第七十六回 重い言葉


 さて、ほとんどの方が忘れていると思うが、私と角川書店には因縁がある。高校生の時、学ラン姿で400字詰め原稿用紙で20枚ぐらいの小説を持ち込もうとし、受け付けの女性に断られたというものだ(さっか道第一回参照)。

参考資料 10行でわかる角川書店に持ち込んだ小説

「なんで核戦争など起こってしまったんだ」
 と、ソ連の書記長は言った。
「いったい、世界はどうなってしまっているんだろう」
 アメリカの大統領は答えた。
「あ、見ろ、どうしても開かなかったシェルターの出入り口が開いてるぞ」
「本当か? 脱出しよう」
 二人がシェルターから出ると、銃を持った若者が銃口を向けて立っていた。
「おまえたちがいなければこんなことには……」
 バンダナを巻いたリーダーはそう呟いた。
 そしてゆっくりと引き金を引いた。

 終わり。

 別にあのことに対して不満があるわけではないが、関係者に直接言えるというのはそうある機会ではない。せっかくだから話してみようと、クッキーをオレンジジュースで飲み込んでから口を開いた。
「実は俺、高校生の時に角川書店に原稿持ち込んだことがあるんです」
「へえ、どうだった?」
 Oさんはわりと興味深そうな眼差しで言う。
「いや、受け付けにいた女の人に断られました。『うちでは原稿の持ち込み、受け付けてないんです』って言われて。はははは」
「そうなのよねえ。角川書店は持ち込み駄目なの」
 話しはあっさりと終わり、しばらくして、離れた所に移動していたSさんが手招きをして私たちを呼んだ。
「みんなを部長に紹介しようよ」
「あ、そうだね」
 そう返事をして、Oさんは私や後藤さんを引率し、部長さんの前まで来た。
 どっしりと椅子に腰掛け、穏やかな笑顔をこちらに向けてSさんやOさんらと言葉を交わしている。50歳ぐらいの堂々たる恰幅の紳士で、艶やかな黒髪、高そうなスーツ、そして空気を震わせる低い声。「すべての答えに『いいえ』と答えて下さい」という心理テストをされたら、すべて「はい」と答えてしまうような雰囲気が漂っている。
「あ、部長、彼が『わたしの彼はハムスター』の工藤君です」
 Oさんが右手の平を上に向けて私のことを指し、私は(え、俺が最初?)と思いながら、慌てて頭を下げた。
 そんな私の姿を見て部長さんは何度か頷き、ゆっくりと口を開く。
「ハムスターか。読んだよ。人間がハムスターになるやつ。勢いがあって面白かった」
 部長さんは相変わらずの笑顔でそう言った。
(感想にまったく無駄がないな……)
 そして、隙がないというのだろうか。常に穏やかな様子で笑っているのに、まったく入り込んでいけない。高校の時の担任で、素手で牛を殺したことがある噂されていた佐田先生(仮名)みたいだ。
(だけどなぁ……)
 そんな思いと共に、ある疑問も感じていた。こんなに偉い人が『あたしの彼はハムスター』を読んでいる姿が想像出来ない。もしかして、あらすじだけ読んだっていうことなんじゃないだろうか。
「あー、そうそう」
 部長さんは目尻を下げたまま、言った。
「確かに面白かったんだけどね」
「はぁ」
 私が反応したのを見て、部長さんの唇がゆっくりと動く。

「アイデアがたった一つしかないんだよね」

 私はぐっと詰まってしまって何も言えなかった。まさにそうだからだ。部長さんは、なあ、そうだよな? とばかりに隣にいたOさんを見た。Oさんは私を見ながら黙って何度か頷いた。
「人間がハムスターになる、それだけなんだよ。100枚ぐらいの話なら勢いで誤魔化せるかもしれない。だけどね、本っていうのは、もっとたくさんのものが詰まってないと駄目なんですよ。人の心を動かすものがね。その辺をもう少し考えて、次回作、取り組んでみて下さい」
「あ……は、はい」
 そう返事をすると、部長さんは満足そうに笑った。

 ――本当に全部読んでくれてるんだな

 失礼な言い方もしれないが素直にそう思った。
 そして、更に失礼な言い方もしれないが、編集部の全員が全力で少女小説に取り組んでいることもわかった。

「工藤さんって、本書いているんですよ」
 と、よく紹介される。すると、その場にいる人たちは必ず、「へえ、作家さんなんですか!? 凄いなぁ。え、なんていうタイトルの本ですか?」と聞く。私を紹介してくれた人が、

「『わたしの彼はハムスター』っていう本」

 と言うと、決まって、「わたしの彼はハムスター! わたしの彼はハムスター!!」と反復する人がいて、場は大爆笑に包まれる。
 みんな、「うわあ、それってなんかアイドル歌手の恥ずかしいデビュー曲みたいなインパクトありますね! なんでそんなの書いちゃったんですか」と、タイトルから内容を想像して私に同情しながら笑っていると思うのだが、私はまったく笑えない。
 しかし、笑う人たちの気持ちもよくわかる。もし私が小説とはまるで縁のない仕事をしていたとして、友達の知り合いが作家としてデビューしたと聞き、タイトルが『俺の彼女はシーモンキー』だったら腹を抱えて笑うかもしれない。いや、かもしれないではなく、間違いなく笑ってしまうだろう。
 だが今の私は知っているのだ。編集者さん、漫画家さん、校正さん、そして読者大賞の選考でこの本に票を投じてくれた人たち、本当にたくさんの人たちが『わたしの彼はハムスター』を少しでもいいものしようと、時間を惜しんで努力してくれたことを。

 正直、授賞式に出るまでは、少女小説を書いて賞を取った自分と、青い鳥文庫でミステリを書く自分を分けて考えていた。ミステリを書く自分が本当の俺。当時の心は今となってはよくわからないが、そんな風に思っていたかもしれない。
 でも、そんな考え方はくだらないことに気がついた。

 ミステリでも少女小説でも純文学でもファンタジーでも歴史小説でも官能小説でも、携わっている人間はみんな真剣なのだ。

 そんな当たり前のことが、この日、やっとわかった。

「そろそろ時間かな」
「あ、うん、そうだね」
 Oさんに言われて、Sさんが自分の腕時計を見た。
「それじゃ、会場へ行きましょう。そろそろ始まっちゃうから」
 私や後藤さんは顔を見合わせながら、それじゃここを出ようかと話し合い、エレベーターに乗り込んで大広間へと向かった。

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