第六十回 連載


 物書き志望が夢を語る時、「敷かれたレールの上を歩くような単調な生活は嫌なんだ」などと必要以上にかっこうつけて言うことがある。私もいろんな人にこの言葉を言ったような気がする。
 しかし、物書きの生活も相当単調である。寝て食って書いてという一日を過ごしながら、何カ月も同じ話に付き合う。どうしても夜型になってしまうから、一番体が動く時間(夜の3時とか)に遊びに付き合ってくれる友達なんていないし、話し相手もいない。メリハリがないから、曜日の感覚がなくなり、月曜日と木曜日の生ゴミの日を何度も忘れる。はっきり言ってのっぺらぼうみたいな生活だ。
 だが、彩実ちゃんが彼女になってくれたことで土曜日は電話、日曜日は外で食事など約束事が増え、今までモノクロ一色だった生活がカラフルになった。しかし、そうなればなったで単調な生活とは別の新しい問題が浮上してきた。
(はぁ……まいったなぁ)
 いつものように真っ昼間からカーテンを閉め切っている部屋の中央で、ぺったんこの襦袢を着ていた私はあぐらを掻きながら腕組みをしていた。

  • 青い鳥文庫の原稿があまり進んでいない
  • 角川書店のプロットが出来ていない

 この二つは既知の問題だからまあいいとして、

  • 金田一執筆の報酬80万円がなくなりかけている

 この、新たなる問題が楽観的な私を悩ませていた。
 当時の私にとって、80万円というお金は一年では使い切れそうにないとてつもない大金に思えた。なにしろ、底に穴が空いていた靴を段ボールを敷いてまで履き続けた人間である。ところが、プリンタを買ったり、新しい自転車を買ったり、ミニコンポを買ったりしているうちに、半年ほどで80万円という大金はなくなろうとしていた。
 お金がなくなれば彩実ちゃんと遊びに行くなんていうのは無理だし、第一、腰を据えて原稿を仕上げることが出来なくなる。Aさんは先日の電話で、「プロットは出来ているから、二、三カ月で書けるよね」と言っていた。佐川急便の仕分けのバイトで、「だから荷物を重ねるんじゃねえって言ってんだろ!!」と夜中の3時に怒鳴られながら、残業二時間こなして脚が棒の状態で朝の9時頃に家に帰って、子供に愛される小説を二、三カ月で書ける自信はまったくない。となると、自称物書きとしてはエッセイやコラムを書くことで報酬を得たい。理想としては、月一の連載があればいいのだ。でも、男のエッセイなんて(以下略)だし、本を一冊書いただけの人間に連載小説を頼む編集者もいないだろう。

(まあバイトの件は日曜日に新聞の折り込み求人広告を見てから考えるということにして……とりあえず飯食うか)

 私は肩を落としながらほこりっぽい空気が停滞している部屋を出て、台所へ行って冷蔵庫を開けた。そして、カレーが入っているプラスティック製の容器を取り出し、皿にご飯をよそい、カレーをかけてレンジの中へと入れてスイッチを押した。

 圭くんへ これ食べてお仕事頑張ってね。あやみ

 容器の蓋にセロハンテープでとめられている紙には、女性らしく角のない可愛らしい字でそう書かれてあった。
 彩実ちゃんは、親友がアメリカで結婚式を挙げるというので、式に出席するためにアメリカへ行っていたのだが、行く前に、わざわざカレーを作って持ってきてくれたのである。しかも、サラダまで作ってくれていた。
(彩実ちゃん、ほんとありがとう)
 多分、母親が私のことを一番に考えていた唯一の人だと思うが、亡くなってしまって、それからは常に他人との闘いだった。偏見であったり、怒りであったり、呆れであったり、被害妄想も多少あるだろうが、なにがなんでも我が道を行く私に向けられる視線は大抵そんなものなのだ。自分の生き方はあまり誉められたものではないと自覚しているからつらかった。だが、自分のことを一番に考えてくれる人がいると考えるだけで気が楽になった。
 しかし、どうも心に引っかかることもあった。
 エロ本の広告に載っていたエロボイスを聴くために、モルジブ共和国に電話をかけたのが外国との唯一のつながりである私からすると、簡単にアメリカへ行けてしまう彩実ちゃんが、ものすごく遠い存在に思える。立場や環境の違いが決定的な相違を生み、それが別れにつながるというのはよくあることだ。
 腕組みしながらはぁとため息をつく。今までの人生はほとんど0だったからマイナスというものをあまり感じなかったが、プラスになったことでマイナスが際だって見えるようになったのは困ったことである。
(あー、なんかイライラしてきたから、あんまり考えるのよそう)
 頭皮を掻きながらそう思い、電子レンジがもうすぐ“温め完了”のブザーを鳴らそうかという時、電話が鳴った。
「はい、もしもし、工藤ですけど」
「もしもし」
 徹夜明けで口が充分に開かないような感じである。いったい誰だと身構えていると、相手はぼそりと言った。
「Kです」
「あ、Kさんか! お久しぶりです!」
 電話の着信音が耳に入ったと同時にぐっと上がった胃が元の場所に戻り、私は居間の扉を開けてこたつの上に腰掛けた。Kさんなら少なくとも何かの催促ではない。
「どうかね、元気かね」
「最近胃が痛くて、大正漢方胃腸薬とか飲むようになりました」
「ははは、ま、職業病っていうやつだよな。まあでも、最初は誰でもそんなもんだよ。その調子だと講談社の原稿はまだ出来てないってことだな」
「はぁ。進んではいるんですけど、なかなかすんなりとはいかないですね……」
「それだったらちょうどいいというか、まあ仕事の話なんだけどさ、俺が担当している『ナンクロ』っていう雑誌があるんだけど、それにミステリを載せてみようかなと思ったわけよ。で、どうかな。書いてみる気ない?」
「ミステリ……ですか?」
 正直、クエスチョンマークをもう2、3個付けたい気分だった。Kさんが担当している雑誌にミステリを載せるという意味がまったく掴めなかったのだ。ミステリってなんだろう、コリン・ウィルソンの『世界不思議百科』とか、そういう系だろうか。トリノの聖骸布、ポルターガイスト、ツタンカーメンの呪い、みたいな。
 私の気持ちを読んだようで、Kさんはすぐに説明を始めた。
「あー、たとえばさ、金田一みたいな話を載せるってこと。登場人物とか、工藤君のオリジナルでね。一応、見開き2ページぐらいで考えてるんだよね。解答編は次号で、みたいな感じでさ」
「えっと……それはショートミステリっていう感じですか」
「そうそう。俺としては連載にしたいけど、とりあえずまず一回やってみて、読者アンケートで好評だったら続けるという方向になると思う。まあ、よほど不評じゃない限り、続けていってもらいたいと思っているけどね。で、どうかな。やってみない?」
「……」
 頭の中でいろいろな思いが交差――しなかった。やる。やります。やらせて下さい。それだけだった。今まで頭の中にあったもやもやが一気に吹き飛んだ。
 テキスト王を読んでいる人は多分私の文章がもともと合う人だし、金田一はAさんやKさんなど限られた人が見て世に出たもの、ハムスターの期待賞は下読みの人や編集者が審査した結果、私の文章が真に一般の人に審査されたことはこれまでになかったのだ。パズル雑誌の読者はミステリの要素なんて期待していないだろう。そういう人たちにもし認めてもらえれば自信になるし、なにより、連載出来れば定期的に収入が入ることになる。
「俺、やります。書かせて下さい」
 Kさんはそうだろうねという風に笑い、言った。
「よしわかった。それじゃあやってみよう。見開き2ページというと、400字詰めの原稿用紙で8枚ぐらいになるのかな。10枚じゃ多いな。とにかく、それぐらいで書けるミステリのプロットを出してくれ。タイトルとか内容は任せる。あと、これは一応言っておくけど、月一の連載ってのを甘く見るなよ。あっという間に締め切りが来るからね」
「多分大丈夫だと思います」
 いつものようにあまり考えもせずに出てきた“大丈夫”だったが、自信はあった。金田一の時、1日で20ものプロットを形に出来たのだ。月一で一話だったら絶対にいけるはず。
「おーし」
 Kさんは電話の向こうで伸びをしていたのだろう。そう言った後、鼻から息を吐き出すような音が聞こえた。そして、少し間を空けて続けた。
「じゃ頼む。プロットの締め切りは二週間後でどうだ」
「はい、それでいいです」
「よし、じゃあ二週間後ということで。期待しているから頼むな」
「はい」
 私の返事にKさんは笑いながらよろしくと言って、電話を切った。

(ミステリの連載か……)
 予想もしないタイミングで訪れた仕事の話。心の中でそう呟くと同時に興奮で鳥肌が立った。シャツの袖をまくり、口を開けて息を吐き出しながら自分の体を落ち着かせるようにごしごしとこする。
 講談社の青い鳥文庫も、角川書店の文庫も、またかなり遠いもののように思えていた。あくまでも私は作家としてデビュー予定の人間で、作家ではなかった。ところが市販の雑誌に枚数は少ないとは言え、自分の名前でミステリを載せられると聞くと、急に作家という立場が近くなったような気がした。

 主人公の名前はどうしようとか、最初はどんな事件にしようとか、そんなことが停滞しきっていた頭の中に浮かんできた。考えるだけでもう嬉しくて仕方がない。初マラソンを走っている途中、長い直線道路に辟易としていた時に給水所を発見したようものだ。すぐ近くに目標が出来た。

(よし、やってやるか)

 私はそう気合いを入れ、レンジから彩実ちゃん特製のカレーを取り出し、ご飯にスプーンを差し込んだ。
 新しい挑戦の始まりだった。

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