第六十九回 折り返しへ


 朝が来て昼が来て夜が来て、また朝が来て、と、特にイベントもなく、ひたすら富士通のキーボードを叩く毎日が過ぎていく。思い出したように図書館へ行って現役の小学校の先生が書いた学級日誌を読んだり、コロコロコミックとボンボンを買ったり、近所の小学校へ夜中の3時頃に行って鉄棒で逆上がりをしたり、可能な限り、小学生の生活を知ろうと努力をした。
 私が小学生だった頃を思い出しながら書くという手もあるにはあるのだろうが、ワールドスタンプブックの怪獣の世界でミクラスがなかなか出なかったことにいらついたとか、スプリング(トムボーイ)が階段を下りていかずにむかついたとか、どうも現代の小学生よりすべてが幼い気がして、今の小学生には当てはめることは出来ない。授業を見学出来れば一番いいのだが、もう知っている先生が一人もいないし、「小説家ではないが、小説家になれるかもしれない人」という、自分の曖昧な立場を説明するのも大変だ。

ワールドスタンプブック「怪獣の世界」とは

 講談社インターナショナル発行の本。袋(確か50円ぐらい)に入っているウルトラ怪獣のカードを本に貼っていく。324枚貼ると完成。レアカードっぽいものが存在し、表紙に貼るミクラス(セブンに出てくるカプセル怪獣)とウルトラ兄弟関係のカード(なぜかウルトラの母だけなし)を全部集めることが出来れば、それだけでヒーローになれた。204枚集めれば、残りは一括で注文出来る。今、30代前半の男性は、この本を通じて日本には郵便小為替というものがあるということを知ったはず(多分)。後に仮面ライダー、ガンダムなどのスタンプブックも出た。

 それでも超低速ながらも青い鳥文庫の原稿は進み、どうにかこうにか400字詰め原稿用紙100枚を超えた。

 文章を書いてどうこうという仕事をしている人以外からすると、物書きが一つのテーマで原稿用紙100枚以上書くというのはどういう風に見えるのだろうか。
 100枚っていうのは結構な枚数だが、小説家になりたいなんて言ってたんだからどうってことないだろう、だいたいそういう奴は子供の頃から作文得意なんだろと思う人も多いかもしれない。確かに、小学生の頃から100枚ぐらいは余裕で書いていたとか、先生にやめろと言われるまで作文を書き続けたなど、幼少時の伝説を持つ物書き(プロアマ含め)は多い。
 私の場合、どうだったのか。小学生の時はこんな感じだった。

恩師・梨田先生(仮名)編集「ん」第三号より

 冬休みの日記(宿題)がほぼすべて一行。12月27日の日記は特に凄い。「〃」で一文字だ。
 もともとがこんな調子だったから、小説を書くようになって30枚、50枚と原稿を重ねていくのは興奮と感動の連続だった。「やったー!! 50枚突破!!!」とか「ついに来たぜ、100枚!!」とか原稿用紙の端に書いて、サインまでしていた。
 さすがに今は、やったぜとは書かないし、思いもしないが、100枚というのは長らく私にとって、ここを超えたら、もうそれだけで幸せという、まさに頂点に位置する枚数だった。

(5分の2までは来たか……)
 Aさんは、250枚から280枚ぐらいは書いてくれと言っていた。
 喫煙者ならおもむろに煙草を取り出し、飲酒が好きな人ならビールの蓋でも開けるような場面だったが、煙草を吸わず、酒もあまり飲まない私は、ただため息をついて、頭を後ろに倒し、天井を見た。
 金田一の時は300枚ぐらい書いたと思うが、5枚とか10枚の話の集まりだったので、あまり枚数を意識することはなかった。しかし、1つの話で数百枚というのは、重さ2000トンぐらいある巨石を彫って高さ20メートルの像を作るような感じだ。前提が大きすぎて、どうすれば完成するのかまったく見えてこない。

 トゥルルルルル トゥルルルルル――

 この頃、気晴らしに懸賞サイトにアクセスして、いろいろと応募していたので、昼間の電話が飛躍的に多くなった。旅行クーポンが、とか、パーティが、とか、勧誘の類だ。
 それにしても鳴るたびにいつも思うが、荒れた胃を突っつくような着信音をイルカの鳴き声みたいな癒される音に変えられないのだろうか。どうせ勧誘だろうという気持ちと音でイライラして、耳の裏を人差し指で掻き、膝を叩いて立ち上がり、受話器を取った。
「はい、もしもし、工藤ですけど」
「あの……」
「え?」
「えっと……圭くん? 彩実です。ごめん……今、仕事してた?」
 私の態度がよほどとげとげしかったのだろう。彩実ちゃんは声を小さくして言った。
「あ、いや、ちょうどいいタイミングだった。うん。全然平気。っていうか、一段落したから」
 慌ててそう言って、冷蔵庫から缶ジュースを取り出し、部屋に戻って蓋を開け、どっかりと腰を下ろした。
「ほんと……? ならいいけど。お仕事大変?」
「まあ大変と言えば大変だよなぁ。なんていうか、こう、気持ちがいまいち乗って来ないっていうか、登場人物の誰にも感情移入出来ない状態が続いているっていうか。なんでうまくいかないのか自分でもよくわからないんだ」
「うーん、そっかぁ……。主役は男の人なんだよね」
「うん。先生でね。その先生の彼女みたいのがいて。教え子もいて。どのキャラをどう立てていいのかわからなくなってきた。なんていうんだろう、話が自動的に進んでいる感じがするんだ。こういうシチュエーションならこう進むだろう、みたいなさ。これっていいことじゃないよね。でも、序盤はOKもらっているから一からやり直しっていうのも出来ないし……はぁ……まいったなぁ、まじで」
 愚痴はこの後も、もう駄目だ、もう終わった、俺には才能がない、苦しい、窓ガラスを割りたい、どこか遠くへ行きたいなど延々と続き、彩実ちゃんは、大丈夫だよ、きっと出来る、絶対うまくいくよ、などひたすら元気づけてくれた。
「ねえ、圭くん」
「ん?」
 弱音を吐けるだけ吐いてなんだか気持ちよくなっていると、彩実ちゃんが私の名前を呼んだ。
「来週の日曜にね」
「うん」
「美味しいもの食べに行く……?」
 それは彩実ちゃんらしい提案の仕方だった。彼女はああしよう、こうしようということはあまり言うタイプではない。会う回数が多いと私に迷惑が掛かるというので、電話やメールで励まし続けてくれた。他人を思いやり、自分の気持ちをコントロール出来る人だ。彼氏を元気づけたいとだけ思っているなら、「食べに行こうよ」と言うだろうが、やっぱり仕事があるからあまり強くは言えないなと思って「食べに行く?」と聞いてくれたのだ。
「……」
「……どうしたの?」
 黙ってしまった私に対し、彩実ちゃんは不安げに言った。
「……」
「……」
「ぶっ」
「え?」
「うわっあっはははははは、あはははは」
 私がいきなり笑い出したので彩実ちゃんはしばらく呆気にとられていたが、やがて、ちょっと怒った風に言った。
「え、どうして笑うの?」
「はははは、いや、ごめん。別におかしくて笑ってるんじゃないんだけど……そうだね、よし、何か食べに行こうか」
 どうして笑っしまったのか今でもわからない。ただこの時、不思議と自分と彼女の距離が今までよりも更に近くなったような気がした。それはもしかしたら、お互いに感じたことなのかもしれない。

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