第九十六回 彼女の真意


 歌舞伎町をあてもなく彷徨った後、ゲームセンターに入って1000円分のメダルを買い、競馬ゲームを始めた。
 一仕事終えたときや疲れているとき、なぜかこの手のゲームで遊んでしまう。多分、こちらがなんの操作をしなくても頻繁に変化するものを、のんびりと眺めることでリラックス出来るのだろう。
 私の地元では、少ないお金で長時間粘れるということで子供たちに大人気の競馬メダルゲームであるが、歌舞伎町辺りだと子供がいないせいか、座席についているのは私だけだった。一度は端の方に座ったが、周りを見てゴール前の席に移動し、カップのペプシコーラを買ってきて、氷全部を口の中に放り込み、ぼりぼりと噛み砕きながら作り物のターフを走るプラスティック製の馬たちを見た。

「これは駄目だね」

 ゲームの筐体から発せられるけたたましい電子音は勝手にかき消され、頭の中でAさんの一言が繰り返し再生された。
 Aさんが挙げた問題点はいろいろとあったが、一番印象に残っているのが、「登場人物が抱いている気持ちを、なんの工夫もなく、そのまま書いてしまう」というものだ。確かに、怖い場面ではすぐ悲鳴を上げさせ、悲しい場面ではすぐに泣かせた。それがよくないこと、盛り上がらなかった原因だというのはなんとなくわかる。でも、じゃあ、どうすればいいのかというのが今もって解決できなかった。直接書かずに、心情を表現する。まるで魔法のようにも思える。
 メダルが入っている箱の横に立てかけるように置いた、原稿入りの袋を開けて付箋に書かれているAさんの指摘を読んでみようかと思ったが、手を掛けた途端に気が重くなってしまったのでやめた。
 両手で顔を覆い、ため息をつく。私が賭けた馬は最下位に破れたようで、メダルは賭けた分だけなくなっていた。
 とにかく、また一から始めなくてはいけない。OKが出たとは言え、プロット自体、あれでいいのか、そもそもAさんは私が書いた小説をまた読んでくれるのか。本が出るまでにどのぐらいかかるのか。またアルバイトを始めるのか。このまま年を取り続けたら、自分はどうなるのか。
 そんなことを考えていたら、ここで時間とメダルを費やしていることが急に馬鹿馬鹿しくなってしまい、残りのメダルを一番勝ちそうにない馬の単勝にすべて賭けて、結果を見る前にゲームセンターを出た。

 家に着いた頃には、もう日が暮れていた。
 真っ暗な部屋にデイバッグを投げるように置いて、床に座り込んであぐらを掻き、人差し指でパソコンの電源を入れた。電源ファンとCPUファンが低い振動音を奏でて、富士通のディスプレイにBIOSの起動画面が表示される。
 新宿からしばらくは返された原稿のことで頭がいっぱいだったが、そこから地元までは、彩実ちゃんに今日のことを伝えるか、そればかりを考えていた。あのメールさえなければ、すぐにでも携帯へ電話して愚痴を言いっぱなしだっただろう。

「元気出して! そうだ、気晴らしに遊びに行こうよ!」

 私の愚痴を散々聴いた後、彼女ならいつもの元気な声できっとそう言ってくれるはずだ。
 しかし、あのメールの後、

「ごめん、原稿駄目だった」

 と言ったら、彼女の真意がどうあれ、現在の雰囲気が一層盛り下がること確実である。彼女が両親に私のことを聞かれたらどう報告すればいいのだ。半年間掛けてやったことに対する報酬が0円。あれもこれもと数をこなして、そのうちの一つが0円ならまだいい。力量の問題で一つだけしかこなせず、それが0円だ。中学一年生の時、自治会の時給250円のアルバイトを二週間やって8000円もらったことがあるが、それよりも稼げていない。そんな二十代後半の男に、どこの親が娘を任せられるというのだ。

 ディスプレイにデスクトップ画面が浮かび上がった。マウスを右手で持って、ネットスケープナビゲーターのアイコンをダブルクリックする。

(来てる)

 メールのアイコンの横にあったクエスチョンマークがエクスクラメーションマーク(!)へと変わった。勿論、彼女以外の人からのメールも届いているだろうが、彼女からも来ているという直感があった。
 蛍光灯を点けないまま、私はメールのアイコンをクリックした。モニターからの光にまるで吸い込まれるようにして、画面を凝視する。

 件名          差出人    送信日時        サイズ
 もう帰ってきてるかな?  Ayami    ****/**/** **:**:**    ****

 手が微かに震えた。

 なんかね、今、自分が孤独な気がして仕方がないんだ。サイトを開いていろんな人が集まってきてくれているけど、すぐ近くに人がいない気がするんだ。こうやってメールを書いていても一人だし、仕事をやる時も一人。いつも一人だなぁって。なんでこんなこと思うのかな。

 これに対しての返事だ。彼女は恋人からこんなメールを送られてきたのだ。この文章を私の感情に沿って意訳するなら、

『おまえは俺とこのまま付き合うのか、それとも、もうそういう気はないのか、はっきりしてくれ』

 ということになるだろう。

 左手で胸の辺りを掴んだ。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。なんでこんな時にあんなメールを送ってしまったのか。
 マウスを持ったまま床に仰向けになり、その状態で転がって家から出て行き、ビールでも買って飲んで、なにもなかったことにして次の日を迎えたいと思った。
(あのメールなしね、ってニフティなら出来たんだよ!)
 ツッコミが虚しい。
 開けるのに、これだけ勇気がいるメールは今後もうないだろう。内容の判断がまったくつかない微妙なタイトルも、私の気持ちを掻き乱す。
 俯いて目を瞑り、祈るようにタイトルをクリックした。そして、ゆっくりと顔を上げて展開された(以下の内容っぽい)文面を読んだ。

圭くんへ

今頃、講談社にいるのかな。このメールを読んでいるっていうことは、もう家に帰ってきてるっていうことだよね。

(来てるよ、さっき帰ってきたよ!)

圭くんからのメール、読みました。圭くんがわたしに言いたいことがよく伝わってきました。確かに、今のわたしは圭くんを孤独にさせていると思う。本当にごめんなさい。

(……)

……実はずっと考えていたことがあります。

(え……なに……)

圭くんとお付き合いして、毎日が本当に楽しかった。そして、圭くんなら、わたしのことを一生大切にしてくれるだろうなあって思っていた。本当に、ずっと幸せだったよ。こんなに幸せでいいのかなって思ったぐらい。

(俺だって幸せだった、俺は一生、彩実ちゃんを大切にするよ。絶対!)

でも、圭くんとわたしの両親が会ってから、二人揃って、付き合っていくことに反対されて……それでも、わたしは納得いかなかったからこれからも付き合っていくって思ったの。だけど……ね、少しずつ、圭くんと会いたい、圭くんのことが愛おしいという気持ちがなくなってしまったの。

(え……)

電話しているときはすごく楽しいし、そういう気持ちが薄れているのはもしかしたら一過性のものかもしれないと思って、これからも付き合っていくつもりだった。

(そうだ、早急に結論を出すのはやめよう)

でも、圭くんからのメールを読んで、やっぱり、わたしがそんな気持ちじゃ駄目なんだって思った。愛おしいっていう気持ちはすごく大切なことでしょ? それがないなら、やっぱり付き合ってはいけないと思う。

(……)

ずるいかもしれないけど、ずっと圭くんから言われたかった。「おまえの気持ちが俺に向いていないことはわかっているんだぞ」って。圭くんならわたしの考えていることがわかってるって。

(……)

そうすれば、そこでごめんなさいって謝ることができた。わたしが中途半端な気持ちを持ったまま付き合い続けてしまって、圭くんを苦しめてしまった。

今までもこれからも、圭くんはわたしにとって大切な人です。でも、もう愛おしい人ではなくなってしまったの。
だけど、わたしは一生、作家、工藤圭のファンだよ。これからは一番近くで応援することは出来ないけど、でも、遠くの方で見守ってる。わたしは圭くんの才能を信じてます。

わたしからもうメールを送ることはないけれど、圭くんはわたしに言いたいことをメールしてきて下さい。きっと、たくさんあると思う。なにを言われても全部受け止めます。わたしにはそうすることしかできないから……。

ずっと圭くんにつらい思いをさせてしまって、本当にごめんなさい。

さようなら。

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