて私を空いているソファに誘導した。
「さささ、ま、どうぞこちらへ」
 色眼鏡を外したというか付け替えたというか、部屋に入ってきた時と比べと明らかに三人の態度が変わった。と言っても、物書きという言葉に畏怖したのではなく、フリーターだと思ったら違ったので驚いたということだと思う。
「で、青色申告の何についての相談なの?」
 白髪眼鏡の男性はそう言って私の顔を見た。

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