第百七回 友人の想い


 ぼさぼさに伸びた前髪が目に入らないようにタオルをはちまきのようにして頭に巻き、キーボードを叩く日々がまた始まった。私はキーボードのキーを叩く圧力が人より高いため、部屋の中で「カチャカチャ」ではなく「バッチンバッチン」という音が鳴り響く。被さるように金田一の原稿料で買ったコンポからGenesisの『The Cinema Show』が一曲リピートで延々と流れる。気持ちを盛り上げたいときはやはりプログレに限る。
 書き出しから集中し、気持ちが乗っているのがわかった。テーマを設定したことで、出発地から目的地まで頑強なロープが一本張ったような感じになった。青い鳥文庫のときはなんの目印もなかったので自分でストーリーを見失わないようにびくびくしながら書いていたが、今度は目印がはっきりしている。テーマを決めるとこんなに書きやすいものかと今更ながら感動した。

 軽快にキーを叩いていると、流れている音楽に埋もれて玄関のドアが二回叩かれたような音が聞こえた。はっきりとはわからなかったのでもしかして気のせいかなと思いながら眉間に皺を寄せ、視線を宙にやり、手を後ろに伸ばし、コンポのボリュームを絞った。
 少し間が空いて、やはりドアを二回叩く音がした。
 平日の昼過ぎである。なにがしかの勧誘だろうか。もし来客だとすると、平日の昼間にアポなしで来るのはあいつしかいないが……。
 執筆中なのでスルーしようと思ったが、もしあいつが来たなら息抜きになるなと思い直し、やはり出ることにした。
「お」
 予想通りというのか、なぜか後ろ向きに羽賀(仮名)が立っていた。おそらく、彼の存在も忘れられていると思うが、さっか道初登場は『第三十一回 自由の中で』。中学のときは塾が一緒で、高校時代は三年間同じクラスの親友の一人だ。ゲームは好きだが小説にはまったく興味がなく、高校のとき、私が書いた小説を読んでくれと原稿を渡したら水溜まりに落として読まずに返してきた。家が近く、ジュースを持って一方的に遊びに来てはファミスタなどをやって帰っていく。
「今日休み?」
 私がそう聞くと、彼はこちらに向き直ってああと答えた。羽賀君は職業柄平日が休みなのだ。手にはコカ・コーラのペットボトルが二本握られている。
「仕事してた?」
「あー、まあしてたんだけど、とりあえず入れよ」
「あ、そう。じゃお邪魔します」
 羽賀君は慣れた様子で靴を脱ぎ、なんの躊躇もなく部屋に入り、まるで温泉に肩まで浸かったときのような声を出してあぐらをかいた。
「書いてんの?」
 15インチのCRTモニターに映し出された文章にちらっと目をやって羽賀君がいった。
「ああ。まだ出だしだけどね」
「講談社のなんとか文庫?」
「いや、角川の方なんだけど」
 なんとか文庫といういい方からして興味がないのは明白なのだが、彼はわりと空気を読む方なので私に気を遣って話題を振ってきたのだろう。

 その後、いつものように二人でコーラを飲み、口寂しいからお菓子でもということでカールのチーズ味を買ってきてつまみ、「小室友里のルームサービス、やっと見た」という話をし、羽賀君の仕事の愚痴が始まり、私の愚痴が続き、あっという間に外が暗くなってきてまったりとした雰囲気になった。
「にしてもあれだなあ」
 羽賀君がとっくに空になったコーラのペットボトルをいじりながら口を開く。
「俺はほっとしてる」
「なにが?」
 羽賀君が妙にしみじみとした口調でいったので、不思議に思いながら訊ねた。
「……前、バンドの練習のときに沢田君(仮名)の友達の女の子がボーカルで来たことあったじゃん。覚えてる?」
「あー、あのアロハシャツみたいの着てた子な」
 すぐに思い当たった。
 数年前の話だ。羽賀君と私は、彼がギターで私がベースで、あるバンドにいたことがあった。演奏したい曲をスタジオだけで楽しくやろうみたいな緩いバンドで、ある日、メンバーの沢田君が自分の女友達がボーカルをやりたいというので連れてきたということで、一回だけ彼女と合わせたのだ。
「そうそう。で、ファミレスで反省会みたいのやったよな」
「やった。今でも覚えているよ、あの日のこと」

 ――あの日というか、当時、私はやはり普通に職業「アルバイト」だった。確か、車のギアの点検と梱包をしていたんじゃないかと思う。組み立てられたばかりの油まみれのギアがベルトコンベアでどかどか流れてきて、それを手に取り、ぐるっと回して部品(ローラー)の抜けがないかチェックをする。問題ないということであれば、それをケースに入れ、段ボール箱に詰めるのだ。休憩と食事以外、ずっと立ちっぱなしの仕事で日給は7500円だった。
 ファミレスで夕食を取り終わったあと、なぜか各々の仕事の話になった。バンドメンバーは私を除いてみんな正社員か家業を継いでいる。ボーカルの子も正社員なのでアルバイトは私一人だけだった。
 恐らく、当時二十代半ばの私と同い年だと思われる女の子が、グラスの氷をストローでいじっていた私に向かって無邪気にタメ口でいった。
「ベースの彼は仕事なにしてるの?」
「……え」
 あまりにもストレートな問い掛けに言葉が詰まった。仕事なにしてるの、だ。私が常に避けていた「今なにしてるの?」よりも直球だ。答え方がわからない。人を使うような立場になってきたことへの悩みみたいな話が続いたので、そういった経験がまったくない私には余計にわからない。とりあえず「車のギアの点検と梱包」とだけ言い切って終わるべきなのか。それとも単に「アルバイト」というべきなのか。
 頭の中がいろいろとごちゃごちゃした後に、私は口を開いた。
「いや、流れ……作業……とか
 自分の立場を明確にすることなく仕事内容を簡潔に伝えたいという焦りから、突っ込みウェルカムみたいな感じになってしまった。奥に行けば行くほど小声になり、おそらく、「流れ」以降は誰の耳にも届いていないだろう。
「え、よくわかんないけどそれってバイトってこと?」
「まあ、そうなんだけど」
「じゃあフリーターってこと?」
 それはあんたに取って大事なことなのか。だから言葉を変えて同じことを二回いったのか。
「そうだね」
「ふうん」
 女の子はなにか釈然としないという感じで小首をかしげると、私の目をじっと見ていった。

いつまでそんな中途半端な生き方してんの?

爆発炎上

ファイル:Explosions.jpg - Wikipedia

 あー、すみませんでした

 中途半端ですみませんでした

 いつまでも国民年金ですみませんでした

 この辺の構成がいわゆる“古き良きテキストサイト”っぽくてすみませんでした

 止めどもなく湧いてくる謝罪という名の皮肉。しかしこんなことを面と向かっていえるはずもなく、私はただ苦笑いをするだけだった――。

「あんときゃ惨めだったなあ。痛いところ突かれたっていうか。おまえはなんのフォローもしてくれなかったし」
 私の言葉に羽賀君は笑いながら謝った。
「あははは、いや、悪かった。でも、それはそれとして、あのときからずっと気になってたんだ」
「なにを?」
「……」
 羽賀君はしばらく俯き、どういう言葉を使って自分の気持ちを伝えるか考えているようだった。やがて顔を上げ、わたしに視線を向けていった。
「工藤は昔から誰に対しても自信を持って小説家になりたいっていってたじゃん。小説家目指してバイトしてるって。だけどあの頃からだんだんいわなくなったよな。自信家だったおまえが、あんな受け答えしかできなくなっていたのがショックだった。正直、おまえはこれからどうなるんだろうと思ったよ。ずっと心配だった」
「あ、そうなの」
 彼がそんな素振りを見せたことがないので意外だった。
「そうに決まってんじゃん」
 ちょっと怒ったようにいって、その後、諭すように続けた。
「俺だけじゃないと思うよ。高松君だってそう思っているはずだよ。伊集院、早乙女もそうだろ。みんな、おまえのプライドを気にして口に出せないだけで、心の中では心配してるんだよ」
 そして、視線を原稿が表示されたままのモニターの向けていった。
「だから今のおまえを見ていると嬉しいんだよ。自信を持って小説を書いている、こんな仕事をしていると言い切っているのがさ」
 思わず私もモニターに視線をやる。私が嫌いな青臭いやりとりなのに、ちょっと嬉しくなった。
「でもな」
 羽賀君がそういった後、私の肩を叩くように右手を乗せた。
「調子のんなよ」
 きっと、気分がよくなった私が昔みたいになにかしら“豪語”すると察知したのだろう。実際、一発吹いてやろうと思っていたが、タイミングよく制されたのでただ笑うしかできなかった。

 羽賀君のおごりでピザを食べ、いまだ現役のファミスタを二試合し、二試合とも勝った羽賀君は風の冷たさに上着の襟を立てながらも上機嫌で帰っていった。
 彼を見送り、玄関のドアを閉めて、私は部屋に戻ってモニターを見た。まるで促すようにエディタ上でカーソルがゆっくりと点滅している。それからちらりとコンポの隣に置いてある四角くて黄色い目覚まし時計に目をやった。
 緩くなって取れ掛かっていた頭のタオルを一度外し、巻き直す。私はモニターの前であぐらをかき、両目のまぶたを人差し指で何度か押した後、これまで書いてきた原稿を読み直し、キーを叩き始めた。

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