第百五回 小説を書かない作家志望者


 サイトに書くのは5回目とか6回目ぐらいになるかもしれないが、私が小説家を目指し始めたのは小学五年生のとき、父方の叔父にケイブンシャの『名探偵推理クイズ大百科』(哲田良雄著)という本を買ってもらったのがきっかけだった。
 新年の挨拶の帰り、駅まで見送りに来てくれた叔父が「よし、圭に好きな本を買ってやろう」といい出したので、駅近くの小さな書店で分厚いその本を選んだ。特別ミステリが好きだったわけではない。家に帰るまで、電車の中で推理クイズを解けば暇潰しになるかなと思ったのが選んだ理由だった。

 この本は刷るたびに装丁が変わったようで、私が買ってもらったのは俳優の……多分天知茂だと思うが、彼が名探偵の明智小五郎に扮したドラマとのタイアップみたいなバージョンだった。
 日本と海外の名探偵のプロフィール、彼らを創造したミステリ作家のプロフィール、名作ミステリの紹介、その名作のネタバレ推理クイズと小学五年生にはたっぷり過ぎるぐらいのボリュームで、江戸川乱歩の『幻影城』だったら難しくて投げ出していたかもしれないが、この本は子供向けに書かれていたのがよかったのだろう、電車の中でも家でも夢中になって読んだ。何年にも渡って繰り返し読んだせいで、ほぼ全ページバラバラになってしまい、セロハンテープでくっつけてまた読み直したのもいい思い出だ。
 やがて推理作家という存在に魅力を感じるようになった。隙間すらない完全な密室から犯人が逃走するといった不可能トリックの考案、どんな難題でも鮮やかに解決する名探偵の創造。自分でやってみたいと思った。

 まずは実際に書いてみようということで、近所の文房具店で20枚100円のコクヨの原稿用紙を買った。
 机に向かってボールペンを持ちストーリーを紡ぎ出す作業は最高にわくわくした。今日なになにがあったと事実のみを記す日記や作文とはまったく違う。自分が神様になって好きなように話を作れるのだ。こんな楽しいこと、もうやめられないと思った。
 そして完成させたのが『消えた名画』という小説だ。
 400字詰め原稿用紙たった10枚の話だったが、小学生の自分には「10枚も書いた」と思えた。そしてよくある勘違いした。「俺には才能があるのかもしれない」と。続けて思った。「将来、小説家になろう」。

 中学校、高校へと進んでいき、購入した原稿用紙は数千枚というレベルにまで達し、部屋のありとあらゆるところに私が書いた原稿が積み上がった。『消えた名画』からまったく進歩なく、どれもこれも私と友人が出てくる内輪受けの話だったが、狙い通り(?)友人からの受けはよかったので、自分の気持ちはますます「俺には才能がある。絶対小説家になる」でかたまっていった。

 担任からは「選べるほどの学力はないけど、選ばなければ行けるから大学へ進学した方がいいのでは?」といわれたが専門学校へ進み、「駄目だ、俺には合わない」と思って3日でやめて、両親に「自分は小説家になりたいのでアルバイトをしながら書き続けて、新人賞に応募したい」と告げた。
 今思えば、大学へ行っても就職しても小説家を目指すことは可能だったんじゃないかという気がするが、おそらく、「自分には才能がある」などと大きな口を叩きながら、自分程度の人間はすべての力を小説に注ぎ込まない限り、プロになることはあり得ないとどこかで感じていたのだろう。
 目標を国内最高峰のミステリ新人賞である『江戸川乱歩賞』受賞に置き、平日は朝から晩まで荷物の仕分けをしたり、電動ドライバーでテレビチューナーの蓋を閉じたりして働き、休日は小説を書くというフリーター生活を始めた。

 ところが非常によくある話なのだが、アルバイトとして朝から晩まで毎日働くと18歳としてはかなり多いといえるような現金収入を得られ、友人はまだ学生なので自分の実入りのよさが際だって見えた。お金があれば当然遊びたくなる。そのうち一年というスパンで取れるかどうかわからない賞へ応募するなんてかったるくてやってられなくなり、結果、小説家になりたいからといいつつフリーター生活を送っているわりには、新人賞へ応募している気配がまったくない作家志望者、つまり「小説を書かない作家志望者」になった。

 そんな生活も二十代前半まではよかったが、半ば過ぎると風向きが変わり始めた。
 アルバイトの面接で、

「なぜその年齢でアルバイトを続けているの?」
 と聞かれ、
「小説家になりたいので」
 と答えると面接担当の人がわかりやすいぐらい引く。

 ゲームショップのバイトの面接で、
「今いくつですか?」
 と聞かれ、
「25です」
 と答えたら復唱されて笑われる。

 正月に親戚の家に挨拶回りへ行き、「圭はまだ小説家を目指しているのか」と私の話題になると場の雰囲気が急速に悪化する。

 十代のときはあんなににこにこしていえた「小説家になりたい」という夢は、二十半ばのフリーターとしての立場では他人にいえるものではないんだということを悟った。でも自分が小説家になれるということは疑っていなかった。友達も含めてみんな笑っていたけど自分だけは信じていた。これは美談ではない。はっきりいって現実逃避だ。しかし、小説を書かない作家志望者が自分のプライドを崩壊させないためには、たとえ根拠などなくとも自分の才能を信じるしかなかったのだ。

 賞を取れそうな小説はすぐには書けない、でも才能があることは証明したい。歪んだ思いは私にこんな行動を起こさせた。
 新聞で私より若い人が新人賞を受賞した報じられる。その本が売れていると聞く。友人も誉めている。私は初めからその本の欠点を見つけるつもりで手に取る。そして読み、些細な欠点を見つけて喜び、友人にいう。それで自尊心が満たされた。ベストセラーの欠点をこんな簡単に指摘できる俺やっぱすげえと。

 しばらくして母が入院した。つい一カ月までは普通だったので特に心配してなかったが、主治医の話を聞きにいって帰ってきた父はわかりやすいぐらいはっきりと肩を落としていった。

「お母さん、癌だ」

 スキルス性の胃癌だった。それだけだったら胃を全摘出するという手があったが、母は駄目だった。癌が全身の骨に転移していた。

「骨転移はどうにもなりません……」

 父と私と妹の前で主治医はいった。

 一番時間を作れる私が母の身の回りの世話をすることになった。最初は、「本当にあと数カ月で亡くなるんだろうか」と思うぐらい元気だったが、抗がん剤の投与をきっかけに一気に衰えた。
 鎮痛のためにモルヒネを投与されると、母は「壁中に虫が這っている」といったり、宙に向かって母にしか見えない幻と会話するようになった。毎日付けていた日記の文字は意味不明なものになっていた。
 そんな状態が続いたあと、私と二人だけの病室で、真っ赤に充血させた目を私に向け、顔をかすかに震わせながら母はいった。

「なにも悪いことをしていないわたしがこんな目に遭うのはおかしい。おにいちゃんのせいなの? おまえがわたしの体に変な機械を入れてわたしを苦しめているの?」

 私と母はよく喧嘩をしていた。しかし、原因は相性といったものではなく、小説を書かない作家志望者となって何年も経過していた私に対する母の心配だった。それだけに薬のせいだとはいえ、そんなことを面と向かっていわれたのは衝撃だった。全部俺のせいだと思った。母が癌になったのも、こんなことをいわせてしまったのも全部俺のせいだと思った。小説家になると言い続けながらなる努力をまったくせず、信じている自分の才能に傷をつけないことだけを心がけている息子を見て、母はなにを思っていたのだろうか。

 それからしばらくして母は亡くなった。入院してわずか一カ月、まだ56歳だった。最後の一週間はモルヒネの影響はなく普通に会話できた。亡くなる数日前から強制的に眠らされ、そのまま逝った。
 私はどうしていいのかわからなかった。母がこんなことになったのは自分のせいなのは間違いない。であるなら、ずっと心配してくれていた母に酬いるために私がこれからやることは、正社員という形でどこかに就職し、安定した生活を送ることなのだろうか。そうすれば「わたしの病気はおまえのせいなのか」といわれてしまった私の気持ちも少しは晴れるのだろうか。

 私は考えた。

 でも、一週間経っても、二週間経っても答えは出せなかった。

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