第百六回 問いかける勇気


 そのあともこれからどうすれば一番いいのか私なりに考え続け、就職情報誌を何冊か買ってきて正社員としてのライターや編集といった求人募集に応募することにした。自由業としての物書きではなく正社員としてだったら私がこれまでやってきたことを無駄にせず、母に酬いることもできるのではと思った。
 履歴書を買ってきて、撮ったばかりのスピード写真を貼りつけ、学歴などを書き込み、ゲームの攻略本やゲーム雑誌を出している出版社、編集プロダクション、ゲーム制作会社の募集に応募していった。ゲーム関係にこだわったのは、実績といえるものが『ゲームボーイ』という雑誌でのゲームライターとしての数カ月の活動しかなかったからだ。

 しばらくして茶封筒に入った返信が届いた。恥ずかしい話、私はそれを面接日時を知らせる通知だと思った。25歳でゲームショップのアルバイトの面接へ行って笑われたといえども、面接もなく落とされたという経験はもう働く人が決まったという場合を除いてただの一回もなかったからだ。まして、一応、ゲームライターとしての経験はある。加えて今まで数千枚の原稿を書いてきたという自信、小学生のときから小説家を目指してきたという仕事への思いの強さ、そしてずっと信じてきた自分の才能。これらを合わせて考えたら、会って話を聞きたいと思ってくれるに違いないとまったく疑っていなかった。
 封筒を手で開けて、中に入っている紙一枚を取り出して広げた。

 工藤 圭様

 このたびは当社の社員募集にご応募いただき、誠にありがとうございました。
 ご送付いただきました履歴書をもとに慎重に選考いたしましたが、残念ながら今回は採用を見送らせていただくことになりました。
 末筆ながら、今後のご活躍をお祈り申し上げます。

「え……」
 A4の紙に印刷された、空白行を含めてわずか6行の文面。文面の下に広がっている紙の素地が、眩しく感じるほど真っ白に見える。

 ゲームライターとしての経験
 今まで数千枚の原稿を書いてきたという自信
 小学生のときから小説家を目指してきたという仕事への思いの強さ
 そして信じてきた自分の才能

 いくら楽天的な私でもさすがにわかる。

 そんなもの、まったく届いていない

(……この会社は見る目がない)

 私にできたのはせいぜい不採用通知を送ってきた会社を見下すことぐらいだった。そうだ、この会社はたまたま見る目がなかったのだ。ライター未経験でも体力と情熱があれば大丈夫、みたいな求人もあった。あなたにとって理想のゲームとはどんなものですかみたいなテーマで800字の文章を提出させたところもあった。そういうところだったら絶対に俺の才能をわかってくれる。
 翌々日、新たに企業からの封書が届いた。名前を見て胸が高鳴った。ここは800字の文章を提出させたところではないか。しかも封筒が厚い。これは採用通知とともにこれから働くにあたっての説明書みたいなものが同封されているに違いない。

 封を引きちぎるように開け、中に入っている紙を取り出し、見た。

 工藤 圭様

 このたびは当社にご応募いただき、ありがとうございました。
 ご送付いただきました履歴書、作品をもとに慎重に検討いたしましたが、残念ながら今回は貴意に添いかねる結果となりました。
 お預かりしていた履歴書と作品はご返却いたします。
 今後のご健勝をお祈り申し上げます。

「……」
 履歴書に貼ったスピード写真のすまし顔と、テンション高めに書いた800字の文章が空しい。

 そのあとも、会社から続々と封筒が届き、続々と履歴書を返却され、続々とお祈り申し上げられた。最初の方は相変わらず「見る目がない」と上から目線でこちらでも見切っていたが、三通目、四通目、五通目、六通目と積み重なっていき、十通目を超えた辺りで、いくら楽天的な私でもさすがに、

 世間一般から見た俺の評価がこれなんだ

 と理解した。どの出版社、編集プロダクション、ゲーム制作会社に応募しようが会えばわかってくれるということは絶対にない。会わなくてもわかる、それが今の私への客観的な評価なのだ。
 そして思った。

 俺は自分の才能を信じている

 他人が小説家志望の自分を心配したり、馬鹿にしたりするときにまるでお題目のように心の中で唱えていたこと。

 ただ信じるだけ――そんなもの、クソの役にも立たない。

 最後に届いた封筒をこれまで同様にゴミ箱に入れたあと、そのまま窓から行き交う車を見て考えた。
 出版業界への就職が無理ならもっと一般的な仕事をするべきなんだろうか。家具の配送助手をやっていたとき、「しばらく続けて社員になるという手もあるよ」といわれた。水道の配管の助手をやったときは、「作家というのもいいと思うけど、配管というのも一から自分で作っていける仕事で面白いよ」といわれた。
 確かにそうなんだろうなあと思った。
 作家になりたいという夢さえ諦めれば、今の自分の年齢ならぎりぎりで就職できるかもしれない。

(え……?)

 今の気持ちがひどくおかしいことに思えた。
 しばらく考えて、思いあたった。

(諦めるってなにもしてないのに?)

 そう。私は未だなにもしていないのだ。五体満足で、野球をまったくしたことがないのにプロ野球選手になりたいと子供のときから言い続けている男性っているだろうか。人前で一度も演技をしたことがないのに自分の夢は女優と言い続けている女性っているだろうか。
 私は赤の他人に自分の小説を読ませたことがほとんどない。誰も私の小説なんて知らないのだ。
 なのになんでいきなり諦めようとしてるんだろう。

 亡くなった母の思いに酬いながら自分の自尊心をある程度満たすという中途半端な就職活動をやめて、以前のようなアルバイトを始めた。
 そして富士通のFMVと28800bpsのモデムを買ってきて作成したのが『工藤圭のなかなか楽しいと思うページ』――後の『テキスト王』だ。サイトには私が当時書いていたオリジナル小説を掲載した。絶対に駄目だしされないであろう内輪受けの小説を友人たちに読ませて楽しんでもらい、やっぱり自分は面白い小説を書く才能があると、絶対に傷つかない狭い世界で完結させるのではなく、箸にも棒にもかからないような不採用通知をたくさん受け取って感じた「恥」をまた受けてもいいから、不特定多数の他人に問いかけたかったのだ。
「僕の書いた小説ってどうですか?」と。
 同じようにプロにも自分の小説を見てもらいたかった。今はそのときじゃないとか、格好悪いから必死にやりたくないとか、構想が完全にはまとまっていないので見せられないが、いつかまとまったらものすごいものになるとかではなく、とにかく今、書けるものを書いて、プロに問いかけたかった。「僕に物書きとしての才能はありますか?」と。その思いから完成させたのがローティーンの少女向けの小説である『あたしの彼はハムスター』だった。

 結果、運も味方してくれて両方うまくいった。サイトも小説も山あり谷ありで、友人に読ませて満足していたときと比べればありえないほど被弾し、体も心もぼろぼろの黒こげ状態にはなったものの、ほんの一年前までは“ど”がつく素人が『金田一少年の事件簿 謎ときファイル2』という本を丸々一冊書くことができて、講談社の一流の編集者からいろんなことを教えてもらい、今、角川書店から出版されるかもしれない小説を書こうとしている。

 だからいえること。だから一番伝えたいこと。それは、

「諦めずに行動すれば、必ず道は切り開ける」

 ということ。

 青い。
 しかもベタだ。

 だが、貧しい人生経験しか積んでこなかった私が唯一声を大にして、自信を持っていえることはそれしかなかった。
 私はこれを、プロの小説家としての自分の処女作になるかもしれない、『あたしの彼はハムスター』のテーマにすることに決めた。

(全部揃った)

 そう思うと同時に身震いした。
 金田一という山は無我夢中で登った。だから装備なんて気にならなかった。青い鳥文庫という山は、金田一の経験からこれも多分登れるだろうと思い、変わらない装備で登った。しかし、登頂するにはまったく足りず、途中で下山することになった。私はただ装備が足りなかっただけと思った。
 そしてハムスター。青い鳥文庫の失敗で得られた経験、必要だと悟って手に入れた数々の装備。客観的に見ても登るには充分だ。
 もしこれで再び登頂に失敗したら――。

 震えは止まらなかった。
 怖かったのではない。

 わくわくしていた。

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