第三十六回 料亭


(もう来てるのかな……いや、まだか……)
 白や青や黄色といった眩しい色が次々と目に飛び込んできて、思わず目を覆いたくなるような新宿アルタ前。アルタの一階にある店では蛍光サングラスやら原色の服やら派手な色彩の物がたくさん売られていて、チカチカする。
 私はリュックを背負い直しながら、目を細めて辺りを見た。
 中田英寿の影響をもろに受けたと思われる、妙に細長い黄色レンズのサングラスをした若い男たちと、ノースリーブシャツにミニスカートという格好の女たちが携帯を片手にうじゃうじゃうごめいている。見ていてかなり暑苦しかったのだが、一番暑苦しかったのは髪が耳を覆うぐらいに伸びていた私だったろう。
「金田一少年の事件簿 謎ときファイル2」発売前々日のこの日、私はAさんと待ち合わせをしていた。母親の形見である女性用の小さな腕時計を見ると、約束の時間を10分ほど過ぎている。
「いやあ、ごめんごめん」
 頭を左右に動かしていると、Aさんが苦笑いをしながらデニムっぽいシャツとジーンズといういつものラフな格好でやってきた。
「あ、どうも」
 私は軽くお辞儀をした後、Aさんの元へと歩み寄る。
「アルタ前で待ち合わせなんてしたことないからさ、人が多すぎて戸惑っちゃったよ。ははは」
 Aさんの笑いに合わせて、私も笑みを浮かべると、Aさんはすぐに反転して「じゃあ、行こうか」と言った。
「K君は忙しいのかな?」
 歩き出してしばらくして――具体的に言うと銀座ワシントン靴店の前辺りでAさんが言った。
「そうですねー、いろいろと大変みたいですけど」
 向かいから歩いてくる人を必死で避けながら、私は答える。
「彼はいつも忙しいよね。ちゃんと休んでいるのかな」
「一応、土日は休みみたいですけど、入稿前は関係なく出てますね」
「そうだろうなぁ。ほんとは彼ともっと仕事をしたいんだけどさ、いつもあんな感じだから声掛けられないんだよね、ははは」
 細切れの談笑が続き、あまり高くない雑居ビルの前まで来るとAさんは足を止めた。
「ここなんですよ。ま、行こうか」
「はい」
 しばしビルを見上げた後、Aさんの後に付いていく。エレベーターに乗って3階で降りた。
「どうも、講談社のAです」
 入り口は居酒屋風だった。濃紺ののれんが冷房の風でひらひらと揺れている。
「あ、Aさんお待ちしていました。お久しぶりです」
 入り口から出てきたのは、和服を着た清楚な感じの中年女性だった。
「いやいや、こちらこそ。えっと、席は?」
「はい、こちらです。ご案内します」
 堂々としているAさんに続き、私はなぜか頭をへこへこと上下させながら入っていった。客層を観察すると、40代、50代の上級管理職っぽい男性がほとんどだ。ビールが入ったグラスを手に、落ち着いた調子で話している。
 入り口から左に入った所にある、畳の部屋に通された。個室ではないが、客は私たちだけだった。テーブルはシングルベッドを半分に切ったぐらいの一枚板。さりげなく花が飾ってあり、すぐ近くからは、ししおどしの音が聞こえてくる。どうやら店の中央に水を流しているらしい。ししおどしの本物の音を聞いたのなんて、15年ぶりぐらいだ。
 あまり感じたことのない高級感。私の過去最高がすかいらーくグリルだとすると、その5段ぐらい上を行っている。
(……)
 私はつばを飲みながらリュックを置き、あぐらをかいた。
「それじゃ、すぐにお持ちしますか?」
「うーん、そうだね、とりあえずビールかな」
「かしこまりました」
 和服の女性は微笑みながら深々と頭を下げ、場を後にした。
 私はまったく落ち着かず、周りを見回した。打ち合わせというより、接待という感じだ。
「それじゃ工藤君」
「あ、すいません」
 いつの間にかビールが運ばれてきていて、Aさんが私のグラスに注ごうとする。慌ててグラスを持って、ビールを受けた。そして、すぐにAさんのグラスに注ぐ。
「よし、じゃあ乾杯といこうか。金田一の完成を祝して」
「は、はい」
 私とAさんは持っていたグラスをカチンと合わせた。Aさんがぐいぐい飲むのを見て、私も半分流し込む。旨い。キリンラガービールだったかエビスビールだったか、普通の銘柄なのになぜか妙に旨く感じられる。独特の雰囲気で気分が高揚しているためだろうか。
「あ、そうそう、工藤君にまだ渡してなかったよね」
 Aさんはそう言いながら黒いショルダーバッグを開けて、一冊の本を取り出した。
「工藤君に送ろうと思ったんだけどね、ちょっとバタバタしちゃって」
 Aさんが差し出した本の表紙には、

「金田一少年の事件簿 謎ときファイル2」

 と書かれていた。

本の表紙

 初めて見た。実は、ダ・ヴィンチや講談社のホームページで、この本のことが書かれてないかとさんざん探したのだがどういうわけか見つからなかったのだ。正直、本当に発売されるのか不安になっていた。
「ど、どうも」
 どもりながら、体を前に倒しながら受け取ってしばらく裏表を見た後、ゆっくりとページを開く。そこに印刷されていた文章は紛れもなく私が書いたものだった。吹き出しに入れた台詞、テレホンカードが当たるという懸賞クイズ、さとうふみや氏へのインタビュー、何度も書き直して嫌がられた解答編、そして、問題文。

本に挟まれた懸賞クイズ本の1ページ

(俺が書いた文章が、ほんとに本になってるよ……)

 ――微かに震えた。

 自分がキヤノンのインクジェットプリンタ(19800円)で印刷して、ホッチキスで留めたものではない。正真正銘、印刷所で印刷されて製本された本だ。本当にここまで辿り着いたのだ。
「明日ぐらいには並ぶんじゃないかな。前のと比べて初版を少なくしたけど、10万部ぐらいまでいってくれればいいなと思ってます」
 10万という数字にはピンと来なかったが、私はそうなんですかという意味で軽く頷いた。

目次へ

▲このページの先頭へ戻る