第三十四回 Aさんからの電話


 この年の夏は特別蒸し暑かったような記憶がある。
 クーラーの設定温度は21度。それでも、フィルターが詰まり加減のためか、部屋はムシムシしていた。
 髪の毛を切りに行く暇がなかったので、頭にバスタオルを巻き、長い前髪が目に掛からないようにして、あっという間にぬるくなった烏龍茶を飲みながらキーボードを叩く。
(……うーん)
 完成に近づいてきたプロットを見ながら、私は右手で強く後頭部を掻き、唸った。
 正直、不安だった。
 これさえ書けば小説家デビュー出来るという気持ちもあったが、本当にこれで大丈夫なのかなという気持ちの方が大きかった。自分のプロットが、他人のものより優れているとは思えなかったのだ。タイムトリップしてどうこうなんていう話、小学生の創作コンクールにだってゴロゴロ転がっているだろう。そして、ジェネレーションギャップ。子供の面白いと自分の面白いは共通しているんだろうか。
 しかし、プロットを出さなければ話自体が流れてしまう。自信がなくても、とにかく送ることが大事なのではないか……。
 いいのか悪いのか仮の答えさえ出せないまま、私はプロットを書き上げ、金田一のギャラで買った19800円のプリンタで印刷した後、近くの郵便局からAさん宛に簡易書留で送った。
(……いつだったかな、あれ送ったの)
 郵便局員に封筒を渡した後、一番最初にこの郵便局から送った小説のことを思い出した。20枚100円の原稿用紙にボールペンで書き、ホッチキスでまとめてローカル新聞社の文芸コンクールのようなものに応募したのだ。確か、中学校一年生か、二年生の時。結局、切手の料金不足で戻ってきた。
 その次はエニックスのコンクールだった。その後は文学界新人賞だったか。
 常に編集部宛だったのに、今回は編集者個人宛。なんとなく偉くなったような気がして、少し気持ちがよかった。

 3日ほど経ち、自分の部屋で横になってテレビを見ていると、父親が受話器を持ちながらやって来て、小声で言った。
「講談社のAさんから」
「Aさん!?」
 まさか送ってすぐに連絡があるとは思わなかった。
 父親はこの時のことを後にこう語っている。

「こいつ(私)が本を書いていると言った時、とてもじゃないけど信じられなくてさ、騙されているんじゃないかと思ったよ。うん。でも、その後、講談社から電話があって、あのときゃほんとにびっくりした。普通、講談社から電話なんてないでしょ。それでやっと信じた」

 話を戻そう。
 慌てて電話に出た私に対し、Aさんは開口一番言った。
「いやー、びっくりした」
「え?」
 びっくりした? なにが? 
 まったく意味がわからない私に対し、早口で続ける。
「こういう風に来るとは思わなかったなぁ」
「え……」
「いやほら、工藤君と車の中で話していた時さ、アウトローの教師が面白いっていう話してたじゃない」
 この時点でやっと気づいた。Aさんは私のプロットの出来のよさに驚いているのではなく、「なんかさ、これちょっと違わない?」と指摘しているのだ。
「あ……はぁ……」
 やっぱり、プロの世界は甘くなかった。自分が特別面白いとは思っていないプロットが通じるわけないのだ。
 言葉が出てこない私に、Aさんは言った。
「とりあえずさ、工藤君、来週暇かな?」
「来週ですか?」
「うん。水曜日か木曜、えーとね、ちょっと待って……あ、水曜日がいいかなぁ。あのさ、ちょっと飯でも食いながらお話ししましょう。講談社に来てもらってもいいんだけど、それだとちょっとめんどくさいから、新宿に待ち合わせでいいかな。工藤君は新宿で待ち合わせする時、どこ使ってるの?」
 話はいつものように、Aさんペースで突き進んでいった。
「え……えっと、そうですね、アルタ前とかかな」
「アルタ前か。僕は、あそこ使ってるんですよ。えーと、ヨドバシカメラの先に中村屋があるじゃない。そこ。わかりやすいっていうか、人があんまりいなくていいんだよね。まあでも、アルタ前でいいかな。僕はアルタで待ち合わせたことないから、ちょっと不安だけど。えー、それじゃ、来週の水曜日、アルタに4時頃来てもらえる? まあほら、金田一の慰労会みたいのもやりつつ、小説の打ち合わせをしようよ。K君も交えて慰労会やんないといけないんだけど、まあ、とりあえずそれは後でいいや。じゃ、よろしく」
「あ、こちらこそよろしくお願いします」
 私の声がAさんに届いたかどうか、言い切る前に電話の方が先に切れた。

 ――小説の打ち合わせ。

 自分の状況がどうなっているのかはよくわからなかったが、この言葉にはときめいた。なんというか、どんどん話が本格化しているじゃないか。最初は「まあ、暇な時にでも小説のプロットでも考えてみてよ。どうなるかわかんないけど」ってな感じだったのに、今や、新宿で飯でも食いながら打ち合わせだ。
 プロットが駄目だから終わりではない。プロットが駄目でも、話は着実に進んでいっている。
(やっぱ、本当に小説家になれるのかな、俺)
 私の心は躍った。

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