第九十一回 混乱の後


 掲示板は、火はあちらこちらで見えていたものの、今で言う“炎上”状態にはならなかった。どこかしら偏った意見に対して不特定多数の人々が集っていたわけではなく、更新が減少したという、サイトを見続けている人にしか感じられない問題でもめていたわけで、それを責める人と同情する人がお互いの意見を出し合い、ずっと議論のような状態であったせいだろう。
 しかし、責める側はやはり熱くなっているから、言葉もどこか挑発的で場の雰囲気は悪化の一途を辿った。

【メッセージ】
やる気がねえならやめちまえばいいんだよ!
【メッセージ】
管理人さんの言い訳を聞いて本当にがっかりしました。もう二度と来ることはないと思います
【メッセージ】
ようするに自分が大物だと勘違いしちゃったんでしょ。自分が誰のおかげで有名になったのかよくわかっていないようだね。ファンを大切にしない作家の末路なんてたかが知れてるよ

 モニターを見るたびに増えていくそんな書き込み。最初から最後まできっちりと読むと胃と心臓の具合が悪くなりそうなので、わざと視点を合わせないようにするが、“やめちまえ”とか“がっかり”とか、俺のことを責めているんだろうなあという単語がぼやあっと見えてしまうとやはり胃と心臓が苦しくなる。

「すみませんでした、更新出来る時には頑張ります」

 私はとにかく謝った。もう謝る以外にできることがない。どの意見に対しても繰り返し繰り返し頭を下げ、掲示板が落ち着いてきたところで、いろいろな人が「もうそんなに責めるなよ。忙しいんだから仕方ないだろう」と取り成してくれたおかげか、やがて掲示板はいつもの姿を取り戻した。
 だが、それで私がほっとしたかというとまったくそんなことはなく、なんだか無性に寂しい気持ちになって、パソコンを立ち上げる気がまったく起きないまま、床に寝そべって宙を見つめて過ごしたりしていた。

「更新できねえなら、こんなサイトやめちまえ!」

 文字でしかなかった罵倒は、何度も頭の中で繰り返しているうちにはっきりとした怒声へとかわり、私の耳元で響き続けていた。パソコンを立ち上げて掲示板にアクセスすれば、きっとまた、モニターの向こうで怒りを剥き出しにして私に怒鳴る人たちの顔が見えてしまうだろう。
 罵倒されたり怒鳴られるのが怖いのではなく、自分の文章を読みに来てくれていた人たちに、これまでやってきたこと、今まで積み上げてきたことを全部捨てるように言われたことがショックだった。

 インターネットという世界を知り、初めてホームページビルダーで自分のサイトを作ってサーバーにアップしたとき、純粋にわくわくした。自分にとって嫌なことが起きるだろうなんて微塵も感じなかった。きっと、自分と同じように小説家を目指しながら苦労している人がいて、彼らの作品を楽しみにしている人たちがいて、お互いが時には議論を戦わせ、時には仲良く雑談しながら、前向きな世界を作っているだろう。もし自分がその世界に行くことができたらどんなにいいだろうか。そんなことを思った。
 稚拙なページが少しずつ発展し、人が集まり始めた。「面白い」と言ってくれる人もいた。今まで自分の創作活動は馬鹿にされるか無視されるのかのどちらかで、どうしても卑屈になっていたが、もうそんなことはないんだとひたすら前向きになれた。
 だが、訪問者の顔色を伺うということを覚えてしまった今、純粋に書きたいことを書き、やりたいことをやるというのは無理かもしれない。

(――だったらもうやめようか) 

 天井を見ながらふと思った。
 やめろと言うんだから別にやめたっていいだろう。お互い、もう傷つく心配はないわけだ。
 それにどうしても納得できないのが、更新が少ないということだけであそこまで責められたことだ。サイトの更新というのは義務なのか。忙しいと言うと罵倒されなければいけないのか。気が乗らないなんて口にしたら、袋叩きに遭わなければならないのか。
 考えれば考えるほど頭の中にもやもやとした思いが充満して、胸とのどの辺りが苦しくなってくる。なにか大きな塊を吐き出したいのに吐き出せない、妙な感じだ。

 ――当時の私が気づかなかったこと。それ、テキスト王というサイト、そして私という人間は“いびつなサイト”であり“いびつな人間”だということである。
 サイトを立ち上げたときはただひたすらアルバイトの日々だったことは何度も書いた通りだ。実績なんてなにもないし、アクセス数なんてたかが知れていたから言いたいことを簡単に書いていた。
 たとえば、ある日、こんなようなことを記した。

 プロ作家さんたちのホームページってアクセス数はすごいんですけどね、ものすごく面白いことが書いてあるのかっていうと……ですよね(^^;

 ようするに、実績のあるプロと違って、アマチュアの俺は毎日人生削って全力投球だということを言いたいのだろうが、基本的には「いいよなあ、プロっていうだけで人が集まるから」という、嫉妬丸出しの馬鹿文章だ。
 テキスト王は続き、いつしか私は文章を書いてお金をもらうようになってしまった。

○月○日

 いやー、今日は疲れました。早く寝ます。

○月○日

 今日も更新できない、ごめんなさい。

○月○日

 今日も無理でした(笑)

 プロのサイトって手抜きじゃないのか、という主旨の文章と、プロの立場で書いた上記の文章がテキスト王というサイト上で混在することになった。
 ずっと読み続けていた人はさぞかし混乱しただろう。

「なんかおかしくない?」

 と。
 ようするに、ある意味、掲示板での議論にかかわったみんなの心が傷ついた非はすべて私にあったのだ。立場の変化とともに私が成長していれば、あんなことは起きなかったのだ。私はプロになったのは自分が成長したからだと思っていた。だが実際は、私自身には特に変化はなく、周りの人たちが成長することを期待してプロにしてくれたのだ。それを自覚して、過去の言動を振り返り、反省し、糧にして、あくまでも自分の理想を目指して成長しようと努力するべきだった。ところが私は、プロならこれぐらいならできるだろと言っていたことを、努力なしにやっぱ無理だわとあっさり取り下げてしまった。取り下げるなら筋を通すべきだった。
 そしてもう一つ。確かに更新は義務ではない。しかし、義務じゃないんだからやらなくたっていいだろうと開き直ったことはどうだっただろうか。
 サインをしてくれと頼まれて面倒だなあと思い、「別に義務じゃないでしょ」とあっさり断るのと、申し訳ないなあと思い、「すみません、したいんですけど時間がないんです、ごめんなさい」と謝るということは、サインをしなかったということにおいて同じである。だが、断られた人間の気持ちはまったく違うと思う。自分や自分が生み出すものに関心を抱いている人に支えられているプロであるなら後者の態度を取るべきだ。だが、私は前者の気持ちを持ってしまった。それが透けて見えたから反感を買ったのだ。

 だが、当時の私はそんなことは微塵も考えられない。
 どうして自分があれほどまでに責められなければならなかったのか、とにかく、ただひたすらそればかりを考えていた。
(彩実ちゃんに電話してみようかな……)
 黒一色の携帯電話を手に取って、電話帳機能で彼女の名前を検索する。しかし、名前を見ただけでなかなか指が動かない。
 二人で泣いたあの日以降、彼女が今までよりも少し離れたところへ行ってしまったような気がして仕方がなかった。いや、それは気のせいではないのだ。まず、メールの数が減った。届くメールには自分の予定と現状だけ伝える“忙しい”という文字が増えた。そして、「電話してもいい?」という“お伺い”がまったくなくなった。
 正直、電話をかけるのが不安で仕方がなかった。声を聞けばきっと、彼女の今の気持ちをもっとリアルに感じてしまうだろう。もしそれが、私の予感通りだったらどうすればいいのだと。
 初めて掛ける電話のように、私は長い間、液晶に表示されている彼女の名前を見続けていたが、意を決して通話ボタンを押した。

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