第六十八回 授賞式への誘い


 うちの近所のスーパーでは、夜の7時頃に総菜が半額になる。1個100円のコロッケが50円だ。キーボードを叩きながら時計を見て、そろそろ7時だなと思うと、いそいそと出掛けて売り切れないうちにコロッケを3個150円で買ってきて、それを翌日のおかずにする。勿論、朝、ご飯とコロッケ、昼、ご飯とコロッケ、夜、ご飯とコロッケという、キテレツ大百科のコロ助以外はややときめきに欠けるローテーションだ。彩実ちゃんがちょくちょくおかずを作って持ってきてくれるのが、唯一の楽しみだった。
 緊縮財政を敷き始めたこの頃、パソコンの筐体内部から「キーキィーキー、ガコン、シュルルルルル、ガコン」という妙な音が聞こえるようになってきた。ハードディスクがクラッシュ寸前ということはわかったが、ハードディスクだけを取り替えるなんていう知恵がなかった私にとって、このピンチを脱出するためにはパソコン本体を買い換えるしかなかった。だが、当時、IBMの一番安いパソコンで10万円ぐらいで、どうやりくりしても浮きそうにない。
 やっぱりバイトをするしかないのかなとコンビニでデイリーアンなどを手に取り、日払いバイトの求人広告を見たが、長野県だとか静岡県だとか、うちからかなり離れた所で寮に住み込んで工場勤務ということになってしまい、原稿の締め切りというものを抱えている私には無理そうだ。バブルの頃はそこかしこで日払いのバイトがあり、私も“一カ月でロレックスを買おう!”という広告に惹かれて某運送会社で残業3時間は当たり前(残業してくれ、という言葉すら出てこない)の過酷な深夜勤務をしたものだが、不景気というのは不便なものである。
 故障を放っておけばお金はかからないが、いつか原稿が進まなくなるし、メールで連絡も出来ない、バイトを始めるとパソコンは買い換えられるが、Aさんの言う締め切り「三カ月」には到底間に合わない。
 一番いい方法は、ハードディスクがクラッシュする前に青い鳥文庫の原稿を書き上げることで、もう私にはこの選択肢しかなかった。青い鳥文庫さえ終われば、

印税が入る

パソコンがVAIOになる

気分がよくなる

角川書店の原稿が終わる

また印税が入る

あまりのプレミアに手が出なかった小室友里の「ルームサービス(初版)」が買える

と、うまく回転するはずなのだ。

 出掛けたり、遊んだり、嗜好品を買ったりせず、引き籠もって原稿に取り組む。

 腹を決めた私は、ご飯と、ブルドックソースをなみなみとかけたコロッケをかき込み、コップに注いだ烏龍茶を一息に飲み干して部屋に戻った。
 朝食後、私の仕事の始まりはいつも決まっていた。パソコンをなんとか立ち上げ、秀丸のショートカットをダブルクリックして、「講談社.txt」というファイルを開き、続きを書く。毎日毎日、同じ始まりだ。またこれかよと突っ込みたくなるとほど同じだ。
 1日5枚ずつ、なんていうことが出来ないので、駄目な時はキーボード上の指がまったく動かない。そのうちイライラしてきて、髪の毛を抜き始める。よし、気晴らしに昼飯食おうと思っても、あるのはやっぱり、昨日買ってきた牛肉コロッケ1個とご飯だ。朝同様、なんの変化もないので余計にイライラしてくる。

 トゥルルルルルル トゥルルルルルル――

 中指と薬指の間にキューティクルもなにもない髪の毛を何本か挟みながら、なんとかマンネリから脱却しようと、久々にナッツ&ミルクでもやるかとファミコンをセットしていると電話がかかってきた。
「もしもし、工藤ですけど」
「わたくし角川書店のOと申しますけど……工藤君?」
 Oさんの話し方は、相変わらず女性らしく柔らかだった。なんだか、小学校の女性担任から連絡されているみたいな感じがする。明日はちゃんと体育館履き持ってきてねと優しく言われそうなのだ。
「あ、はい、そうです。お久しぶりです」
 私がそう答えると、Oさんはほっとしたように笑いながら言った。
「ほんと、久しぶり。ごめんねー、なかなか連絡出来なくて」
「いえいえ、こちらこそ」
「青い鳥文庫の原稿進んでる?」
「はぁ……まあ、なんとか進んでます」
「出来るだけ速く書き上げて、こっちの仕事に取り掛かってね、なんてプレッシャーをかけたくなるわけなんだけど」
 そう言ってOさんはまた笑い、続けた。
「あのね、今日電話したのは、えーと、今まで忘れていて本当に急な話になるんだけど、実は来月、授賞式があるの」
「授賞式……ですか」
 授賞式ってなんだろう、俺、なんか受賞したっけかなとしばらく考えていると、Oさんが言った。
「賞金もそこで払うことになったの。ほんとにごめん、遅くなっちゃって」
(賞金……)
 ってなんですか? と聞きそうになったが、ようやく思い出した。そうだ、俺は小説ASUKA新人賞の期待賞を『あたしの彼はハムスター』で受賞したんだった! ハムスターは当然頭にあるが、受賞のことはすっかり忘れていた。
「それでね、授賞式の後にアニメ・コミック事業部の新年会があるから、それにも出席してほしいの。工藤君の他にも、新人賞を受賞した作家さんたちが来ることになっているから、紹介します」
「あ、是非お願いします」
 実はかなり気になっていたのだ。読者大賞、期待賞のところに並んでいた名前は、当たり前のように女性名ばかりだった。別に女性だから容姿が気になっていたというわけではない。私は同人誌を書いたり、文芸部に入っていたわけではなかったから作家志望という人に会ったことがなく、いったいどんな物の考え方、性格の女性がプロになるために小説を書いているんだろうか、と、その辺が気になっていた。もし、性格が合いそうだったら友達になって、愚痴なんかを言い合えるかもしれない。
「詳しい日時なんかは、招待状に書いてあるから。明日送りますね。あ、場所なんだけど赤プリということになってて、新年会が終わった後にうちの文庫の人たちと集まったりするだろうから、もし日帰り出来そうになかったら部屋を取って泊まっていってもいいけど、工藤君は確か○△の方だったよね」
「そうです。まあ、多分帰れると思います」
 そう答えつつ、“赤プリ”という謎の単語はいったいなんなんだろうと考えていた。これが“赤坂プリンスホテル”を指しているとわかったのは、翌々日、招待状が届いてからだった。そして、赤坂というのは東京のどこにあるのかということでまた迷うわけだが、本題に関係がないので省略しておく。
「じゃあ平気ね。それじゃお会い出来るのを楽しみにしてます。それじゃあね」

 こうして電話は切れた。

 話は簡単に終わったが、考えるといろいろと広がってくるものがあった。
 自分と共に受賞した女性はどういう人なのかというのもそうだし、新年会というのにはやっぱり有名作家が訪れるんだろうか、もし来るなら誰なのか、食事はフランス料理だったりするのか、授賞式ではインタビューとかされるのか。特に気になるのがインタビューだ。もしあるなら、気の利いたコメントを考えていかなければならないだろうし、服もいつもの格好――スポーツサンダル、シャツ、ジーンズ――じゃまずいだろう。
(やっぱ、スーツで行った方がいいだろうなぁ……)
 私は一着しかスーツを持っていない。確か、就職用にということで丸井で5万円ぐらいで購入したやつだ。が、ご存じの通り、正社員というものになったことがないのでまったく出番がなかった。多分、生地の切れ端みたいのもポケットに入れっぱなしだろう。
 洋服タンスの扉を開けて、ナフタリンの匂いを右手で払いながら虫に食われていないかどうかを確認し、平気だったのでほっとしながら扉を閉めた。

目次へ

▲このページの先頭へ戻る