第五十三回 スパゲティの食べ方


「いいよ、これ」
 Aさんはそう言うと、黒い紐で綴じられている原稿をめくり始めた。
「まず、前よりテンポがよくなっているよね。例の冒頭部分を削ってすぐにストーリーに入ったのが成功していると思う。まあ、途中で多少もたつきはあるけどその辺は修正していけばいいんじゃないかな」
「はぁ」
 私は頭をちょこんと前に出すように頷いた。まさかいきなり誉められるとは思っていなかったので驚いた。
「主人公のキャラクターも前より立っているね。やっぱ、これぐらい極端な方が面白いよ。駄目な時は徹底的に駄目、かっこいい時はすごくかっこいい、こういう対比を見せると読者は付いてきてくれるんだよ。あ、そうそう」
 右手で払うように原稿をめくって、Aさんは最後の方の原稿の一部分をペンでなぞった。
「この部分の会話、うまいと思った。相手の突っ込みを主人公がさらりとかわして、でもまたつっこまれて無言になる。こういう所、さすがだよね。工藤君に求めているのはこういうユーモアだからさ。この調子でいってよ」
「はぁ」
 先ほどと同じように、頭を少し動かして返事をした。
 前回と比べると、今回は絶賛に近い。もしかして、Aさん一流の煽りだろうか。しかし、面白い、さすが、などの言葉が並ぶとたとえこちらの気をよくさせて仕事させるように仕向ける言葉だと感じても書き手は気分がよくなるものだ。駄目押しは次の言葉だった。
「これでいけるんじゃないかな」

 これでいける。

 私は商品として世に出せるという意味に取った。初めて頭の中に、青い鳥文庫の表紙カバーに私の名前が刻まれているイメージが思い浮かんだ。自分の名前が、市販本の背表紙と表紙に刻まれる。素晴らしい経験になるということはわかる。だが、どれぐらい素晴らしいことなのか見当がつかない。

 初めて自分専用のワープロ(文豪)を買った時、書きかけの小説を打ち込んで印刷し、最後にタイトルと自分の名前を真ん中に書いた紙を打ち出して、それを小説の上に載せた。

タイトルと名前が書かれた表紙

 名前の部分を太字にしたり、縁取りしてみたり、いろいろ試しては小説の上に置いた。ホッチキスで閉じて、何度もめくってみた。
 まるで自分が小説家になったようだった。嬉しくて、未完成の小説を打ち込んでは印刷してそれにあった表紙を作って載せた。
 もし、プロの小説家として、市販の小説に名前が刻まれたら俺はいったいどうなってしまうんだろう。考えるだけで体が震えた。

「さてと、それじゃ飯でも食いながら続きの話をしようか。工藤君、まだ食べてないよね?」
 Aさんは原稿を封筒に入れると、立ち上がって言った。
「あ、はい」
「何にしようかなぁ。とりあえず、出てから考えようか」
 そう言うと、黒いジャケットを羽織っていつもの調子で先に行った。見失って迷ったら困ると慌てて立ち上がる。
 エレベーターで下りて、バッジを受け付けの女性に返し、外に出た。冷たい風が頬に当たり、思わず体をすくめる。
「工藤君の好きなものってなに」
「好きなものですか? そうですねー、カレーとかスパゲティとかですね」
「はは、カレーとスパゲティか」
 随分子供っぽいものを言うねと、Aさんは笑った。
「カレーの店はわかんないけど、パスタの店が確かに近くにあったな。じゃ、そこで食べよう。一度食べたことあるんだけど、結構美味しかった」
「はい」
 横断歩道を渡って3分ぐらい歩くと、左手に店があった。もう店の名前すら覚えていないのだが、ちょっと高そうなファミレスというような外観で一人だったらまず入らないだろうという雰囲気が漂っていた。

「K君、どうしてるかなぁ」
 注文を終えると、Aさんは水を一気に飲み干してそう言った。
 昼をだいぶ回っていたが、店は結構混んでいた。ざっと見た限りでは八割ぐらいの入りだろうか。大学生風の女性が多い。
「相変わらず忙しそうです」
「やっぱりそうなんだ。彼は、本当にいつでも忙しいよね。慰労会やるとか言ってても、全然声掛けられないんだよな」
 以前にも書いたが、金田一が佳境に入った頃、ちょっと暇な時間が出来たので編集プロダクションの様子を見ていたのだが、誰一人として暇そうな人はいなかった。とにかく電話、電話、電話という感じで、それから会議、打ち合わせ、マッキントッシュを使っての編集作業と続き、たまに「工藤君は彼女いないの?」という話になり、5分ぐらい盛り上がってまた電話。もし私が編集者になったらストレスで死ぬだろうというのが見学後の感想だった。なにしろ、私には何かをまとめるという能力がまったくない。
 Kさんの話でしばらく盛り上がると、パスタが運ばれてきた。確か、トマトとなんとかのなんとかパスタとか、そんな名前だった。
「トリック出してもらったけど、他になんか考えた?」
「あ、携帯電話を使ってなんか出来ないかなぁと思ってます。数字の組み合わせで文字を作ったりとか」
「携帯電話か。使えそうだね」
 Aさんは何度か頷くと、左手にスプーン、右手にフォークを持って、スプーンを壁のようにしてそこにパスタを押しつけながらフォークでくるくると巻いていた。

(……な、なんだこの食べた方は!?)

 Aさんは相変わらずパスタを巻きながらトリックとストーリーの話をしているのだが、私はAさんの両手に目を奪われた。衝撃だった。パスタは綺麗に丸まってAさんの口の中に入っていく。この世にこんな便利な食べ方があったのか。パスタ好きを自称して10年ぐらい経つが、パスタを頼むと付いてくるスプーンというのは残ったミートソースをすくって食べるために付いているんだとばかり思っていた。
 早速、Aさんの真似をして食べてみた。今までうまく丸めたつもりでも一本ぐらい不格好にびろーんと伸びて、それを巻き付けようとすると全部落下していたりしたのに、スプーンを使うとコンパクトにまとまり、落ちることもない。
 羽賀君(仮名)に言わせると、
「あー、その食べ方ね、イタリア人はやってないから。邪道」
 ということだが、イタリアに行くことは一生ないであろう私にとってはイタリア人に対しての見栄えはどうでもよく、一生、この方法でパスタを食べるであろう。だいたい、スプーンとフォークを一緒に使うのが変なら、箸を使ってパスタを食べるのだって変だ。
「そうそう、工藤君のお父さんって何やってるの?」
「普通のサラリーマンです」
 思いがけず出てきた父親の話題に、思わず手を止めて返事をする。
「そうか。工藤君が本出して随分喜んでるだろうね」
「まあ、そうですねー」
 私が地獄を見ていた頃はかなり無関心を装っていたのに、いざ本が出てみると、会社最寄りの書店で親戚に配る用に二十冊ぐらい注文しているし、近所のおばさんに会ったら、「聞いたわよ。凄いわねぇ。本出したなんて」と言われるし、知人のおばさんがいたので会釈をすると、走って来て近所のおばさんと同じことを言うし、珍しく父親の友人が家に遊びに来た時は本を持ってきてサインしてと言うし、それはもう大騒ぎだった。まあ、常日頃「あの妄想馬鹿息子をどうにかしろ」という北風を受けていた人なので、騒ぐのも無理はないだろうし、騒いでくれて嬉しい気持ちもあった。
「小説を出したら、もっと喜ぶだろうね」
「かもしれませんねー」
 Aさんは楽しそうだった。人間の人生を変える職業。編集者っていうのはそういうものなのかもしれない。対象は作家だったり、読者だったり。

「じゃ、よろしく」
 店を出て、講談社に戻るAさんが手を挙げる。
「あの」
「ん?」
「なかなか書けなくてすいませんでした」
 私はAさんに走り寄って頭を下げた。
「いや、別に構わないよ」
 Aさんはちょっと驚いたような顔をした後、そう言って笑い、私を見て続けた。
「編集者にとっては、送られた作品の出来がいいっていうのが一番だからね。最終的にいい作品を世に出せればそれでいいんだよ」

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