第五十九回 意外な答え


 好きと言った。なんだかんだで結局言ってしまった。
 顔が熱くなったのは当然の反応として、なぜか鼻水が出てきて、何度もすすった。周りには大勢の人たちが歩いているのに、なぜか彼らの話し声や車の走行音などは一切聞こえなかった。自分が鼻水をすする音だけが聞こえる。
(……)
 私は完全に固まっている彩実ちゃんを見ながら、トランプゲームの「大貧民」で、大貧民の状態で持っている最高の組み合わせを出したような気分になっていた。
 相手は有名な会社の会長秘書。自分は半年前まで時給1000円のアルバイトだ。パソコンが入った段ボール箱を担いで板に載せ、その板に蹴躓いて転んだこともあった。行き帰りはチェーンが錆びた自転車を立ち漕ぎだ。会社に勤めたことすらない。はっきり言って人間的にかっこ悪い。当然、ジョーカーも2も持っていない。あるのは3から10までの札だけだ。しかし、手持ちのカードがどれだけ悪くても、度胸さえあれば大富豪には真似の出来ない組み合わせを出すことが出来る。私は3、4、5、6のストレートを出したつもりだった。好きだという言葉は陳腐だ。だが、自分が伝えられるすべての感情を込めて言った。これで「クイーン、キング、1、2」で返されたらもう終わり。そんなやけくそ気味の賭けが、私を高揚させていた。
 彩実ちゃんは黙って下を向いた。私の顔を見られないということだろうか。今までの経験からするとよくないパターンである。
 私はもう最高の札を切ったわけだから、どうにも出来ない。彩実ちゃんの札待ちであるが、彼女は一向に顔を上げる様子がない。
 東京の人たちは道の真ん中で凍りついている男女という状況に慣れているのか、誰も見向きもしない。見てさえくれれば、ちょっと邪魔だからなどと適当な理由でとりあえず腕を掴んでどこかへ行けるのだが、無視されている状態だとどうにも口実が作れない。

(……彩実ちゃん、俺は何を言われても全然平気だから。慣れてるし。駄目なら駄目ってはっきり言ってくれ)

 ユリ・ゲラーが来日した時に訓練した“テレパシー”で必死に彼女の心に語りかけたが、当然、反応はない。鼻水はまったく止まる様子がなく、何度も何度もすすり上げた。彼女は何かを考えているのだろうか。もしOKならあまり考える必要はないだろう。ということはやはり駄目な理由を考えているのか。
「……」
 不意に彼女の口から何か発せられた。
「え」
 そう言った私の耳に入ったのは、意外な言葉だった。

「……ふふ」

 彩実ちゃんは笑っていた。いつから笑っていたのかはわからない。とにかく俯きながら笑っていて、やがて、顔を上げて「はぁ」と大きくため息をついて私の顔を見た。
「突然言われたからびっくりした」
「俺もびっくりした」
「なんで?」
「いや、なんか笑ってるし、それに俺はついさっきまで言うつもりなかったから」
「ふうん、そうなんだ」
 彩実ちゃんはそう言った後に、風で乱れた髪を右手で掻き上げて、私の方へ近づいてきた。
「じゃあ、言ってくれてよかったかも」
「え……」
「はぁ、なんかやっと普通に言葉が出てくるようになった。急にあんなこと言われたら緊張しちゃって話せなくなっちゃうよ」
「……ごめん」
 私が謝ると、彼女は首を横に振ってまた笑った。
「なんかおかしい?」
「ううん。おかしくないよ」
「あ、ああ、えっと、それじゃ、あの、答えは」
「ふふ」
「いや、笑ってばっかじゃわかんないし」
「……ふう。うん。そうだね。じゃあ言うね」
「うん」
「あのね」
 彩実ちゃんは一旦視線を下げた後、肩を上下させて深呼吸をして、顔を上げてはっきりと言った。

「わたしも好き」

 好きという言葉に反応して、体がびくっと動き、ばくんという妙な擬音が頭の中で鳴り響いた。
 ……。
(友達として……とか)

 しかし、私の予想に反して彩実ちゃんは何も言わない。「好き」で止まっている。ばくんが二回鳴り、三回鳴り、そのうちばくんばくんばくんばくんと連続で鳴り始めた。待て、落ち着け、俺。実はもう既に“友達として”と言っているのだが、聞き取れなかったのか。それとも、ものすごく長いタメで、これから“友達として”と続くのか。
 固まったまま、彩実ちゃんの笑顔を見ていると、彼女はもう一歩私に近づいて、私の顔を見上げて言った。

「ずっと工藤さんの隣にいたい」

(……)
 もしかすると、というか、ひょっとしてOKということなんだろうか。呆気にとられている私を見て、彩実ちゃんはまたおかしそうに笑い、私の手を取った。
「なんで固まってるの?」
「いや、あの、ほんとにいいの?」
「何が?」
「俺と付き合うことにして」
「わたしと付き合いたいと思ったから告白してくれたんじゃないの?」
「いや、そうだけど」
「だったらいいけど」

 噛み合っているのかそうでないのかよくわからない会話を交わしていると、車のヘッドライトに照らされて彼女の顔がはっきりと見えた。
 色白な顔がわかりやすいぐらい真っ赤になっていた。彼女も私と同じぐらい、いや、私以上に緊張していたのだ。自然に両手が彼女の頬に伸びた。彼女は真っ直ぐに私の目を見てくれた。
 もし、この世界が「ナイトライダー」と同一だったら、ナイト2000(キット)が自動運転でやって来て、
「マイケル、今日は円山町までの道は比較的空いてます(声・野島昭生)」
 と言いながらドアを開けてくれただろうが、ナイトライダーの世界ではなく、なにより腹が減っていたので、
「お腹減ったよね」
「うん」
「何食べようか」
「歩きながら考えるんじゃないの?」
「立ち止まっちゃったから」
「それじゃ、また歩きながら考えて」
「わかった」
 と、色気より食い気の会話をして歩き始めた。

「はい」
 横に並んだ彼女が差し出したのはティッシュだった。
「ありがとう」
 最初は少しためらいがあったが、すぐに意を決して思いっきり鼻をかんだ。用済みになって丸まったティッシュを彼女が普通に受け取り、バッグの中に入れた。この時やっと、(俺たち、本当に付き合い始めたんだな)と思った。だが、頭の中はすぐに、二人でこれから何を食べようかでいっぱいになった。

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