第七十七回 感激のリボン


「料理って、フランス料理かなぁ」
 エレベーターを降りて床の上を歩きながら後藤さんに話し掛けてみると、彼女は「そうなんじゃない?」と頷いた。
 実を言うと、料理に関しては別にフランス料理でも中華料理でもなんでもよかった。一番気になっていたのは、どんな作家や漫画家が来るのかということで、それを口に出すと単なるミーハー、しかし、なにかしら口に出さないといられないということで料理の話題で誤魔化したのだ。

 一歩一歩会場へ近づくに連れ、パーティ用の光沢のあるワンピースに透けたショールを羽織っている女性や、目の下に隈が出来ているGジャン姿の男性、彼と談笑しているスーツ姿の男性など、いわゆる“業界人”ぽい人を目にするようになってきた。昔、地元のライブハウスの前で車から降りてきた某アイドルを見た時も思ったが、照明とか赤坂プリンスホテルの雰囲気とか関係なく、明らかに一般人ではないオーラを発しているように見える。恐らくそれは『一年間、この催しに呼ばれるぐらいの仕事をした』という自信から生じるものだろう。

(なんかすごいよなぁ、顔見ただけじゃ誰が誰だかわからないけど、みんな作家か漫画家なんだろうな。みんな作家か漫画家ってかなり異様な空間だよな)

 そんなことを考えながら周囲を見回し、扉の前まで来た。

「あー」
「どうしたの?」
 私が突然立ち止まったので、後藤さんが驚きながら聞いてきた。
「いや、なんか緊張するね。俺、こういう所に来たことないからさ」
 胸の辺りを右手で押さえながらそう言うと、
「男の人がなに言ってんの。ほら、早く行って行って」
 後藤さんにそう急かされたので、もう二、三歩前に出た。
 赤い布が掛けられているテーブルの上に名前が書かれたリボンが置いてあり、編集者が並んでいる。どうやら、招待状を送った作家や漫画家、全員分あるようで、自分の名前を言うと、その名前のリボンを渡してくれるらしい。
 緩めていたネクタイを軽く締め直して、並べられているリボンの名前を見た。
(あいうえお順に並んでいるんだな。工藤は“く”だから、えーと、か……き……き……き?)

 頭の中にある空想の人差し指が、思わず“き”で止まった。

『北村薫』

 その下のリボンを見る。

『工藤圭』

 なんと、日常の謎という世界を提示した『空飛ぶ馬』、『スキップ』『ターン』『リセット』の“時と人の三部作”などで有名なミステリ作家、北村薫先生のリボンと私のリボンが同じ“作家”のものとして同列に並んでいるのだ。これだけシュールな光景は、普通に生きていたらちょっと見られない。私に「『一基』って読めるか」と聞いた宮田先生(仮名)に是非伝えたいところではあったが、残念ながらどこにいるのかさっぱりわからないので諦めた。

「あ、あの……工藤と申しますが……」

 恐る恐る口を開くと、大学を出たばかりという感じの若い女性編集者が、置かれているリボンに目をやった後、
「工藤圭先生ですか?」
 と微笑む。
「はぁ……」
 ほんの2年ぐらい前、バンドのギタリストが連れてきた初対面の女性に「ねえ、その年でアルバイトって、いつまで中途半端な生き方してんの?」と説教された人間が、まさか先生と呼ばれるとは思わなかった。

 名前が書かれたリボンを受け取ってスーツに付けた後、扉をくぐって辺りを見回した。

(うわあ……)

 一斉に人の話し声が耳に入って、少し痛くなった。
 すぐに慣れて息を止めながら、もう一度見渡す。
 バレーボールのコートが四面ぐらい作れるんじゃないかという広い部屋の中に、お酒の入ったグラスを手にした男女がぎっしりと立っていた。100人は間違いなくいるだろう。男性はわりとラフな格好をしているが、女性のファッションはほぼ全員明らかにパーティ用で、事件が起きる前の、かたせ梨乃が主役の山村美紗サスペンスみたいな雰囲気を醸し出している。
 いい匂いがすると思って中央を見ると、そこにはフランス料理がバイキング形式でずらりと並び、何から食べようと思っていると黒服の男性がやってきて、お酒の入ったグラスを渡してくれた。
「あ、どうも」
 添えられていたさくらんぼを指で押さえながら軽く口を付ける。お酒にはあまり詳しくないのでよくわからないが、高そうな味だ。
 床にはふかふかの絨毯が敷かれていて、ステージ上では司会を担当すると思われる男女が何やら話し合っている。女性の方は見覚えのある容姿で目の前まで行こうかと思ったが、それはあまりにもミーハー過ぎる行為だろうと思い直し、授賞式で見かけた編集者のいるステージ横の壁辺りまで歩いて休むことにした。

「えーと、ここでいいのかな」
 壁まで来て立ち止まり、いつの間にか後藤さんがどこかに消えていて不安になったので独り言を言ってみる。
 編集者以外にも授賞式で見かけた人が何人かいるので、多分、場所は合っているのだろう。聞き耳を立てていると、どうも、男性の同性愛をテーマにしている角川ルビー文庫の作家さんたちが集まっている所らしい。私はティーンズルビー文庫班だからやはり場所は正しいのだ。せっかくだからなんか話し掛けてみようかと思ったが、男性の同性愛が頭の中にちらつき、共通の話題ってなんだろうと考えると言葉が出てこない。
 せめて自然な存在に見せかけようと、“俺は独りパーティ慣れしてるから”というオーラを放出しながらポケットに左手を突っ込んでお酒を飲んでみたが、なにしろ、半径10メートル以内には女性しかおらず、
(……ねえ、あそこにいる人ってなんなの?)
 という視線が徐々に刺さり始め、どうしたらいいのかわからなくなってきた。女子校に男性が一人だけいたらこんな感じなんだろうか。

 とりあえず料理を取りに行って、飯を食いながらいろいろ考えようと、空いたグラスを黒服の男性に渡し、部屋の中央へ行った。ついでにちらりと、ステージ上にいる司会の女性を見る。
(どこかで見たことあるんだよなぁ……)
 名前ではない何かが口から出かかっているのだが、出てこない。この顔と何かが結びついているのだ。

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