第四十七回 歌舞伎町


「ここなんですよ」
 Aさんはそう言って4、5階建てのわりと豪華な作りの雑居ビルを見上げた。
 中村屋からどこをどうやって歩いたのかまったく覚えていないのだが、あの雰囲気から言って店の場所は歌舞伎町だったのではないかと思う。日はいつの間にか暮れており、会社帰りのサラリーマンやOLなどが歩いている。
 他にも、若い女の子を見つけるとカラオケに誘ってくるホスト風の店員や、木に袋を立て掛けて何やら準備している国籍不明の男、ヨドバシカメラでプリンタを買ってご満悦のおじさん、正体不明の男二人組に話し掛けられてきゃあきゃあ騒いでいる、企画モノAVに出てきそうな女二人組など、一つの通りに500人はいるんじゃないかという感じで歌舞伎町はいつも通り賑やかだった。
 口を開けながらビルを見上げてAさんの後に付いていき、二階の店に入った。
「今日はあんまり混んでいないなぁ」
 Aさんが拍子抜けしたように言う。
 間接照明ではないが温かい雰囲気を醸し出す照明、つるつるの床、高い天井、黒いベスト姿の店員、そして長いカウンターと並んでいる大量のボトル。以前Aさんと行った、ママがたった一人で切り盛りしていた店とは大きさも雰囲気もまったく違う。バーとスナックの違いがわからなかった当時の私であったが、恐らく、ここはバーと呼ばれる場所であろうと推測した。

 カウンターではなく窓際の席に腰掛けると、黒いベストスーツ(?)を着た若い女性店員がメニューを持ってきた。
「工藤君、遠慮しないで好きなの頼んで」
「はぁ」
 以前書いたかもしれないが、私は酒は飲める。多分強い方だ。なにしろ出されるままに飲んでも気分が悪くなったことがないし、芸能人がトーク番組で手をふにゃふにゃさせながら言う「べろんべろんに酔っ払って」なんていう状態になったこともない。しかし、美味しいと思えないので飲む機会があまりない。だから、酒の名前がさっぱりわからない。
「僕はこれ(なんだったかは忘却の彼方)ね」
「あ、じゃあ同じので」
 考えるふりをしながら困っていたが、Aさんが先に頼んでくれて助かった。
 しばらくしてウイスキーかブランデーかバーボンか、とにかく何やら入っているグラスが運ばれてきて、私とAさんは「じゃ、とりあえず」などと言いながら乾杯をした。
 いつも通り私の年齢を聞かれ、好きな小説家や最近読んだ本の話などをした後、Aさんが思い出したように言った。
「そうそう、工藤君と金田一の話を松原さん(講談社青い鳥文庫でパソコン通信探偵団事件ノートシリーズを書いている松原秀行さんのこと)にしてみたんだよ。まだ二十代で今まで本を書いたことがない男がこんなに立派なものを書いたってね。だいぶ、刺激を受けていたみたいだよ」
 刺激と聞いて、あー、そう言えばとはやみねかおるさんが朝日新聞(だったかな?)に取り上げられた時の記事を送ってもらったことを思い出した。編集者というのは、こうして作家たちにライバル意識のようなものを持たせて発奮させていくのだろう。実際、担当が同じ作家さんがすごい本を書いたと聞けば「おー、俺も頑張ろう」と思う。
「でさ、一度上がっていた原稿を全部書き直して送ってきたんだ。これがまた、すごい出来でね。工藤君と金田一のことを言ってよかったよ」
 Aさんはしてやったりという表情で笑った。そして、顎をさすりながら続ける。
「ベテラン作家だって書き直しはあるんだよ。だから、今回のことでめげずにどんどん書いて送ってきてほしいね。ま、駄目だったらどんどんボツにしていくけど」
 Aさんが私の目を見て、いかにも愉快そうに笑う。
 その後、お互い酔いがまわるにつれて話はあっちこっちに飛び始めた。もっとも印象に残っているのはAさんの就職についての話である。
「僕はね、実は新聞社に入ろうか出版社に入ろうか迷ったんだよね」
 グラスを傾けてそう言うAさんを見て、
(本当にこういうエリートっているんだな)
 と思った。私みたいに、期末テストの結果が250人中210番だから学区外のちょっと荒れている県立(でも共学)か単願で落ちる人は存在しないという私立(でも男子校)かで迷ったという寂しい話ではなく、新聞社か出版社かである。
「で、どうして出版社にしたんですか?」
 私の問い掛けにAさんは少し体を斜めにして笑いながら言った。
「なんかね、誰かの手助けをして一緒になって物を作るっていうのが合っているんじゃないかと思ったんだ。縁の下の力持ちっていうやつ。たとえば、こうして作家と会って会話をして、ヒントになることを言ってみる。そして面白い原稿が届く。そういうのがすごく嬉しいんだよね」
 Aさんは本当に楽しそうだった。
 それから更に酒が入り、なぜかGTO大百科みたいのを書いて児童局で出そうじゃないかという話でお開きということになった。

「じゃ、工藤君、原稿よろしく」
「はい、頑張ります」
 生ぬるい風が吹く中、額に浮き出た汗にくっついている前髪を右手で払いながら頭を下げた。
「今度は講談社の方に来てもらおうかな。ま、とりあえず50枚ぐらい書けたら送ってきて下さい」
 Aさんが軽く右手を挙げ、私は再び頭を下げた。
 私とAさんの二度目の打ち合わせはこうして静かに終わった。

 翌日から、今年でいったい何度目だと言いたくなる私の苦闘が始まった。
 これで行こうと決めた設定を捨て、まったく新しいものを作るというのは予想以上に難しかった。前のキャラクターとは違う風に書いているつもりなのに、どうしてもそのキャラクターが出てきてしまうのである。
 型破りで魅力的な教師というのは、どう書けばそう見えるのだろうか。大人相手だったらなんとかなるかもしれない。たとえば、『先生は同級生』とかどうだ。全員童貞の男子校に、なんかの間違いで隣にある女子校の超美形女子高生が体育の先生として赴任してきて、ミニスカ、ルーズソックスの制服姿で教えていくうちに……。ナポレオン文庫でこんなのありそうだ。しかし、青い鳥文庫の読者は子供である。
「主人公の見せ方が決まれば、後はすんなり行くような気がするんだけどなぁ」
 気晴らしに冷えたコカコーラを飲みながら、パソコンのゲームをやって呟く。パソコンは毎日立ち上げているものの、やることはメールチェックとゲームぐらい。
 そんな日が二日、三日と積み重なり、そのうち電話がなるたびにAさんからの催促じゃないかと思って胃が痛み始め、つい現実逃避をしてGoogleの検索履歴に“広末涼子 お宝”とか“飯島愛 飯島恋 画像”などが並び、勝手に指が動いてタイプした“工藤圭さん大好き”というキーワードで、

 と出て、「無駄な時間を過ごしてしまった……」と後悔するということを繰り返すようになった。
(いかん、これじゃ駄目だ!)
 とにかく集中しよう。パソコンを付けるから余計なことをやってしまうんだ。散歩でもしてじっくり考えよう。
 そう思ってサンダルを履いて家を出ようとした時だった。

 トゥルルルルル トゥルルルル

 電話が鳴った。

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