第五十七回 二人きりでお弁当


 人によって、(こいつ、俺に気があるんじゃないかな)と考える女性の仕草や言動というのは違うと思う。
 もう10回ぐらい書いたような記憶があるが、24歳ぐらいの時、同い年の女性に、

「ねえねえ、今年の夏に二人で沖縄に行こうよ」

 と誘われたことがある。二人で沖縄に行こうよ、である。ご存じの通り、うちは西表島、石垣島、宮古島などではなく関東地方にあって、沖縄は船や飛行機でちょっとという場所ではない。
 親友に近い間柄なら、男女がはるばる沖縄へ二人で行くということもあるかもしれない。が、私と彼女の関係は“愛を告白した方”と“愛を告白された方”であった。そんな二人が神奈川県から沖縄に行くわけだ。日帰りということはまず考えられないだろうから最低3日間ぐらいは共に時間を過ごすわけである。当時の私からすれば、もうどう考えても詰んでいた。ところが、後に、

「あたしのこと名前で呼び捨てにしたりして、勘違いしちゃってるのかなぁって思った

 と言われるわけである。あんた、そりゃ勘違いもするだろうよ
 これだけではなく、過去、様々な(こいつ、俺に気があるんじゃないかな)体験があったが、ほぼすべて「勘違いしちゃってるのかな」で終わった。
 よって、相当な手応えがあっても(こいつは俺に気がある)と考えることはなくなった。考えすぎて「勘違いしちゃってるのかな」などと言われるぐらいなら、沖縄に二人きりで行こうがホテル江ノ島のベッドで二人で寝ようが、そういった女性の態度すべてが通常ありえることだと認識した方がよい。その方が惨めな思いをしなくて済む。

 彩実ちゃんに対してかなりの好意を抱いていた私であったが、自分からそれを言い出すのはやめようと思っていた。手ぐらいつなげるかもしれない。しかし、友人同士でも手ぐらいつなぐだろう。とにかく、期待するな、期待してはいけない。行き着く先はきっと“勘違い”だ。
 とは言え、明日のデートで彼女に今以上によく思われたいという気持ちは間違いなくあったので、「勘違いしちゃってるのかな」と「期待するな」を交互に頭の中に思い浮かべながら、洋服と靴下を買いに出掛けた。洋服はともかく、私の場合、どういうわけか洗濯をすると靴下の片割れがすべて行方不明になるのだ。
 デート当日。真っ新な服と、真っ新な靴下を身につけ、身だしなみを目一杯整えて地元駅へと出掛けた。駅で待ち合わせて電車で東京へ出て、そこから山手線で上野まで行こうという段取りである。
 例によって遅れ気味に到着して、改札付近を見回していると、相変わらず成城若奥様特集から抜け出してきたような清潔感溢れる格好をした彩実ちゃんの姿が目に飛び込んできた。これだけ女性がいる中でも明らかに目立っている。
「ごめん、待った?」
「遅れそうだから、わたしも少し遅めにきたよ。ここまで遅く来るとは思わなかったけど」
 彩実ちゃんはそう言って笑った。

 上野に着いて、まず、動物園へ行くことになった。まさに抜けるような青空というのはこういう日のことを言うのだろう。空を見上げると大好きな青がいっぱいに広がっていて、それだけで私の気分はよかった。好きな女の子とのんびりと二人で歩けるなんて、金田一を書いていた頃は想像も出来なかった。
「パンダ可愛いね」
「相変わらず寝てるな。俺、パンダが起きている姿を見たことがないよ」
「そうなの? わたしは遠足の時に見たことあるよ」
 閑散としたパンダ舎の前で私と彩実ちゃんは笑っていた。カンカンとランランがいた頃の休日は、警備員なのか係員なのか、とにかく整理する人が何人もいて、「立ち止まらないで下さい」という注意と「押すなよ馬鹿野郎!」といった怒号が飛び交っていたが、今は本当に平和である。
「遠足と言えば、『子供の頃、バナナはおやつに入りますかっていうことについて論争した』というネタは、西暦何年ぐらいまで使われることになるんだろうね」
「あはは、そんなのわからないよ」
 プログレの如く、突如方向性が変わる私の話に平気で付いてきてくれる彩実ちゃん。私が彼女の立場だったら「ようするにパンダの話は面白くないということか。じゃあ話振るなよ」と頭に来ている所だが、この辺が私と彼女の精神年齢の違いなのだろう。
「なんか食べ物の話をしたらお腹減ってきたな。ご飯食べに行こうか」
 時計を見るともう1時近くになっている。
「あ」
 彼女がそう声を上げて、私の目をじっと見つめた。
「どうしたの?」
 その問い掛けに、彼女はしばらく黙って口元を綻ばせていた。どうしたんだろう。上野で食べたいものでもあるんだろうか。一応、ネットで上野の美味しい店みたいのを探しておいたけど、彼女が行きたい所があるならそっちにしよう。そう思って口を開こうとすると、先に彼女の口が動いた。
「あのね、お弁当作ってきたの」
「え……」
「工藤さん、前に言ってたでしょ。毎日、コロッケばっかり食べているとか野菜は食べていないとか。だからね、ちゃんと栄養を取ってもらいたいなぁと思って頑張って作ってきたんだよ。あんまり美味しくないと思うけど。まだいろいろ勉強中だから」
 この感動を、2月14日、学校へ着いて鞄をさりげなく机の上に置いて後、周りに気づかれないように右手を机の中に突っ込んで左右に振り、なんにも当たらず落胆していた中学生の私に伝えたい。おまえは約10年後、可愛い女の子にお弁当を作ってきてもらえるまで出世するのだと。
「ありがとう、まじで嬉しい」
(でも、待てよ……)
 お礼を言いながらふと思った。普通、デートの時にお弁当を作ってきてくれる女の子というのはいるだろうか。私がこれまで出会った女の子というのは、食事の後、払う気はないけど財布はとりあえず出すみたいな感じで、自腹を切ってお弁当を作るなどということをやりそうにはとても思えなかった。
(もしかして彩実ちゃん、俺に気が……)
 危うく禁断の想像を展開しそうになったので、慌てて心の中で首を横に振った。そうだ、あれはデートではなかったが、めぐちゃんがお弁当を作って持ってきてくれた時があったではないか。あの後、めぐちゃんはなんと言っていたか。

「もし工藤さんが何か勘違いして襲いかかってきたら、あたし、縁切るから

 言っていた。確かにそう言っていた。やはり勘違いだ。

「じゃあ、ベンチで食べようか。ちょっと風冷たいけど」
 私はさりげなくそんなことを言いながら、(きっと、彩実ちゃんはボランティア精神に溢れる子で、貧しい食生活を送っている私を見て可哀想になって作ってきてくれたのだろう。多分、コンビニのレジに設置されている募金箱に10円以下のお釣りを迷わず入れるタイプだ)と頷いた。
「うん」
 私と彩実ちゃんは、空いているベンチを探して腰掛けた。バックから可愛い柄のナプキンに包まれたお弁当を取り出し、彩実ちゃんがゆっくりと蓋を開ける。
 ウインナーとゆで卵、ほうれん草のおひたしなどなど、これぞお弁当の定番といったものが綺麗に詰め込まれている。もし私が同じ物を作って持ってきたら、きっと全体的に右か左に偏って馬鹿みたいに見えたと思う。可愛い女の子がやることはすべて決まるので凄い。
「最初にどれ食べたい?」
「んー、ウインナーかな。俺、ウインナー好きなんだよ」
「はい、じゃあウインナー」
(え……)

 なんと彩実ちゃんは、自ら箸を持ってウインナーを取ると、それを私の口元に運んでくれた。思わず彼女のくりくりとした目を見ると、まっすぐに私の顔を捉えていて照れてしまった。まさにラブラブカップルの王道を行く行為に、私の全身は感動で微かに震えた。
 この感動を、好きだった野田さん(仮名)に手紙をもらい、誰もいない音楽室で開封したら中からゴミが出てきて落胆した小学生の私に伝えたい。おまえは約20年後、可愛い女の子にウインナーを食べさせてもらえるほどに出世するのだと。
(でも、待てよ……)
 この時点でふと思った。お弁当を作ってきてくれる子はいるかもしれない。だが、それをわざわざ食べさせてくれる女の子というのはいるだろうか。
(もしかして彩実ちゃん、俺に気が……)
 危うく禁断の想像を展開しそうになったので、慌てて心の中で首を横に振った。そうだ、あれはデートではなかったが、20歳ぐらいの時、居酒屋で行われた同窓会で山田さん(仮名)が肉じゃがを箸で運んで食べさせてくれたことがあったではないか。あの後、山田さんはなんと言っていたか。

「平成狸合戦ぽんぽこ……ですか? ごめんなさい。最近ちょっと仕事が忙しくなってきたので一緒に見に行くのは無理です」

 言っていた。同級生なのに敬語でそう言っていた。やはり勘違いだ。

 結局、お弁当の中身、すべてを彩実ちゃんに食べさせてもらって、すっかり満腹になって幸せな気分で彩実ちゃんからもらったティッシュで口を拭いた。
「美味しかった?」
「うん。こういうちゃんとした料理って久々に食べた気がするな。スーパーの総菜とかコンビニの弁当とか、そういうのばっかだから」
「工藤さんは体が資本なんだから、ちゃんとしたご飯食べないと駄目だよ。今は脂っぽいものばかり食べても平気かもしれないけど、後々、絶対体に響いてくるから」
「そうだなぁ。今度、自分で料理作ってみようかな。カレー以外に」
「そうしなよ。それで美味しかったらわたしにも食べさせてね」
 語尾に☆が付いているかのような彩実ちゃんの喋りに、私の胸の鼓動はどんどん高鳴っていった。
(俺は彩実ちゃんのことが好きだ。でも、彼女はいったいどう思っているんだろう。お弁当を作ってきてくれて食べさせたくれたのはどんな気持ちからなんだろう)
 思わず、彩実ちゃんの顔を見た。
「ん? どうしたの?」
「あ、いや、別に」
「……ふーん。まあ、いいけど」
 そう言って微笑んだ彩実ちゃんの顔は、気のせいか少し赤く見えた。もしかしたら、私の気持ちは彼女に筒抜けだったのかもしれない。

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