第十二回 打ち合わせの後


「それでは、よろしくお願いいたします」
 2時間ぐらいで打ち合わせも終わり、よし帰ろうと席を立った私に対して、KさんとTさんは深々と頭を下げた。最敬礼と言ってもいいだろう。
 この瞬間(ああ、俺は本当に仕事を頼まれたんだな)と思い、体が震えた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。精一杯頑張ります」
 そう言って同じように頭を下げた後、私は心地よい緊張感を保ちながら編集プロダクションを後にした。
 打ち合わせによって決まったのは以下の4つである。

  • 執筆は、打ち合わせをしやすいようにプロダクション内でやってもらいたい(土日は休み)。パソコンやプリンターなど、執筆に必要な機材はすべてこちらで用意する。
  • 文章は基本的にすべて任せる。トリックが足りないので10ぐらいは新しく考えてほしい。
  • 原稿料は本来、本が出た後に支払うものなのだが、それだと大変だと思うので来月の10日、再来月の10日と2回にわけて支払う(これは本当に助かった)。
  • 講談社の編集者に見せるまでの時間があまりない(2週間程度)ので、とにかく早く進めてほしい。

(さてと……)
 帰宅後、私は今回の話を父親に説明する必要があった。
 なぜなら、残っていたバイト代が底を突き、自力だと定期代の2万円が捻出出来ないからである。
 インターネットでホームページを開いていて、たまたま編集プロダクションっていう組織からメールが来て、講談社から出る本を書いてほしいって言われて、東京にあるプロダクションに通って書くことになったから、悪いんだけど定期代2万貸してくれ、という、当事者以外が聞いたらかなり胡散臭い話を、果たして父親がわかってくれるのかどうか甚だ疑問であったが、とりあえず言うだけ言ってみた。
「ということなんだけど……」
 すると父親は無言のまま財布を開け、2万円を私によこした後、更に1万円をくれたのだ。
「飯代だ」
 と言いながら。
 持つべきものは肉親である。

 さっか道の冒頭、エッセイなどでさんざん書いているが、「作家志望」というのはとかく世間から怪しく見られる。怪しいならまだしも、おかしいという風に見られる場合も多々ある。そしてその意識は、私だけではなく家族にも向けられるのだ。
 実際、うちの父親は年始の挨拶やらなんやらで、「育て方を間違ったから、ああなったんだ」と親戚から相当叩かれていた(らしい)。
 確かに、27歳にして「作家になりたい」などと雲を掴むようなことを言いつつ、賞に応募することもなく国民年金も払わず、彼女もいなくて、アルバイトで生きている人間が親戚にいたら、「作家になんてならなくてもいいから、とりあえず就職しろ!」と、苦言の一つでも言いたくなるだろう。
 世間的に見れば、なれるかなれないかわからないような仕事を目指しているアルバイト(フリーターなどとも呼ばれるが、私はこの間の抜けた呼ばれ方が大嫌いだった)なんて、単なる変人に過ぎないのだ。

 父親も私に言いたいことは山ほどあっただろうが、それでもこの時、黙ってお金を貸してくれた。
 これを意気に感じないようでは息子としてどうしようもない。
 さんざん迷惑をかけた父親に恩返し出来るチャンス、とにかく全力を尽くそうと私は気持ちも新たにパソコンに向かい、新たなプロット作りに着手した。

目次へ

▲このページの先頭へ戻る