第四十六回 編集者の指摘


「もしもし、講談社のAです」
「あ、どうも」
「原稿読みました。えーと、来週辺り打ち合わせ出来るかな」
「はい、大丈夫です」
 Aさんはいきなり本題に入ってきた。もし原稿に問題があるなら、「プロローグ、なかなかよかったよ」「台詞回しが軽快だね」と誉め言葉から入るはずだ。ということは、原稿はあれでOKということだろうか。
 なんとなくほっとした気持ちになって会話を続け、会うのは新宿の中村屋で一週間後ということになった。

 夕方6時。
 ほぼ約束の時間通りに中村屋に来た私は、時折、グラスの中の氷をストローでぐるぐるかき回し、思い出したようにレアチーズケーキを食べてAさんを待っていた。99%人を待たす私にとって、待つのは貴重な体験である。
「いやあ、工藤君、ごめんごめん」
 約束の時間を20分ほど過ぎた頃だろうか。Aさんが書類袋を抱えながら、シャツにジーンズといういつものラフな格好で店に入ってきた。外はまだ暑いようで、Aさんの額には汗が浮かんでいた。
「なんか、忙しくてさぁ。えっと、もう注文はしたの?」
 Aさんはそう言って席に着くと、早速メニューを見る。
「今、レアチーズケーキ食べました」
「あ、そう。じゃ、もっとなんか頼みなよ。えーと、すいません、グレープフルーツジュースください。工藤君は?」
「あ、じゃあ、オレンジジュースを」
 大学生と思われるポニーテールの女性店員に頼むと、彼女は機械に注文を入力しながら言った。
「ご注文を繰り返します。グレープフルーツジュースとオレンジジュース。以上でよろしいですか?」
「はい」
「かしこまりました」
 店員が去ると同時に、Aさんはどこからかハンカチを出して額の汗を拭き始めた。
「いやあ、大変だ」
「ほんとに大変そうですね」
「うん。大変だよ。出掛けに仕事入っちゃってさ。それがまたやっかいなんだよ。あ、そうそう、金田一、売れてるよ。子供向けの読み物のランキングみたいのがあって、それが届いたんだけどね、初登場2位だよ。このご時世なのにさ、かなり出てる。まあ、1の30万部と比べるとあれだけど、大したもんだよ」
「嬉しいですね」
「うん。それでね」
 Aさんは持ってきた袋から原稿を取り出した。ホチキスで閉じられているそれは、紛れもなく、私がソフマップ横浜店で2万円出して買ったキヤノンのプリンタで印刷したものである。
「まず、最初に言いたいのは」
「……」
「主人公が中途半端だね」
「あー」
 ここで私は悟った。電話での会話は関係なかったのだ。ここでの会話が誉め言葉で始まった、つまり私の原稿はNGなのだと。
「駄目な人間なら徹底的に駄目にしないと、今のままだとね、主人公が、駄目なんだけどいざとなると凄いのか、それとも駄目でやっぱり駄目なのか、読者は判断つかないと思うんだよ」

 この時の原稿がないので正確ではないかもしれないが、私が設定した主人公というのは、

 元刑事でなんらかのきっかけで刑事を辞め、教職に就いた。だらしない見た目からは想像出来ないほど頭が切れる。エリート女性刑事と曖昧な友人関係で、彼女にだけは頭が上がらない。

 という、「いかにも」な性格の持ち主だった。Aさんは、この主人公が登場シーンで他のキャラクターにやりこめられ、特に反撃しないまま次のシーンに進むことをおかしいと感じたのだと思う。

「あと、冒頭部分」

 ――暑い夏の日。

 風が吹き始めた。男は少し汚れた右手で髪をゆっくりと掻き上げた。指の先に額の汗が触れる。もう夕方だというのに気温は下がる気配がなかった。
 男の視線の先にある海は、太陽の光を受けて美しく、そして激しく輝いている。青と白が混じり合った波が、砂浜で遊んでいる若い男女を脅かすように打ち寄せた。

「……はい」
すかし過ぎ
 Aさんのストレートな言葉に私は思わず笑った。
「なんて言うんだろ、こういう綺麗な入り方って、素人のやり方なんだよね。新人賞の原稿とか、新人の原稿を読むでしょ、そうすると肩に力が入っているのかだいたいこんな感じなんだよ。この部分は必要ないと思うよ。もっと、最初から読者に興味を持たせるような入り方をした方がいい」
「なるほど」
「あと、女性キャラ(主人公の友人であるエリート女性刑事)なんだけど、最初から立っていて、結構いいと思うよ。でも、もう一つ、主人公に対するいたわりっていうか、母性みたいのがあるとキャラクターとして映えるだろうね。強さの裏に優しさみたいのがある人間の方が、魅力があるじゃない。主人公に対して文句を言うかと思えば、だらしない彼にご飯を作ってあげるとかね。主人公にしてもそう。駄目な奴なんだけど、ここぞという所で力を発揮するということが最初にわからないと、読者はついてきてくれないよ。工藤君だったら、どう見てもフリーターにしか見えないわけよ。ところが、初版数万部の本を書いた作家なわけだ。主人公にもそういう対比をうまく付けてほしいなぁ」
「……」
「もう一つ気になったのは、ユーモアの部分。こことかこことか、ちょっと空回りしている気がする。僕にはちょっと笑えなかったね。僕が工藤君に期待しているのは、文章のノリとユーモアなんだよね。なんか、全体的にもたっている感じがする。ノリが悪いっていうかさ。冒頭もそうなんだけど、もっと弾けてもいいんじゃないかな。今のままだと、やっぱり中途半端という印象は拭えないね。はっきり言うとつまりませんでした」
 Aさんは一気に喋ると、いつの間にか運ばれてきていたグレープフルーツジュースに口を付けた。

(そうかぁ……)
 Aさんの的確な指摘と感想は私の胸を激しくついた。やはり、面と向かって「つまらない」と言われるとがっくりくる。同時に、具体的につまらなさを指摘出来るプロの編集者はさすがだと思った。
 友人や知人に評してもらうと、面白いとかつまらないというのは二の次で、“てにをは”うんぬんというような文法の話になりやすい。多分、つまらないと言うと悪いから、間違っている言葉の使い方でも軽く指摘しておくかということなのだと思うが、それだけでは書き手は伸びないのだ。

「工藤君、今日時間平気だよね」
 つまらないという感想に納得したものの多少凹んだ私に、Aさんは言った。
「はぁ、大丈夫です」
「それじゃ、飲みに行こうよ。景気づけにさ」
 あっという間にジュースを飲み干したAさんは、原稿を書類袋に入れると立ち上がり、伝票を握りつぶすように掴んでレジへ向かった。

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