第百十一回 華やかなメッセージ


 買い置きしておいたチーズビットを持ってきて左手でつまんで口の中に放り込みながら、パソコンデスクをボールペンの尻でこつこつと叩き、なにをどう書けばいいのか思案した。
 学歴であれば履歴書で書き慣れているが、プロフィールとなると難しい。出版の可否の判断にあたって作者が提出する自身のプロフィールが大きな影響力を持つとはあまり思えないが、常識外れに書いたらまずいだろうし、だけど、社会経験の少なさが災いしてどうなると常識外れなのかがよくわからない。
 とりあえず無難なのは普通に略歴を書くことだろうと考え、略歴の書き方を検索して秀丸エディタで記した。問題は好きな映画である。やっぱり晴れの場に提出されるものだし、この項目で多少アピールした方がいいのか。もしアピールする場合、有名人のプロフィールで好きな映画に古いタイトルがあるとそれだけで高尚なイメージを持ってしまうが、『イントレランス』などを挙げてそういった効果を狙うべきなのか、それとも、彼、ちょっと変わってるよねという類の感想を狙って『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』とか『死霊の盆踊り』といった、変であることで有名な映画をあえて持っていくべきか。

イントレランスの一シーン

イントレランスの一シーン。映画が古くてパブリックドメインだった。

「好きな映画は『イントレランス』です」
 試しに呟いてみた。格好はいいような気がするが、すかしている感じもする。二十歳ぐらいの頃、書店で著書を10ページぐらい立ち読みしただけなのに、友達に「渋澤龍彦っていいよね」といったことを思い出した。
 熟考した末、やはりユーモアを取ろうと思いキーボードを叩きかけたが、別のことを思い出して手を止めた。

 そう、確か中学三年生のときだった。バス遠足で若いバスガイドさんに、

「クイズです。ある学校に女の先生がいました。その先生はすごく厳しくて体罰なんかもしていたのに、生徒から人気がありました。なぜでしょう?」

 と、DUNK(集英社から出ていた青少年向けの雑誌)かBOMB(学研から出ていた、同じく青少年向け雑誌)辺りに載っていたクイズを出して、

「えー、綺麗だったからとかじゃなよね。えー、わかんない。答教えて」
 との反応に、

「正解は『慕われているから』、つまり女性だから『下、割れているから』」

 と正解をいったら、バスを降りたあと、個別に独身男性で担任の小村先生(仮名)に呼ばれ、バスの影、皆から見えない位置で、
「工藤、頼むから恥をかかせないでくれ」
 と、可哀想なものを見るような目つきで押し殺した声でいわれたことがあった。
 うちのサイトに載せるプロフィールならまだしも、真面目な場で自分なりのユーモアを狙うと担当のOさんに迷惑がかかるなと思い直して洋画と邦画を一作品ずつ、

 スティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇
 岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?

 と直球で書いた。

 メールでプロフィールを送ったあと、Oさんから「プロフィール受け取りました。ありがとう。会議は来週です。いろいろと決まったらまた連絡します」といったような返事がきて、その会議の日までは不思議な気分だった。受験を終えて合格発表までの気分と似ていると思うのだが、私の場合、高校は「単願で受験したら落ちようがない」といわれていたような学校だったので特に高揚感はなかったし、一教科入試で國學院大學を受けたとき(『國學院大學で週刊少年ジャンプを読んだ日』というタイトルで別に掲載)はもう駄目だというのが受験の段階でわかっていたのでやはりフラットな気分だった。
 今回は、相応の努力をした上で難しい試験に挑戦し、かなりの手応えがあるというかつて経験したことのない流れなので、自信と不安が絶えずせめぎ合っているという状態だった。

 もし、本が出るとなったら。いや、出たら。
 ふと振り返る。
 これまでの人生の長さを考えればちょっと前といえる、図書館で一日を潰していた日々。周囲から見たら、いったいなにを考えて生きているんだろう、なにが楽しくて生きているんだろうと疑問だったろう。その頃、膨大な時間を埋めるために丸山健二の『まだ見ぬ書き手へ』、クーンツの『ベストセラー小説の書き方』、あるいはシナリオの書き方や作家の自伝などを手にして抱いた、“もし、自分が小説家になったら”という、実は心の拠り所でもあった空想。
 やりたいことはたくさんある。発売日に近所で一番大きな書店へ行き、自分が見ている範囲でということになるが初めて自分の本を買ってくれた人にお礼をいってみたい。漫画家の相原コージが見ず知らずの読者に面と向かって自分が作者だと打ち明けるのはやめておけと描いていたような記憶があるが、引かれるのを覚悟してやってみたい。
 小学生とか中学生の女の子からファンレターが届いたらどうしよう。返事は絶対書きたいが、俺の汚い字で送ったら幻滅させるだろう。友達に頼んで代筆してもらおうか。
 いろんな人に対して、いい年をして就職もせずアルバイトを続けて小説家を目指すということに対する負い目が多少なりともあった。だから、本が出たら砂浜に立ち、海に向かって「やったぞ、ざまあみろ!!」と誰彼かまわずいってやろうとずっと前から決めていた。それも叶えたい。
 お世話になった人たちに本を贈りたい。
 恩師や友人、Kさん、長く勤めたアルバイト先の店長や社員さん。

 ――そして。

 彼女の顔が思い浮かぶ。
 彼女――彩実ちゃんは、まだ付き合う前にいった「俺の小説が出版された必ず最初に見せる」という約束を覚えてるだろうか。別れてしまった今、その約束を果たしていいのだろうか。あの別れのメールをもらってからまったく連絡を取っていない。もし本を贈ったら、それが電話をする絶好の口実になり得ることはわかっている。電話をしたら、きっと私はずっと心の奥底にしまっていたことを口にしてしまうだろう。いや、本当はいいたくて仕方がないのだ。

 会議の日。
 何時からあるとは聞かされていなかったが、終わったらすぐにメールを送るとOさんがいっていたので昼過ぎから一時間おきにパソコンを起動して待っていた。新着メールが届いたときはネットスケープの右下にあるメールのアイコンの横に「!」が付く。友達の誰かが休みであれば無理矢理家に連れてきて話し相手になってもらいたいところだが、平日なので一人。
 新聞を読んだり、漫画を読んだり、あぐらをかいたり、寝転がったり、のどが乾くのでスーパーにジュースを買いに行ったり、部屋から外を見たり、ため息をついたり、顔を両手で覆ってこすったり、そんなことをランダムに繰り返していると、これから暗くなってくるであろう夕方、Oさんからのメールが届いた。

 会議が終わりました。

 モニターに向かって乗り出すようにして下に続く文章を読む。

 無事通りました。よかったです。

「ぐ……」
 なぜか歯を食いしばってしまい、その状態で息を吐いたので鼻の奥から豚の鳴き声を低くしたような変な音が漏れた。
 Oさんからのメールはその後、校正をした原稿を送るので著者校正をして送り返してほしいといった今後のスケジュール、発売日はまだ決まっていないが三月か四月のどちらかになるということ、挿絵を誰が描くかはまだ決まっていないということ、二、三、ストーリーのことで相談したいことがあるのであとで電話しますということが書かれていた。

 そして、最後に一文。こう添えられていた。

 デビュー決定だね。おめでとう。

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