第四十八回 もう一つの依頼


 電話が鳴るたびにズキズキと痛む胃袋。ピリリリリリリとかトゥルルルルルとかジリリリリリとか、電話の着信音はなぜああも攻撃的なのだろうか。似たような音を繰り返し鳴らすのが基本だというなら、秋元ともみの喘ぎ声を採用してくれたっていいだろう。そんなことを考えると更に胃が痛んでくる。
 中学2年生の時、「胃が痛いんで保健室で休んできていい?」と女性教師に言っていた、ちょっと悪い生徒の東山君(仮名)を見て、(凄いなぁ。胃が痛いなんて大人みたいだなぁ。俺もいつか胃が痛くなってキャベジンとか飲めるのかなぁ)とちょっと憧れたが、実際体験してみると胃の痛みというのはそんなにかっこいいものではない。ただ、老化を感じるだけだ。
 このまま無視して出掛けようかと思ったが、大事な電話だと困るので受話器を取り上げた。
「もしもし、工藤ですけど」
「あ、工藤君?」
 受話器から落ち着いた女性の声がした。
「角川書店のOです。お久しぶり」
 掛けてきたのはAさんではなく、Oさんだった。とりあえずほっとして鼻から息をすうっと吐き出し、挨拶をした。
「ども、こんにちは。お久しぶりです」
「この間電話したんだけど、話し中だったので、今日いてくれてよかった」
 Oさんはそう言って笑った。それから少し近況報告などをした後、Oさんが言った。
「青い鳥文庫の方、どう?」
「いやー、大変です。なんか難しくて。アイデアは頭の中にいくつかあるけど、なかなか形にならないというか」
「そうなんだ。たとえば、どんなものを考えているの?」
「殺人はなしということになっているので、怪盗物とかはどうかなぁとか。あとは冒険ミステリ物とか……。でも、なんかひねりがないというかなんというか。いろいろと試行錯誤中です」
「そうかぁ……殺人のないミステリっていうと、そういう方向になるのかなぁ」
 しばらくの間、二人で考え込んだ。だが、Oさんがはっとしたように言った。
「ふふ、私が他社のことを考える必要はないわよね。ま、それは工藤君に頑張ってもらうということで」
「ははは、そうですね」
「それでね、今日電話したのは賞金と仕事のことについてなんだけど、まず賞金は銀行振り込みになると思うので銀行と口座番号を教えて下さい。振り込めるのはいつ頃かなぁ、まあ、そんなに遅くならないと思うけど一、二カ月ぐらいはみてね」
「はい。口座番号とかはメールでいいですか?」
「いいわよ。それと仕事の話は、えーと、来年に新しく文庫を作ることになっているの。角川ルビー文庫よりもう少し低い年齢の女の子たちに読んでもらいたい小説をそこで出そうと思っています。書き手はルビー文庫で書いてもらっている人たちと、ASUKAの新人賞で賞を取った人たちになると思います。工藤君にはその文庫でデビューしてもらうつもりなんだけど、とりあえずプロットを出してほしいの。ハムスターでもいいし、もし他にいいプロットがあったらそっちでもいいです」
「はぁ」
 聞いた時はあっさりしたもんだったが、後で考えてみたら大変なことのような気がした。少女小説と少年小説(?)を同時期に書かなければならない。りぼんと月刊少年ジャンプに読み切りを描くようなものだ。そんな負荷に耐えられるのだろうか? 不安と同時に舞い上がる気持ちもあった。新人が講談社と角川書店で同時デビューというのは、もの凄いことなのではないだろうか。
「じゃあ、よろしくね。青い鳥文庫の方、楽しみにしています。こっちのプロットも忘れないでね」

 こうして電話は切れた。

(少女小説のプロットかぁ……)
 ここのところ、青い鳥文庫の方ばかり考えていて、ハムスターのことはすっかり忘れていたが、あれは100枚の読み切りだし本にするには枚数が足りない。本にするならもう100枚は書かなければならない。ハムスターはもう完結した話として、また別にプロットを作るか。いや、待て待て、今プロットを考えると、講談社の方とごっちゃになってわけがわからなくなる。
 まず、青い鳥文庫のプロットをちゃんと作ろう。Aさんからの依頼の方が早いのだから。

 そう決意して一週間、二週間と経過した。
(まずい……どう考えてもまずい)
 Aさんに酒を奢ってもらってから、一カ月近く経っている。一カ月前よりは形にはなっているが見せられるほどではない。
(そろそろAさんから催促の電話が来る。俺にはわかる。なぜなら、俺が編集者だったらそろそろ痺れを切らして電話するだろうからだ。いつ来るんだ。今日か。今日臭い。もしかして今来るかもしれない。そう思うと来るんだ)

 ――トゥルルルルル トゥルルルル

 電話が鳴った瞬間、胃に激しい痛みが走った。

(やっぱり電話キタ━━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━━ !!!)

 ネット風に書けばこうか。書いてみて思ったが、この顔文字は失恋の傷みを軽減する力があるような気がする。たとえば、ディズニーランドに女性を誘ったが断られ、傷心した男がキタ━━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━━!!!を使い返事を書いたとしたら。

>>ディズニーランドに誘ってくれてありがとう。嬉しかったです。なかなかお返事出来なくてごめんなさい。

 誘ってもらって嬉しかったのにお返事出来ないキタ━━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━━!!!

>>土日も習い事をしているので。。。

 週末も休みなしの定番理由キタ━━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━━ !!!

>>それではお仕事頑張って下さい

 取って付けた激励キタ━━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━━ !!!

 男性の傷みは多少軽減されるだろうが、相手の女性とは二度と正常な関係に戻れないだろう。

 本筋に戻ろう。

「もしもし、工藤ですけど」
「工藤君? 講談社のAです」
 やはり! しかも明らかに不機嫌そうな声である。胃の痛みが一層激しくなった。
「あ、どうも……」
「どうもじゃないよー。プロットどうしたの? 待ってるんだからさ。この間会った時は気合い入ってたじゃない。だからすぐもらえるのかと思って楽しみにしてたんだよ」
「すいません」
「どれぐらい出来てるの?」
 まさか何も出来てませんとは言えない。いや、実際出来ている部分はある。この時点である程度見通しは立っていた。大人が主人公の児童小説と考えるから難しいのだ。大人も子供も活躍する小説にすればいい。
「えーと、主人公と女性刑事の間に生徒の大人びた可愛い女の子を入れて、ダブルヒロインみたいにしていくといいかなぁみたいな感じでやってます」
 私がそう言った後、Aさんの声のトーンは明らかに変わった。
「……それいいねぇ」
「いいですか?」
 私は軽く左手を握った。
「うん。よし、じゃあその線で行ってよ。もうそんなに時間かからないよね。来週いっぱいまでに送ってくれるかな。じゃ、よろしく」
 Aさんはいつものようにあっさりと電話を切った。
 ダブルヒロインに関しては私も手応えを感じていたのだ。魅力的なキャラクターを作ればストーリーは後からついてくるはずだ。私は早速、部屋に戻ってパソコンを立ち上げた。

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