第四十三回 彼女とのドライブ


 謎ときファイル2が発売されて数日、工藤家ではまだまだお祭りが続いていた。父親は親戚に電話をして初めて息子の自慢をし、職場近くの書店で大量に本を購入してせっせと送っていた。私はと言えば、次々と送られてくるお祝いメールの返事を書いたり、以前のバイトに行ってお世話になった人に本をあげたりしていた。
「へえ、凄いね。これ、工藤君が書いたんだ。ふうん」
 思い入れの差なのか誰も反応はだいたいこんなもんで、しばらくすると話すことがなくなるという寒さだったが、私は単純に嬉しかった。お世話になった人に本を贈る。本を書いたら必ずやろうと思っていたことを実現出来たのだから。

「もしもーし」
 彼女から携帯に電話があったのは、本が出てから一週間ほど経った日のことだった。競馬に行って地元で食事をして以来である。
「あ、久しぶり」
「久しぶりじゃないよ、もう」
 時間は22時を回っていた。彼女はそこで言葉を切ってしばらく黙っていたが、やがてちょっと怒った風な口調で言った。
「あのさ、本をくれるって言ってたのに、全然連絡がないから取りに来たよ」
 取りに来た? しばらく意味がわからなかった私は、はっとしてサンダルを履いて外に出た。辺りを見ると、車の前でストラップ付きの携帯電話を持って立っている、愛くるしい彼女の姿が目に入った。彼女にしては珍しく、Tシャツとパンツというラフな姿だった。気のせいか、いつもより小柄に見える。
「えへへ」
 彼女は私の顔を見て笑った。この笑顔、どう見ても私より年上だとは思えない。私が駆け寄ると、突然両手を差し出した。
「なに?」
「早くちょうだい」
「ちょうだいって?」
 真顔でそう聞いた私に、彼女は馬鹿とでも言いたげな表情をして口を開く。
「工藤君が書いた本に決まってるじゃん。もう、くれるって言ってたのに全然連絡来ないんだもん」
「あ、そうか、ごめん、なんかいろいろバタバタしていたから」
 私は部屋に戻り、机の上に重ねていた金田一を一冊取って、再び彼女の所まで行った。
「はい、これ」
「ふうん、こんなのなんだぁ」
 彼女はにこにこ笑いながら、物珍しそうに本を回していた。
「文庫じゃないんだね」
「うん、小説っていうわけじゃないからさ」
「工藤君もこれで小説家か」
「だから、まだ小説家じゃないんだって。小説はこれから書くんだから」
 そんな会話をして、やがて言葉が途切れた。女性と二人でいることは苦手ではないのだが、彼女に対しては何を話していいのかわからなくなるのだ。彼女の方も本をめくっては閉じ、大事そうに抱え、また開くという感じだった。
「あ、そうだ」
「どうしたの?」
「いや、宅急便送らなくちゃいけないんだった」
 そうだった。オークションで落札されたものを送らなくてはいけないんだった。すっかり忘れてた。
 ポケットをまさぐって自転車の鍵が入っていることを確認すると、私は彼女に対して言った。
「それじゃあ、気を付けて帰れよ。またな」
 ちょっと唐突だけどまあ本当に用事があるんだから仕方がないよなと思いつつ、自転車置き場の方へと向かう私に、彼女は小さくて不満げな声で言った。
「……なぁんだ」
 小さいと言っても、周りにはまったく音がないので私の耳にその声ははっきりと届いた。振り返る私を見て、彼女はぽつりと言う。
「せっかく車で来たのにな」
 まだ意味がわからない私がもどかしいのか、彼女はこちらに一、二歩近づいてきてわざと大きな声で言った。
「あのね、ドライブに行こうって誘ってるの!」
 そしてまた小声で呟く。
「……もう帰りたいっていうなら別にいいけどさ」
 意外だった。いつもは、私が「今度、どこかへ行こうよ」と言っていた。彼女も「そうだね」などと明るく応えつつ、お互い、冗談交じりだったのでまったく実現しなかった。はっきり言うと、お互いの間にそういう空気は流れていなかった。ところが、この彼女の言葉はどう聞いても本気だった。あの日のことで、一気に距離が縮まったのだろうか。
「あ、いや、行くよ。ちょっと待って」
 すぐに自転車に乗って近くのコンビニに向かい、さっさと用事を済ますと立ち漕ぎで戻って彼女の車のドアを軽くノックした。助手席のドアが開き、私は頭をぐっと下げて乗り込んだ。
「時間が遅いからあんまり遠くまで行けないけど、とりあえず海の方まで行ってみようか」
「そうだね。まあ、任せる」
「えへへ、任せられちゃった」
 彼女はそう言って微笑んだ。

 車は国道134号線を鎌倉に向けて走っていた。このまま行くと、逗子の方まで行きそうだ。
 海へ来たのは久しぶりだった。冬の湘南も好きだが、夏の夜の海岸も味がある。ひょろひょろと舞い上がる中国製打ち上げ花火やドラゴン、何をする気なのかわからないが海辺で体育座りをしている男。どこかへ行ってきた帰りなのか、あれやこれやと話ながら駅に向かう浴衣姿の女の子たち。
 助手席から夜の湘南海岸を眺めていると、不意に車の速度が落ちた。
「ねえ」
「ん?」
「この間、あたし、夢があるって言ってたでしょ」
 信号待ちでサイドブレーキを引き、彼女は顔をこちらに向けて少し照れくさそうに言った。
「ああ、言ってたね」
「今話していいかな」
「いいよ」
「笑わないでよ」
「別に笑わないよ」
「絶対?」
「絶対」
 子供のようなやりとりをしている信号が青に変わり、彼女はサイドブレーキを解除して車を走らせる。
 彼女とこうして二人っきりで車の中にいてこんな会話をしているのが少し不思議だった。だが、あの日から二人の間に漂う空気が変わっていることを実感していた。
「あのね、あたし、ホットドッグ屋さんをやりたいんだぁ」
「ホットドッグ屋?」
「うん。ちゃんとした店じゃなくてね、なんていうのかな、車で移動して売るようなお店。そして、こういう海まで来てたくさん売るの」
 彼女が料理に興味があるというのは初耳だった。女性的には思えるのだが、家庭的な雰囲気はあまりないように感じていた。
「だけど、お金貯めてお店作って、メニュー作って、そういうの一人で出来るかなってずっと不安だったんだ」
「確かに大変だよな。宣伝とかもある程度しなくちゃいけないしさ」
「そうなの。……だけどね、工藤君を見ていたら、もしかしたらあたしにも出来るのかなって。この間、すごく励ましてくれたでしょ。夢は叶えようと思えば誰でも叶えられるって。それ聞いて、ほんとにそうだなぁって思った。だって、工藤君は今まで一人で頑張ってきて夢を叶えたんだよね。だから、あたしも頑張りたい。頑張って夢を叶えたい」
「応援するよ」
「ほんとに?」
「うん」
 私がそう頷くと、彼女ははにかみながら笑った。
「えへへ、嬉しいな。先生にそう言ってもらえるなんて」
「なんだよ、先生って」
「だって先生じゃん、ねえ? 先生?」
「言ってろ言ってろ。からかいたきゃいつまでも言ってろ」
 大きく伸びをして、一つあくびをする。そして考える。……この妙な雰囲気はいったいなんなんだ。実に不思議だ。まるで誰かに言わされているみたいに、ドラマの台詞っぽい言葉が次から次へと出てくる。
 俺は柄にもなく自分を飾ろうとしてるんだろうか。そうなら、なんのために。彼女に嫌われたくないからか。彼女の期待を裏切りたくないからか。いや、もしかして――

「ねえ、工藤君。今度書く小説ってどんなの?」
「あ、え、今度書くやつ?」
 不意をつかれた私は慌てて体を起こして、腕組みをして言う。
「教師が出てくるミステリ、ということだけは決まっているんだ。だけど、いろいろと難しいんだよなぁ。制約があるというかなんというか。どうやったらうまくまとめられるのかわかんないよ」
「そうか。工藤君も大変なんだね」
「そりゃそうだよ」
 私の言葉に彼女は微笑んだ後、ねえと言って顔を向けた。
「どうした?」
「お願いがあるの」
「お願い? あ、そういや誕生日が近いとか言ってたな。プレゼントが欲しいとか。やっぱブランド物とか?」
「ううん。あたしはそんなものには興味がないの」
「じゃあなに?」
「あのね……約束してほしいの」
 彼女はそこまで言って顔を下に向け、やがて意を決したようにこう続けた。

「あたしがね……友達みんなに自慢出来るような小説を書いて」

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