第七十三回 赤坂プリンスホテル


 スーツを着るのは何年ぶりだろうか。確か丸井で買ったのが5、6年前。小説家はとりあえず諦めて就職しろということになり購入したのだが、クリエイター業界のハードルが高いのか、私のジャンプ力が低いのか、就職する以前に履歴書が全部返ってくるのでしばらく着る機会がなかった。その後、加藤君(仮名)の披露宴で着たので、4、5年ぶりだろうか。
 もうどこで買ったのかすら思い出せないえんじ色のネクタイをして、白い靴下をはき、スーツの袖に付いていたほこりを右手で払い落とす。

 この日、私は、“赤プリ”こと赤坂プリンスホテルで行われる小説ASUKA新人賞の授賞式と、角川書店アニメ・コミック事業部の新年会に出席することになっていた。
 授賞式のイメージというと、やはり下のような感じだろう。壇上に受賞者が盾かなんかを持って上がり、カメラのフラッシュを浴びながら受賞コメントを感動的に述べる。すぐ近くには歴代の受賞者が並んでいて、お祝いを言う。

授賞式の予想図

(電車の中である程度想定問答集を作っておこう)
 髪を手ぐしで整えながら思った。授賞式に出るなんていう機会は恐らく最初で最後だろう。ようするに一世一代の晴れの場となる可能性もあるわけだ。
 人前で喋ることはあまり苦手ではないからなんとかなるとして、問題は他の受賞者のことだ。私は今日まで小説家志望及び小説家という人たちに会ったことがない。どういう風に接すればいいのだろうか。一覧の名前を見るに、私以外は全員女性だと思われる。

(小説家志望の女の子って、どんな感じなんだろうなぁ……)

 高校は男子校だったし、専門学校は3日で辞めたし、バイトで知り合って友達になった女の子はめぐちゃんを筆頭にみんなギャルっぽいし、彩実ちゃんは行動力旺盛な体育会系で小説を綴るというタイプではない。自分の中に“小説家志望の女の子”がいないのだ。それでも、心の準備をするためになんとか想像してみた。

(まあ、年は25歳ぐらいだろうな……。なんか相当痩せていて白のワンピースとか着てそうだ。髪は黒でストレートと見た。大人しいお嬢様系。中学時代はきっと紺のハイソックスを履いていて、俺にはどうしても理解出来なかったソプラノ笛とアルト笛の吹き分けが可能だっただろう)

 私が小学生の頃、双子の姉妹(中学生)がいた。彼女たちは作文コンクール入賞の常連で、天才少女だとか、将来は絶対に作家になると大人たちの間で言われていたものだ。その彼女たちの容姿が、私の中の小説家志望の女の子のイメージだった。
 凛とした二人が鞄を体の前で両手で持ちながら歩いているそばで、買い物袋を下げたおばさんたちが、有名人を見るような目をしてひそひそ話している光景が今でも目に浮かぶ。

(友達になれるかな……)
 不安が募る。物書きの友達を一人ぐらいほしいが、上のような女性と未だかつて仲良くなった経験がないのだ。

 地元駅から新橋へ行き、そこから銀座線に乗り換えて赤坂見附で下車して、赤坂プリンスホテルに到着した。超高層ホテルで、思わず見上げてしまう。携帯の時計を見ると、珍しく時間には間に合ったが、多分、一番最後だろう。
「あ、えーと、角川書店のなんていうんだろう、えーと、なんかこう、表彰式じゃなくて授賞式? をする会場って何階ですか?」
 ホテルに入ってとりあえずエレベーターの前まで行くと、受付の女性が二人座っていたのでたどたどしく聞いてみた。
「はい、ご案内いたします」
 一人が付いてきてくれて、結構上の階まで行き、部屋の前まで案内された。どうやらスイートルームらしい。

「あーあーあー」

 咳払いをした後、舐めていたフリスクを噛み砕き、一応挨拶用に発声練習をして恐る恐る部屋に入る。
 中はお菓子が載せられたテーブルがいくつかあって、明らかによそ行きの服、パーティドレスを着た女性、背広姿の男性たちが談笑している。人数は20人ほどだろうか。椅子がないので立食形式のようだ。天井のスピーカーからクラシックが流れているようなブルジョアな雰囲気というか、後藤久美子がナビスコのオレオを運んできそうな感じというか、そういうものが漂っていてこれが超有名出版社の集まりかと圧倒された。
「あ、あの……すいません、工藤と申しますが、Oさんはいらっしゃいますか」
 近くにいた、角川書店の編集者と思われる女性に聞いてみると、笑顔で頷いてOさんを呼んでくれた。
「あ、工藤君? はじめてまして、Oです」
 女性と話していたOさんは私を見てそう言って微笑みかけ、ゆっくりとした足取りで私の目の前まで歩いてくると名刺を差し出した。セミロングヘアの小柄な女性で、私より少し年上だろうか。抑えた感じのツーピースを着ていて落ち着いた雰囲気だ。Kさんと同い年ぐらいの感じがする。
「どうも、工藤です。あの、今日はよろしくお願いします」
 そう言って、スーツのポケットというポケットに手を突っ込み、ようやく名刺入れを探し出して、名刺を一枚抜いて慌てて差し出す。そして、恐らくすがるような目をしてちょこんと頭を下げた。なにしろ、知っている人はOさんしかいないのだ。
「こちらこそよろしくお願いします。でも、工藤君、ほんとに男性なのね。ハムスターを読んだ時は絶対女性だと思ったけど」
 Oさんがそう言って笑うと、あちこちから男女問わず人が集まってきた。
「え、彼があれを書いたんだ」
「あれって?」
「いや、『あたしの彼はハムスター』」
「ああ、ええ!? こんな男性が……あ、ごめんなさい、こんななんて失礼よね」
「惜しかったんだよね、もうあとちょっとで読者大賞だったんだけど」
「読者大賞は結局、後藤さんが取ったんですよね。後藤文月さん」
「でも、Oさんは結構最初からハムスター推してたじゃないですか。なんか面白いのがあるとか言って」
「うん、そうなの。だから読者大賞を逃した時はちょっとがっかりした」
 発言があるたびに発言者の顔を見て、なんだかわからないけど頷いていた。どうも、皆さん角川書店の編集者らしい。
「授賞式の後の新年会にも出てくれるでしょ?」
「はぁ、そのつもりです」
「もし、会いたい作家さんがいたら言ってね。紹介してあげるから。勿論、出席していたらだけど」
「はい、お願いします」
 Oさんと私とのやりとりを聞きながら、背の高い私と同い年ぐらいの男性編集者が口を開く。
「今年は来てくれますかね。○○さんとか、□□さん」
「あ、□□さんは来るって言ってた。あと、××さんも来るんじゃないかな。なんかこの間会った時に来るようなことを口にしていたから」

(知ってる、このジャンルに疎い俺でもその人たち知ってるよ!)

 有名作家の名前がすらすら出てくるのを聞きながら、俺は本当に出版社のパーティというものに出席するんだなと改めて思った。

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